Ken
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- 自己紹介 鈴木大拙と西田幾多郎と小林秀雄、海音寺潮五郎、白隠禅師、アランとカント、史記と十八史略あたりが自分の骨格です。 日本の9条改憲と核武装、株主資本主義の修正と就労世代の所得向上、出生率アップを尊ぶ中道左派を志向します。 愛と家族と個人の課題、交友の課題、そして仕事の課題で、望むゴールが現実に実現できたらありがたいです。
2011年12月25日(日)
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幾時の間にか、誰も古典と呼んで疑わぬものとなった、豊かな表現力を持った傑作は、理解者、認識者の行う一種の冒険、実証的関係を踏み超えて来る、無私な全的な共感に出会う機会を待っているものだ。
(本居宣長)
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posted at 12:05:07
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嘗ては、小人の説が君子の説を制する人間的な努力のうちにデモクラシイの思想が作られたが、今日ではこの思想は、もうその内的な動機を紛失して、誰も努力しないで考えている世間の通念と化し誰にも尤も千萬な社会的イデオロギイとなって了った。つまり現代に於ける君子の説となったのである (小説)
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posted at 17:05:07
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あの日、地震のセンセーショナルな部分ばかり繰り返し流して実態を把握させてくれなかったマスコミには今も腹が立つ。ネットのほうが役に立った。とはいえ、ネットでも閉じ込められたとかいうデマ流していた人がいたのもよく覚えている。医療や従事者を根本からなめてんなとムカついた。
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posted at 17:12:33
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どんな途上国でも、医療制度の発展にはかならず医療の供給量を確保するフェーズがある。国民に広くアクセスを提供するという社会福祉国家への脱皮だ。逆に言えば、それまでは医療も限られた集団向けの奢侈財だ。このレベルでは当然アクセスできることが医療そのもの価値に優先している。
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posted at 17:49:15
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しかし、医療の量的確保がある程度達成されると、医療の価値判断が提供側(重病の治療)や施政者(広く提供)から受益側(より良く、楽に)にも担われるようになる。医療は情報の非対称性があるためにそうした転換や遷移が遅いとはいえ、昨今の情報社会のなかでは当然その流れが急速に強まってきた。
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posted at 17:58:49
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さらに、医療が進歩するにつれて、医療と生活との関わりが生死の間際にとどまらず、より生活の中へ意義を持つようになってきた。これは日本ではおそらく80年代くらいまでに起きたのではないか。そのあたりから、医療の質、価値に業界内でかい離が生まれてきたのだと予想している。
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posted at 18:11:27
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受益者側から医療に期待するものを素直に考えてみる。おおざっぱに言えば、今の生活を維持したい、(重い)病気になりたくない、「生き永らえた」と他でもない自分が感じたいという順だろうか?当然EBMやら治療成績、あるいはフリーアクセスではなく健康を中心にみたアウトカムが重要だ。
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posted at 18:22:46
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現場力、これに尽きた。情報も物資もロジスティクスを確保できず、リーダーシップもとれず、せっかくの現場力を支えきれずにいる行政側が現場に介入しだしてから再度混乱したのが悲しい。なぜ、こうなる。どうして辞職してから口が滑らかになる?
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posted at 18:29:46