サーボ・打撲
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- 自己紹介 蠢く残骸
2019年08月05日(月)
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『全能』(現段階でできないことはほぼ出てない)『無敵』(現段階でダメージを与えられる能力は出てない)『即死』(現段階で即死が通らなかったことはない)(発動タイムラグ0)などが普通に負けうる修羅の中に紛れているの頭おかしい
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posted at 18:03:56
ノキ「バルソー相手に2ターン目トーテム像ドーン!楽しい!!」
打撲さん「おっそうだな(ヌルロ設置)」
テフェリーが統率者のノキ「人の痛みをちゃんと知ってほしい」
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posted at 17:29:35
クロコダインを無限に推してくるバランが死ぬほど好き。こいつ本人の前でもクロコダイン推しを隠さないし心の中でもクロコダインを推してくるしポップにもクロコダイン推しをアピールしてくるんだぜ。強火過ぎるよ pic.twitter.com/UtC618V3Or
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posted at 16:42:42
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作品愛と熱量って話、愛があるに越したことはないけど、ないと駄目ってわけではないと思うのだ…。
要は愛はなくてもその手の炎上リスク回避して旨いもん出してくれれば結構満足はするもんだよ。
あと愛があってもスポンサーや上の人間がねじ込んで来て歪んでしまうって場合も結構あるのでなんとも…
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posted at 13:46:39
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21世紀に入ってからは「人間がVRとどう向き合うか」を真正面から扱う作品は目立たなくなったと感じる。VRも現実も個人にとっては等価だ…という点で、議論に結論が出てしまったからだろう。『.hack(2002年)』や『SAO(2009年刊行)』では「VRは現実と変わらない」ことを前提に物語が組み立てられている。
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posted at 12:39:37
岡嶋二人『クラインの壺(1989年)』では、すでに「VRと現実との境界が分からなくなる」 という世界が描かれている。映画『マトリックス(1999年)』はその後のハリウッド映画を変え、VRをテーマにしたフィクションを変えてしまった。「人間がVRとどう向き合うか」は、SFでは古くからあるテーマなのだ。
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posted at 12:35:04
夢オチが禁じ手とされるのは、登場人物たちの葛藤がどうでもよくなってしまうからだ。ドラマとは葛藤である。葛藤の末に下した決断の1つひとつに読者や観客は心を動かされる。しかし物語の舞台が夢なら、どんな決断を下そうと「どうでもいい」。明晰夢の中では、ヒトは普段とは違う決断を下すものだ。
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posted at 12:00:33
「FGOのサーヴァント、三国志好きなら誰でも知っている存在がついに3基揃ったんですよ!」
「あー、誰でも知ってるといえばもちろん」
「呂布、赤兎馬、陳宮です!」
「なんで」
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posted at 08:11:37
よく言われる「インターネット老人会」って、ぼくは95年くらいから05年くらいの黎明期+草の根BBS時代のイメージで使ってたんだけど、最近の使用法みてると06年のニコニコやflash文化あたりを指すのかな、となるとぼくがいたのはインターネット墓地とかじゃないのか…とか。ぼくは生きています。
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posted at 02:23:57
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