(´・ωp【やっぱりエロが好き】q
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- 自己紹介 エロさ余って下記サイトに投稿したエロ小説も4作になりますた。今のところヘテロものだけですけど今後はBLも投稿したろかと思とりまつ。忌憚ないご意見・ご感想お待ちしておりまつm(_ _)m → http://syosetu.net/pc/author.php?no=1452
2011年05月25日(水)
哲学用語で例えば「現実というものを人間の認知能力が事後的に構成するものではなく、認知以前に外部に恒存するものとして捉える」とかですRT @hzk_taityou: 「恒存」で表現されるのはどういうものでしょう?時間的に常に在ると言うと「常在」(常在霊鷲山)と言う言葉がありますが。
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posted at 18:40:10
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男身体白甘山盛舐敏感勃起 RT@kouno_msul 【問題】kouno_msulは『生クリーム』を漢字だけで表現してみてください。 shindanmaker.com/123145 彼氏二塗舐
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posted at 18:12:45
そりゃまたずいぶん幅広いロリコンだなあRT @nakj: 13歳以上が好きな人はみんなロリコンなのか RT @mellontolisp: いや待てよロリコンは13歳~ですよね。木之本桜ってたしか………oh...
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posted at 16:38:09
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怒る事はいけないこと、マイナスなこと、という間違った知識を植えつけられて育った知識人が多いのでとても心配です。「怒る人は何か劣等感があるのだろう」で嘲笑する方向に持っていく人が多いです。非常に由々しき問題です。長い間学問に携わってきてこれだけは払拭しないといけないと思っています。
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posted at 13:31:29
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人付き合い苦手自認からの、人とお話してひとつのものを一緒に作ったり、つくってもらったりしてたから。やりとりのデリケートさとか慎重さって少しずつ積み重ねたような。でも足りないんだよね。
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posted at 02:40:19
言葉上のホスピタリティは,全く知らない相手との会話には (もちろん) 大事だけれど,そうでない場合には雑音になって話の輪郭がぼやける場合が多い.本当の (意味のある) ホスピタリティは,言葉上のそれではなく,(言葉は強くなっても) ちゃんと答えを返すこと!
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posted at 02:40:03
よしながふみの『きのう何食べた?』をお薦めされたり、この登場人物の筧史朗が私のイメージだと言われたり(実際、字は一緒)、『それなりに真剣なんです。』をワクワクしながら読んだりと、確かにこういうの嫌いではないし、むしろ好物だけど。腐女子ではありません。しかし、オモロイ!
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posted at 00:57:20
「いずれにしても、脳は、最初から「考えるための道具」として進化したのではなかった」 / 脳の進化の原動力とは? - サイエンスあれこれ htn.to/qxPzWZ
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posted at 00:45:24
ある対象が物理的に解明されることは,物理的な美が付与されることであって,他の種類の美とは本来独立.よって,物理的美の付与によって維持できなくなるような他の種類の美があるとすれば,「その程度の強度しか元々無かった」 と考える (のがいいと思う).
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posted at 00:02:57
2011年05月24日(火)
「物理的に解明されてしまった」 とか 「数学みたいに答えが一つしかない単純な話,じゃない」 とか 「合理的なだけじゃダメだよ」 とかのネガティブな言葉は,「物理」 や 「数学」 や 「合理」 という言葉を矮小化して使っている.
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posted at 23:25:58
【結論】私の「日本画ZERO Revenge」展に関する結論は、結局彼らは村上隆からはコマーシャリズムの身振りと、見せかけの雰囲気以外は何も学んでいないということだ。それすらも完全に学べていないという方が正しいだろう。失望したと同時に、村上隆の意図したものが理解できた。(了)
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posted at 23:23:35
【感想10】いずれにしても、会場がある中野ブロードウェイの持つ過剰で、猥雑なエネルギーの方がはるかに作品を凌駕していたことは間違いないだろう。彼らの作品はまんだらけの店舗ディスプレイにすら及ばない。要するに弱いのだ。正であれ、負であれ、力がないのである。
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posted at 23:22:40
【感想9】別のスペースに展示された田中一村や藝大時代の村上作品には、その問いが、画力はさておき過剰なまでに溢れていた。そのようなパワーがどうして、ワカモノから感じられないのだろう?私が何も見ていないだけなのだろうか?このことは、見るものの責任として考え続けたい。
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posted at 23:20:59
【感想8】それは、画力と思想だ。そのどちらもが過剰であればあるほど、アートは見るものに問いかけてくる?私が見えるか?と。「リベンジ」展は作家にも厳しいが、見るものにとっても厳しい展示に、本来ならなりえたものだと私は考える。しかし、残念ながらそのような問いは希薄であった。
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posted at 23:19:50
【感想7】さて、肝心の作品であるが、もう、それはそれはお粗末なシロモノであった。制作期間2週間という条件はエクスキューズにはならない。作品を世に出すことに、作家は全責任を負うはずだから。しいて言えば2点ほど、見るにたえるものがあった。では、今回の作品には何が欠けているのか?
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posted at 23:18:53
【感想6】それは、アートという機能の全面的な検討(素材、絵具、構成、時間、メディア、流通、販売、消費)と、その変質・再生産へと導くものであると私は考える。では「リベンジ」展の作品はどうだったか?鑑賞前に村上隆と、各作家のステイトメント(実にナイーブで幼稚)を読み、会場へ赴いた。
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posted at 23:18:29
【感想5】どんな事態も予測可能な(または想定外で片付けられる)日本画というジャンルの中で、できることは「日本画」というカテゴリーの解放、このカテゴリーを成立させている諸条件を変質させることである。作家にとって制作とは、このためにとりうるあらゆる戦略を指す(音楽制作からの類推)。
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posted at 23:17:43
【感想4】さて、制作とは与えられた条件の検討から始まる。大きく場の問題を抜きにすれば、所与の条件は以下の2つだ。すなわち、1・日本画、2・「日本画ZERO」展のリベンジであるということ。1より、もはや何も新しいものを生み出さない不毛な世界への絶望。2より、村上隆への真摯な復讐。
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posted at 23:15:59
【感想3】村上隆の言うことは正しいと思う。さすがにガラパゴスとよばれる土壌に生き延びてきただけあって、日本画の世界は、独自の陋習と偏狭なプレイヤーによって存続させられているようだ。フェノロサが打ち立てた概念の中で、怠惰な惰眠を貪ってきた連中が守ってきた砂上の楼閣であったのだ。
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posted at 23:14:38
【感想2】最初に、村上隆のステイトメントより若干引用しておく。「日本画はあらゆる意味において終わっている」「日本画の美大での存在意義の無さも、数年内に具現化することは自明である」「その国の名を冠にした画業を営む者の中に真の日本の画業とはなにか?を思考する者は1人もいないのである」
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posted at 23:12:55
【「日本画ZERO Revenge」展・感想1】最終日ギリギリで、ヒダリジンガロに行ってきた。全くの門外漢である私が見る気になったのは、村上隆のステイトメントに感じた並々ならぬ決意と、現状への失望に共感を覚えたからであるが、果たして肝心の今回展示された作品はどうだったか?
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posted at 23:11:50
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