いろは
- いいね数 16,399/15,511
- フォロー 121 フォロワー 51 ツイート 20,785
2012年11月10日(土)
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
「ぎゃあああああ!!((((;゚Д゚))))」 RT @h_ujinao1562: お客さん捕獲です(にこっ RT Hachisuka1526: Σ(正;´`) (家;´Д`)やっべ北条の方…
タグ:
posted at 11:12:41
石垣||<来てないですよー! RT @h_ujinao1562: 今日は視察で八王子まで来ているのですが、なにやら…お客さんがいらっしゃっているようで…(にこっ
タグ:
posted at 11:10:52
調略!謀略!織田家なんだから 失策なんて許せない! やられる前にやるが吉でしょ! 首級だって 吹っ飛ぶぅ~(^q^)彡 血潮の花~ 咲かせて思いっきり~ もっとバリバリ!!(´◇`●)
タグ:
posted at 01:53:33
2012年11月09日(金)
いーまから一緒に!これから親父をー!殴りに行こうかー♪ヤーヤーヤーヤ、ヤーヤーヤー♪、て、こら! RT @p_eidechse: @yuusai1534 壁|ω・)oO(振り返れば倅がいる)
タグ:
posted at 13:18:02
ぎゃふん!≡))Д`)・゜・た、忠興、そなた、いつもたいみんぐ良すぎない!?絶対いないと思ったのにΣ! RT @hosokawa1122: ちぇすとぉ!(#`д´⊂彡☆))Д`)・゜・ RT @yuusai1534: …………うおおおおおおおおおおおんっ!!・゜・(つД`)・゜・
タグ:
posted at 13:14:09
正保二年十二月二日(一六四六年) 、細川忠興、逝去。享年八十三歳。
こうして、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた、忠興の波乱に満ちた生涯は閉じられたのだった。
タグ:
posted at 13:06:35
やがて最後の時は訪れる。
家臣、小野伝兵衛は額を、久野与右衛門は足を押さえ、簑田平七は胸をなで、山伏・宝泉院は薬を飲まそうとする。
忠興は朦朧とする意識の中、そんな皆にたいし、こう告げたという。
――三斎は皆の忠義、戦場が懐かしいぞ。
タグ:
posted at 13:01:13
十月、その知らせは江戸にも届けられ、名医、吉田盛方院殿を派遣すると将軍直々の命が下される。吉田家は鎌倉時代末期より続くと言われる名門の医家。
しかし、三斎はこれを、もう良くなったから、と辞退し、医師を引き返させた。
その後、言葉通り少し持ち直すも、十一月末、またも悪化……。
タグ:
posted at 12:51:55
――1645年、春。三斎は体調を崩していた。
孫の光尚は常に祖父の病状を心配し、家臣二人を祖父の側に置いて交代で熊本に報告させた。
八月には容態が思わしくないという報告に、熊本から医師が何人も派遣される。
タグ:
posted at 12:47:06
このいかにも、人を喰ったような余裕と、狡猾なような、でもおちゃめな忠興のえぴそーどが、
戦国時代の荒波を乗りきり、徳川三代に支えて得た、確かな信頼と実力を物語っているように見えて、儂の頬はつい緩んでしまうのだ。
タグ:
posted at 12:34:42
382年前の今日、藤堂高虎が亡くなりました。幾度も主君を変えた武将として有名ですが、豊臣秀長にはよく仕えており、秀長の養子・秀保が早世すると、恩ある主君の家を守れなかったことの呵責から高野山に出家・隠遁しています。また家臣への労りのある逸話の多さからも名君であることが伺われます。
タグ:
posted at 12:30:10
三斎は、「いや、最初から聞こえてはいたんだけど、ちょうど年で耳が遠いと思わせてな、側近に言わせるように仕向けさせて頂いたんだ。
何も知らぬ末座の若い衆きも細川の功績を聞かせてやろうと思って、とっさにの。」と、しれっと述べたという。
タグ:
posted at 12:27:53
そして、「我らはすでに老いた身ゆえに、先々代、先代のお二人にはご奉公申し上げてきたが、これほどの上意を承ったことはなかった。
ご当代様には何もご奉公できていないのに、昔のことを聞き及ばれて、このようなかたじけないお言葉……。ありがたし、ありがたし……(ヨヨヨ)」と感極まった。
タグ:
posted at 12:21:55
すると三斎は家光公でもなく直孝殿でもなく、はるか末座に控えている元服したての光尚に向かって、突然大声で呼び掛けたのだ。
「ただ今の上意承りたるか、よく小耳に留めてご奉公のところ、覚悟の上にも覚悟せよ!」
タグ:
posted at 12:18:10
家光公は、井伊直孝殿(井伊直政殿のご子息ね)に、「どうやら耳が遠くて聞こえない様子だ、そなたが申し聞かせよ」と命じると、直孝殿は声をはりあげ、
「三斎御当家に対し、重ねての忠節の段、忘れはせぬとの仰せである!」と二度、繰り返した。
タグ:
posted at 12:13:38
しかし三斎は耳が不自由で、よく聞こえない様子。
……?(三´・ω・`)
家光公、さらに声を大きくして同じことを繰り返す。
…………?(三´・ω・`)))
三斎は耳を家光公の方に傾けて、にじり寄るそぶり。
どうやらやはり聞こえないようだ。
タグ:
posted at 12:05:12
そしてこれは1635年七月頃のこと。すでに忠興は72歳、三斎と名を変えている。忠利の子、光尚が元服し、三斎・忠利・光尚の三人で江戸城に登城した時のことだ。
時の将軍、家光は三斎を丁重に迎え、諸大名が居合わせる中、「三斎が将軍家に対し、長く忠節を忘れぬこと大義である」と誉めた。
タグ:
posted at 12:00:53
忠興は子供の時から戦国武将らしい子だった。忠興の初陣は15の紀伊国雑賀攻めの時。
だけどもっと子供の時、家臣の兜の鹿の角の前立に捕まって、戦場を眺めて喜んでたっていう、その後の活躍を予見させるような逸話がある。
可愛らしいんだか、血なまぐさいんだか、悩むところだ(笑)
タグ:
posted at 11:44:26