平沢勝栄を応援する会
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- 自己紹介 自由民主党所属の国会議員「平沢勝栄」を応援するツイッターです。政治家である平沢勝栄さんにまつわる様々なエピソードを一挙ご紹介いたします。平沢勝栄さんを応援してくださる皆様方のフォローもお待ちしております。是非よろしくお願い致します。
2013年05月07日(火)
2013年05月08日(水)
2013年05月09日(木)
2013年05月10日(金)
1995年12月、自民党の公認候補として東京十七区に事務所を構えた時、当然のことながら平沢勝栄氏は後援会を持っていなかった。政治家にとって後援会というのは、膨大な時間と労力をかけて作りあげるもので、いわば政治家の命綱だ。
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posted at 11:17:05
2013年05月13日(月)
2013年05月14日(火)
平沢勝栄氏が自民党の公認候補となる以前は中選挙区制で、小選挙区制の導入で新たに中選挙区の一部が東京十七区となった。元々は島村宜伸さんと鯨岡兵輔さんの先輩二人が地盤としていたところである。
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posted at 12:45:00
後藤田正晴氏の働きかけもあって、島村さんは自身の後援会の集会で平沢勝栄氏を紹介し、次の衆院選では「東京十七区では自分に票を投じることはできないので平沢勝栄氏を応援するように」と要請してくれた。そのおかげで、後に立ち上げた私の後援会には旧島村後援会の幹部の人達が名前を連ねてくれた。
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posted at 12:45:57
2013年05月15日(水)
鯨岡さんは当時、衆院の副議長だった。衆院議長や副議長は、広汎かつ強大な権限を有していることから厳正、公平、中立を要求される。このため普通は党籍を離脱する。そういった中で鯨岡さんは後藤田さんの依頼もあって自らの後援会員に対し平沢勝栄氏の後援会に鞍替えするよう働きかけてくれた。
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posted at 12:52:17
2013年05月16日(木)
その後平沢勝栄氏は、強固な支持基盤を構築するため三種類の後援会づくりに力を入れた。それは「一定の地域を主体とした地域後援会」「農協関係、税理士会有志など特定の母体を中心にした後援会」「政治資金を集めるための後援会」などである。
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posted at 12:21:24
2013年05月17日(金)
平沢勝栄氏はなぜ後援会づくりに励んだのか。1つは、選挙区が下町とはいえ都市部にあるからだ。無党派層の多い都市部ではあるが、確実な固定票を確保しておく必要があると考えたからだ。
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posted at 11:48:20
2013年05月20日(月)
もうひとつは、平沢勝栄氏が東京十七区に縁もゆかりもなかったからだ。生まれ育った場所ではないので、個人的な支持基盤は皆無だった。だから長く政治活動を続けるためにも強固な後援会が必要だったのである。
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posted at 12:31:10
2013年05月21日(火)
後援会づくりでは島村氏、鯨岡氏から多大な協力を得たが、それでも簡単ではなかった。何しろ平沢勝栄氏は落下傘候補の、地域に馴染みのないよそ者だ。島村氏や鯨岡氏の後援会の人達にお願いしても当初は、平沢氏の人柄も知らないし、政治的資質もわからないのだから、その人達の反応はイマイチだった。
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posted at 11:43:31
2013年05月22日(水)
このような状況下、強固で永続的な組織作りを目指して何とか幹部の人選を終え後援会を立ち上げた平沢勝栄氏。まずは選挙区内の全ての地区をカバーする組織作りを心がけた。小選挙区では限られた地区だけに頼っていたのでは勝てない。選挙区全体をクモの巣のように細かくカバーする後援会作りが必要だ。
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posted at 11:34:53
2013年05月23日(木)
そのために平沢勝栄氏は、葛飾区を七ブロックに分けて、当時十五人いた自民党区議に、それぞれの地域を担当してもらった。区議会員がいない地域には、後援会の幹部に同様の役割を担ってもらった。
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posted at 12:39:37
2013年05月24日(金)
2013年05月27日(月)
平沢勝栄氏は後援会の人たちに頼み、色々な業種、分野の有力者に接触。農業、商業、医療、教育(退職校長)、同窓会、県人会、趣味のサークル、スポーツ関係者など、ありとあらゆる分野の人達に後援会の世話になってもらった。そして、それぞれをつなぎ、ネットワークを広げたのである。
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posted at 11:57:01
2013年05月28日(火)
多くの人々の労を惜しまぬ努力のおかげで何とか後援会らしきものが結成され、それがその後充実され、現在平沢勝栄氏の後援会員は約六万人を数える。この後援会が今日の平沢勝栄氏のドブ板選挙を支える基礎となっている。
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2013年05月29日(水)
平沢勝栄1945年岐阜県に生誕。1968年東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。米国デューク大学大学院留学・修士課程修了。在英日本国大使館一等書記官等を経て、中曽根内閣の後藤田正晴官房長官秘書官、警視庁防犯部長、岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房審議官等を歴任。
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2013年05月30日(木)
平沢勝栄、1996年10月の総選挙で衆議院議員に初当選。衆議院議員当選六回(2013年時点)自民党法務部長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣などを経て、衆議院外務委員長、慶応大学大学院講師(非常勤)も務める。
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posted at 11:06:25
2013年05月31日(金)
平沢勝栄氏は言う「都会の選挙は"お盆の上に乗ったアズキ"と同じだ。お盆を傾ければアズキがドーンと低い方に集まるように、少しでも風向きが変われば、これまでの順風が、あっという間に逆風になってしまうものだ。油断できない。」と気分を引き締めている。
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posted at 12:22:17