Ken
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- 自己紹介 鈴木大拙と西田幾多郎と小林秀雄、海音寺潮五郎、白隠禅師、アランとカント、史記と十八史略あたりが自分の骨格です。 日本の9条改憲と核武装、株主資本主義の修正と就労世代の所得向上、出生率アップを尊ぶ中道左派を志向します。 愛と家族と個人の課題、交友の課題、そして仕事の課題で、望むゴールが現実に実現できたらありがたいです。
2012年03月29日(木)
いい部下に恵まれたこと、ひいきにしてくださるお客様がたくさんできたこと。そういうことやろな。今日のわしの成功は、部下とお客様のおかげやな。成功の理由はそれやな。ありがたいことやとしみじみ思う。
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posted at 07:45:05
某省OBの国会議員の事務所を高校の同級生だった他省現役官僚が説明のため訪れたところ、「何々君は全国模試で何番、自分は何番だった」と自慢されて驚いたとか。これも、子どものときからの塾通いの「成果」だろう。
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posted at 09:32:08
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posted at xx:xx:xx
芸術家というものは、決して自由な人ではない。常にどうにもならぬ制約と戦っている人間です。更に言えば、その戦のなかに、真の自由を発見している人間です。
(伝統)
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posted at 12:05:02
やってみた。RT @herisson40: 素敵メモたちを総動員して、ツママフィンの張り紙をあちこちに貼ってみては~^^ もはや、ここはマクドナルド?!みたいな t.co/nolJug5n
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posted at 13:09:39
21】「君」「主」はいうまでもなく「君」に権力が集中して絶対権があり、そこで諌議大夫がしっかりしていないと「民」が被害をうける。この歴史は長いから、何となく図式化されて固定観念となっているが、民主主義とは「民」が「主」の時代であり~略~大衆が権力をもつ時代である。
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posted at 15:55:57
22】こうなると「主」がもつ問題点を「民=大衆」がもつという事になる。それは各人が自覚せずに、実に強力な一種の権力をもつ結果となる。そして、自覚なき権力がもっとも恐ろしい。もっとも「主権を行使できるのは四年に一度だけ」、いわば選挙のときだけだと言う人がいるかも知れない。
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posted at 16:26:02
ガーディアン紙のルイス記者は報道の最初の一歩としてツイッターを使う。「見たことをすぐに発信する。事件が進展するにつれて次々と細切れに情報を出してゆく」「長い記事は後で翌日用に書く」。在英ジャーナリストの小林恭子さんコラム。ためになる。 t.co/yNnpTCdW
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posted at 16:29:17
24】ということは、この権力に対して当然に「阿諛追従」が起こり、民衆の耳ざわりにならない事だけをいって、真の情報を遮断してしまう者が、いわば民衆の「佞臣」ともいうべきものが発生する。そして、それは発生して当然なのである。
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posted at 17:26:05
26】「貞観の初、太宗、侍臣に謂いて曰く、君たるの道は、必ずすべからく先ず百姓(人民)に存すべし。若し百姓を損じてその身に奉ぜば、猶お脛を割きて以て腹に啖わずか如し。腹飽きて、身斃る」と。
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posted at 18:26:04
27】これは『貞観政要』の「君道第一・第一章」の冒頭の章の言葉だが、確かに君主が苛斂誅求で人民を苦しめて疲弊さす事は、自分の足の肉を食って満腹するような状態であり、満腹したときに「身斃る」となって不思議ではない。
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posted at 18:55:59
29】というのは、前記の場合は「民」が「君」を倒せば問題は一応解決する。だが「民=大衆」が「王」である社会は、民がそれぞれ自らの「脛を割きて以て腹に啖わすが如し」といった現象を呈する。そうなると、一国が破産し破滅する事がわかっているのに、煬帝のような浪費をする。
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posted at 19:55:58
30】これは敵が自分の中にいるような一種の自殺行為だから、何かを倒す事では解決できない。いわば、国民全部が「明君」になるよう自らを正す以外にないわけだが、しかし、直言して諌める者もない。言論は全て商品化するから、もしいればこれを黙殺するか、遠ざけるか、沈黙さすかすればよい。
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posted at 20:26:13
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36】それを克服する道は「民主主義とは、民衆の一人一人が君主なのだ」という自覚をもつ以外にないという事である。その一人一人が、明君にもなりうれば暗君にも暴君にもなりうる。そう考えれば、民主主義の「守成」とは、一人一人に、諌議大夫が必要だという事になる。
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posted at 23:26:12