かおり
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2011年07月10日(日)


@hojo_soun 江ノ島⇨中華街⇨みなとむらいで大道芸観察⇨わーるどぽーたーず⇨すかいびるという所で異国の料理
というコースでした。殿があんなに付き合ってくれるには年に数回ですわ(笑)
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posted at 23:14:30


午(交互に枝は延びるが)→未(衰えが始まり)→申(くったりと伸びてしまい)→酉(老いが見え始め)→戌(ついには滅び)→亥(やがて殻に閉じ籠る) 閉じた殻からは新たな芽が生え、また命がめぐる。
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posted at 22:08:41


暇で仕方がないので十二支についての話。十二支にはそれぞれ動物があてはめられているが、植物の様子を表している考え方は少々、まいなー だろうか。豆知識程度に覚えるのも悪くないだろう。
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待ってました! RT @isami_k1834 【池田屋事変まとめ】 其の一:t.co/3TzHlht 其の二:t.co/9zh6bdZ 其の参:t.co/dlM6WIM 其の四:t.co/A8hD7sM
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posted at 21:31:36

細川忠興さんに質問です。『フォローしてる方の中に好きな方はいますか?全員言え。』 shindanmaker.com/137288 信忠様!!それ以外だと新撰組の面々やDJ大谷殿、秀吉殿の呟きは和む。あと高虎殿が東軍について愚痴ってたり、丹羽殿が常識人だと安心する。
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posted at 11:53:22

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2011年07月09日(土)

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只今帰りましたノシ 人に借りた書物が、偶然好きな言葉の出典であったことを知って得した気分なう。 「強くなければ生きては行けない、優しくなければ生きて行く資格がない。」 名文句です。
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posted at 20:18:09

@motoharu1530 そうなのか。まぁ俺も元春を甘やかすのは楽しいからな、遠慮しなくて良いぞと伝えてくれ。毛利との同盟で、息子も同然なのだからな、と。勿論、お前も甘えて良いからな、元長? ゜д゜)ノシなでなで
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posted at 20:00:50

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中華街滞在時間は30分。17時過ぎは中華街は危ないなどといって…でも目的は果たしました。
月餅数種類、パイナップルケーキ、中華風アーモンドクッキーを買いました。あとお土産にジャスミン茶を数個(*^_^*)
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posted at 17:43:19

@ShimaduToyohisa 今日は殿と江ノ島と横浜ですわ。島津殿も奥方とたまにはでえとも楽しいですよ。
奥方、はじめまして。こちらこそお世話になっております(^^)
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posted at 16:23:47



……遠州様が自分に諂い腰を低くする様が気に入らなかったようです。以前は一千両もぽんと支援しておきながら、仲良くなさるつもりは全く無いという、忠興様のめんど……難しい性格がわかりますね……。
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posted at 14:14:56

たまらずその場を遠州様が後にしてから、改めて忠利が「父上は小堀遠州殿をお忘れですか」と尋ねると、ようやく忠興様は嘲るような笑みを浮かべて「遠州?ああ、あの袴腰(袴の後ろの、少し上に出っ張った部分)が不格好に背中に当たっている男の事か」と仰ったそうです。
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posted at 14:13:50

遠州様からすれば忠興様は師匠の織部様と同門(つまり格上)、粗相があってはならないと城内を見て回る忠興様へついていましたが、忠興様は「いやいや結構ですな」などと言いながらも何処が結構なのか全く言おうとしません。見かねた忠利が「父上、遠州殿が……」と何度も忠興様に声をかけても無視。
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posted at 14:11:01


【語り:たま】これは、二条城の改修を小堀遠州様が担当なさった時のお話です。その二条城へ、将軍家光様の依頼で検分に来たのが数寄者として名高い忠興様(当時は既に三斎と名乗る)と、息子の忠利でした。
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posted at 14:02:14

感激した遠州様は忠興様に感謝の意を伝えましたが、忠興様はその後も遠州様への態度を和らげる事は無く、遠州様の芸術を断固として認めませんでした。……つんでれじゃないです、よ?
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posted at 13:21:01

これを聞いた遠州様の知人友人、そして茶の道を嗜む多くの人々が、細川忠興に続けとばかりに次々と遠州様に寄付を申し出ました。たちまちその金額は借財の倍にもなり、遠州様は無事にこの危機を乗り切りました。
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posted at 13:19:52

この時、一人の大名……忠興様が声をあげました。「遠州は名高き数寄者である。このような過失で彼を滅亡させるなど、天下の名器を湖に投げ捨てると同じ事」そして忠興様は、すぐさま遠州様に一千両を届けさせました。
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posted at 13:16:21


その遠州様に危機が訪れます。遠州様は、幕府の依頼で天領の管理をなさっていたのですが、ある時幕府の財政調査が入り、遠州様管理下での財務が大幅な赤字だと判明したのです。
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posted at 13:09:38

遠州様と忠興様は、共に文化人大名として世に広く知られていますが、忠興様は遠州様を毛嫌いしておられました。二条城で顔を合わせた折り、挨拶しようとした遠州様を無視して通り過ぎたくらいに。遠州様の茶道は武士の嗜むものではない、と忠興様は考えておられたようです。
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posted at 13:03:07

【語り:たま】人の好き嫌いが激しい忠興様、伊達政宗様や黒田長政様についてはこちらでも度々口にしておられますね。……今回は、忠興様がお嫌いになっている人物の一人、小堀遠州様とのお話です。
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posted at 12:55:30
