ぼんのう〔🍎🌟🌃🌻🏊🍏〕
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- 自己紹介 駒形さん関連の素敵ツイートを思わずイイネする癖があります like:駒形友梨/弐寺DP:7237-9074、DBHR:https://bit.ly/33kY5w5/DTM(駒形さん曲アレンジ:http://soundcloud.com/djbonnou)/ゼノギアス/舞城/西川貴教/鳥居みゆき
2011年01月10日(月)
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キリスト教と宗教画を調べれば調べるほど、みんな裸の女を描きたくって描きたくってしょうがないことが分かります。どうせ描く/描いてもらうなら裸の女性がいい、というよりも、裸の女性を描く/描いてもらうために宗教画を選ぶ感じ。
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posted at 01:02:50
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四郎の言う通りだ。俺は行動を起こさなくてはいけない。絶対不可能に見えることでも試してみなくてはいけない。できるかできないかはやってみなくては判らないという言葉を便宜的にでも今ここで信じなくてはならない。 『暗闇の中で子供』
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posted at 11:19:21
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RT @naoya_fujita: こちらはtomatotaroさんからの『インセプション』論への興味深い反論。d.hatena.ne.jp/tomatotaro/201...
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posted at 12:13:57
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脱出したいという閉所恐怖症的な怖れと、脱出してしまった者の疚しさとの間を、とりとめもなく揺れ動いているのが、都市の心でもあるような気がする 『道化的脱出劇』
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posted at 12:20:20
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昨日ある場で話していてやはり気付いたが、俺が結局いくら疑い尽くしても疑い尽くせない「物語」とは「家族は信用できる」だ。結局この安定の上に立っているわけ。他のフィクションは壊れるとして、家族というフィクションだけは壊れない、いや、フィクションと呼ぶことにすら抵抗がある
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posted at 12:23:45
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どうしてそのことに気付いたのだろ?強烈に疑って、壊そうとすることに力を注いだこともあった。「俺は俺」と言いたかった。でも結局そんな傲慢は成し遂げられなかった。試みは徒労に終わった。家族の優しさに懐柔されてしまったのだ俺は。
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posted at 12:33:42
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いくら独立した自我を突出させてすべてを疑っても、いや自我そのものすら疑念にさらしたとしても「これだけは信用しろ」という言葉に同意せざるおえないところのものになってしまっている。それはある意味では悔しいことなのだ。
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posted at 12:39:46
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悔しいが認めざるおえないところのものだ。その信用がなければ、もし俺の傲慢が成し遂げられていたとしたら、俺は今の俺ではない。俺は完全な根無し草の自由を与えられているわけではない。起源という重心がある。
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posted at 12:44:19
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重心はもうひとつある。それは過去の呪い、悔恨、個としての不自由。自分は自分が嫌な自分ではありたくないのに、そんな必要もないのに、繰り返される自分、その牢獄的仕打ち
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posted at 12:52:05
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そしてもうひとつの重心、「俺は日本語で思考する」日本語というフィクションを紡ぐよう、仕向けられたわけだけど、そこから逃れることはほぼ不可能に近い。外国語もできなくはないので、ある程度の相対化は可能だけど
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posted at 13:09:12
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実は古典的、正統派にみえるイーストウッド映画こそ、物語というものの人間にとっての必要性、そして誤謬性ということを無意識に深く問うていると思う。物語とは、人間の住まいであり、絆を結ぶものであり、悪しき因縁でもある。
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posted at 14:52:16
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国光宏尚 元gumi (Hiro Kun @hkunimitsu
今日の読売新聞の一面社説は最低。「ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これにより責任を持って情報を選択する編集が弱くなれば、国民の知的低下を招く。ネット時代であっても責任あるマスコミが権威を持つ必要がある」(一部略) 何様だ…
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posted at 15:00:20
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たとえば『パーフェクトワールド』は父の物語『チェンジリング』は母の物語。引き裂かれそうになりながら、ぎりぎりで受け継がれる、というある種のオープンエンディングで幕。なんとしてでも断絶されてはならないもの、として印象づけられる
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posted at 15:02:52
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一方で、一度曲げられた運命、引き裂かれた絆がいかに修復困難で、いくら拒否しようとも悪魔のように呪う悲劇をミスティックリバー(まさにギリシャ悲劇の現代版のよう)なんかは描いてる。
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posted at 15:09:55
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だけどミスティックリバー、悲劇一辺倒というわけではない。ケビン・ベーコン演じるショーンにだけは最後光がさす。ラストにそのことで思わぬ涙があった。悪しき因縁の修正という道もありうる
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posted at 15:15:56
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トラウマとは破滅の物語を信じこまされることだと思う。危機にひんして誰も助けてはくれないという認識を得たとき、破滅や断絶のほうが信じるに足る帰結であると思い込んでしまう。
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posted at 15:26:19
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ところで『パーフェクトワールド』は偶然できた疑似父と子、しかも最後死に別れる。『チェンジリング』では結局実の子は未だ行方不明で戻らぬまま幕。『ミリオンダラーベイビー』ではまた疑似父と娘。そして生き別れの娘に、ずっと父の傍にいた友人がその姿を綴った手紙を書いて読んでいる
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posted at 15:45:27
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血縁関係ではない疑似親子、姿の見えない子へと、他人が送る、父の姿について書かれた手紙。つまり父性や母性ということがなによりも作られた「物語」としてある、ということが浮き彫りになってくる
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posted at 15:54:27
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父性や母性とはそもそも子供を安心させる物語を作ってやるということなのだから、実際の血縁においてその絆は失われたとしても、誰かが代わりにそういう物語をプレゼントしてやればいいということだ。
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posted at 16:02:04
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父性や母性が引き継がれなければならない、というのはだから、血縁関係ということをこえて「物語」として共有されねばならない、贈り合われねばならない、というグローバルなもの
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posted at 16:05:49
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「IPPONグランプリ」における松本人志の解説は、お笑いの解説としてあまりにクオリティ高すぎる。あらゆるお笑い番組の副音声で解説を担当してほしい、と思うほど。
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posted at 23:02:02