hhasegawa
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- 自己紹介 長谷川晴生(Haruo Hasegawa)。自宅研究員(ドイツ文学・思想)。経歴、著作、ほかに使用中のSNSにつきましては下記ウェブサイトをご覧ください。DMは相互フォロー間のみと設定しておりますので、御用の方はtokan@nifty.comまで。
2019年11月16日(土)
いいえ、「老害」などといって目先の流行りばかり追いかけることこそ、戒められねばなりません。大事なことは時代を超えた普遍性があります。追求する心や、バカバカしいとされるものへの偏愛などを忘れた人びとは、自称が「オタク」であっても、かつてのそれとは異なる大衆に過ぎません。 twitter.com/kuze627/status...
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posted at 22:31:35
でまあ、80年代まで遡って考えてみれば、少女という表象を愛でる「おたく」というものには、松岡正剛のいう「フラジャイル」、か弱きものへの偏愛というのがあったと思います。それが、既存の「男性的」とされる価値観になじめない層、自らを「か弱い」と思わざるを得ない層を捉えたのでしょう。
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posted at 22:39:01
だから「オタク」には、少女を性的搾取の対象としかねない危うい面があると同時に、既存の「男性的」とされる価値観への異議申し立てという、フェミニズムに通じる面もあったわけです。90年代の「オタク」には、そうやって時代を変えてゆく可能性もあったかもしれません。
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posted at 22:41:17
でも「オタク」が商業的に大きくなり、また若年にそれに触れた層が成長して社会の中堅へとなっていくにつれて、「オタク」は勢力の拡大を恃んで保守化し、既存の「男性的」価値観へとむしろ反動化していったのではないか、まあそんなことを私は考えています。
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posted at 22:42:49
だから今の「オタク」がもう一度考えるべきことは、「か弱きものへの偏愛」を取り戻すことではないか、と私は思うのです。その「か弱さ」には自分自身も含まれます。自分自身の弱さを認め、弱きものを愛し、その側に立つことです。それは卑下ではなく自己肯定であり、自己実現へとつながるのです。
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posted at 22:44:53