KRH
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- 自己紹介 関心があるのは、政治、反レイシズム、心理学など。リツイートは、必ずしも賛同を意味しない。証拠もない事柄を事実と信じ込み攻撃する者には、ミュートまたはブロックで対応する。
2015年09月19日(土)
<承前>「そう、独裁者は「選挙」で選ばれたのではなく、ドイツの運命を左右したほんの一握りのエリートたちの「政治的盲目と失策」によって権力を手渡されたのだ。著者は、(中略)教訓は「近代国家に対する支配権が付与される人物を選択する場合には、細心の注意が必要」であることだと指摘する。」
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posted at 20:20:21
<承前>「シュライヒャーにしろパーペンにしろ、「ナチ馴致」が可能だとヒトラーを過小評価し、自らの野望と保身に利用しようとした。老大統領は最終的には息子と側近のすすめで、心ならずもついに二度まで拒否したヒトラーを首相に任命する。」
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posted at 20:17:50
<承前>「ヒトラーを「伍長」と蔑み嫌っていた大統領は、彼の首相就任をかたくなに拒み、先ずパーペンを首相に任命。議会の基盤が弱かった彼が立ち往生すると、シュライヒャー将軍が首相にかわる。一方、首相の座を追われたパーペンは復讐に燃え、ヒトラーと手を組み政権奪取の陰謀を巡らせた。」
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posted at 20:17:03
<承前>「二回の選挙で党の資金は枯渇し、有力幹部の造反と突撃隊の反乱が相次ぎナチ党は解体の危機に瀕していた。が、一月三十日、ヒトラーは首相の座につく。一体なにが起こったのか?(中略)」
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posted at 20:15:57
<承前>「一九三三年一月一日、ドイツの有力紙フランクフルト新聞は新年の社説で「民主的国家に対するナチ党の強烈な攻撃は撃退された」と書いた。前年七月の選挙で二百三十議席を獲得し第一党となったナチ党だったが、十一月の選挙では二百万票を減らしていた。」
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posted at 20:11:27