いろは
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2012年07月07日(土)
【高山右近の足跡たどる 「潜伏の史実知って」 香川】t.co/DAY5qTwY ■14日に小豆島で講演会<小豆島での潜伏場所や布教活動には諸説あり、日向会長は「右近は外国では大きな存在だが身近な島内で知る人が少ない。郷土史として聞きに来てほしい」と話している。>
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posted at 23:30:41
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まあ三河武士的ファンタジーで考えると、秀吉の直臣扱いという『屈辱』に耐えられるメンタルを持った、あるいは押し付けられたのが新参の井伊直政だけだった、というふうにも想像できますねw
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posted at 17:42:00
豊臣時代、家康から家臣への書状は通常呼び捨てですが、独立大名扱いされた井伊直政にだけはご丁寧に『殿』をつけています。こういうところが家康の律儀というものかもしれませんw
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posted at 17:36:02
豊臣秀吉という人は、大名家で最も実力のある重臣を独立大名扱いする事を多用していた。これは戦国大名の独裁権を妨げるもので、伊達政宗の片倉景綱、上杉景勝の直江兼続、毛利輝元の小早川隆景などが代表的ですが、徳川家に対しては井伊直政にこれをやっているんですね。この人選はちょっと面白いw
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posted at 17:24:45
九州道の記というのは、天正十五年に、儂が太閤様の九州の役に随行した時の和歌紀行本のこと。
天正十八年、小田原攻めの時も儂は『東国陣道記』という和歌紀行本を出してる。
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posted at 13:40:55
また、儂が書いた紀行文 『九州道の記』(天正15年年)では、 「六日に舟来(舟木)という在所まで行て七日に山口に至りぬ。今夜は七夕のあふよ(夜)なりと思い出て、暁がたの寝覚に、七夕の別の袖にくらべみよ露なからかす旅のころも手(の一首を詠む)。翌八日、所々寺社見めぐりて…」とある。
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posted at 13:22:44
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①大きい碗に温めの茶。②やや小さい碗にやや熱めの茶。③海洋深層水。 秀吉「浅井万福丸、気に入った!」 #3bainocha t.co/9FWOMMnQ (`へ´;)
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posted at 11:31:28
①ミロ。②やや小さい碗にやや熱めの茶。③女性自身。 秀吉「井伊万千代直政、気の利く奴よ」 #3bainocha t.co/wsjRBiRO …で?
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posted at 10:51:23
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから。 独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。 #moto_meigen
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posted at 06:37:27
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殺さないで(=v=`*) RT @rice5roza: こんな夜中に飢えて死ぬとは哀れなやつ RT tsuneoki1536: 鶏釜飯……(´Ч`*)ぐうーーー
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posted at 00:12:07
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