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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2012年08月29日
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2012年08月29日(水)

りと ᙏ̤̫(3さい) @LitoSnowfield

12年8月29日

あ…先日にJazzなレッスンを受けて嬉しかったことの一つに(*^o^)b 久しぶりにJazzな香りのする方とお話できたことでした(笑) これは言葉で表現するのは難しいのですが、Jazzな世界にドップリな方には独特な広々としたような雰囲気?…体臭?…みたいなモノがあるのです。

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posted at 06:27:14

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

最近の西欧のクラシック奏者の音のとり方はよりリズミックに軽妙になってきてるらしいですね。バッハなんかもどんどん前のめりに演奏する。日本人はどんどん溜めちゃうけどww @LitoSnowfield ドイツとかフランスのクラッシクな世界も…どぉ〜〜んとした雰囲気もあるなぁ〜〜

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posted at 06:47:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

もともとクラシック音楽って全体的にもっと軽かった気がするしねー(^-^)/ @LitoSnowfield テクニカルに軽くなる傾向があるようですね〜(*^o^)> なので…今のクラッシクファンは昔のスタイルを全否定な感じもあるようです

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posted at 06:50:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

あらあら、世界は表象でなく現象じゃないと主観がどっか逝っちゃうのかとww(^-^)/ @Schopen_bot 世界に属するすべてのものはただ主観に対して存在するにすぎない。世界は表象である。

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posted at 06:54:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

対象という表象はあぶないww、やっぱり現象じゃなきゃね。それをいちいち現象現象というとまた表象化しちゃいそうで、わたしは言わないが(^-^)/

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posted at 07:00:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

どんな弁証法も、知らないことの発見や情報の開示、あるいは啓蒙として読まれたり、書かれたりが可能なテクストの形式ではない。大体、知らないことがあるという前提そのものが、弁証法を不可能にするだけなので、そのように前提する思い込みの人には、弁証法は読解できない。

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posted at 10:47:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

どうも幾何学以降の弁証法を、まるで啓蒙されることが何かあるかのように、知らないことを知ることが出来るテクストとして読むのが、日本では根強いのかも知れないが、それなら自分で弁証法してみるといい。弁証法の主体(書き手)は、知らないことがあるという前提に弁証法ができるわけではない。

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posted at 10:56:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

もし弁証法が、知らないことの自覚や開示、あるいは読者を自覚させる伝達なら、その時系列は、小説のサスペンス効果のように徐々に何かを明らかにしていることになるが、そうした順序性というのは、本来は弁証法にではなく、幾何学的な様式にしか含まれていないはずだ。

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posted at 11:00:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

日本ではもはや現象学という弁証法が、国民文学の代補となるほど国語に濃厚なのは、どうやら弁証法が一つの順序性であり、知らないことの自覚を伝達するテクストとして、誤読されているからに思えてならない。しかし、弁証法的に、知らないことという領域は存在しない。それは弁証法ではない。

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posted at 11:03:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

知らないことを開示する順序性のテクストして弁証法を捉える場合、単に弁証法が読めていないわけだが、そこにあるのはただ知らないことがあるという前提を基に、知られていないことを作りたいという意志だけだ。こうした順序性と正反対の言語形式として弁証法が読めるかだけが問題だ。

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posted at 11:12:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

近代以降の日本の雰囲気というのは、この「知られていないことがあるはずだ」という陳腐な啓蒙主義なのだが、そんなもので何かが発見できたりするわけではない。したがって教育も、知られていないことをdiscloseしているわけではない、というのを分からせるだけだ。

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posted at 11:17:33

Hegel Japan ヘーゲル・ヤパン @GWF_Hegel_Japan

12年8月29日

人間を自然一般および動物から区別するのは、自己意識という同一性である。動物は、自分が自我であること、すなわち自己のうちにおける純粋な統一であることを理解する点まで達していないのである。

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posted at 12:04:35

現代文たん @gendaibuntan

12年8月29日

東洋哲学では他人が自分と同じように我(意識)を持っているかって、西洋哲学より深く考察されていたりするのよね。そもそも「自我がある」ということ自体を自明でないとしてたりするのよ? 「無我の境地」なんてね? 詳しくは無我説で調べるといいかも♪

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posted at 12:43:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

弁証法という、知らないことがある筈がないという書き方でさえ、読み進めれば自分の知らないことを啓蒙される、という日本的な読みt.co/ukMmxkD4 というのも、勿論、この「自我がない」という東洋哲学の裏返し(^-^)/ t.co/WJrBxpOd

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posted at 13:49:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年8月29日

知ってる筈だ、知らないことはない筈だ、というのは、自分はいるのは明確だという意識と同じことだけど、この他人も自分のような自我とは限らないt.co/WJrBxpOd というのが東洋的なら、そこからは西欧の弁証法が、知らないことの開示や伝授と錯覚されてしまう。

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posted at 13:50:55

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