jabrafcu
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2014年02月09日(日)

皆で手を上げるとか、ステージ関係なく暴れるみたいな最近のロックバンドライブってちょっとつまらないなと思っていたので、フロアーもバンドの熱に答えて一緒にライブを作っている感じがライブアイドル現場と同じで面白かった。
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posted at 23:16:11

Gacharic Spin衝撃だった!多分アイドルでロックをやろうとしてる人はこれがやりたいんだと思う。でもこれってロックバンドがライブアイドルのアプローチをする事でしか完成しないんだと思い知らされた。このバンド皆見た方がいいと思うよ。
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posted at 23:01:40

しかし今日の私が指摘した「ゲーマーの操作の慣れに則った演出」、「カメラワークの巧みさ」のどちらもモズさんのレビューを読んで気付いたことで、やっぱ良いレビューとは単に答えを与えるのではなく、疑問を提出するものだと思う。#hotlinetokyo
タグ: hotlinetokyo
posted at 21:32:26


5) 新垣氏が「余技」でやっていたかどうかなど私は知るよしもないが。楽々とできるということと「余技」はイコールではないだろう。少なくとも、ご本人が「大事な」作品と言っている音楽を端からそのように価値づける気にはなれない。以上です。
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posted at 17:57:36

4) 「作曲課題の<実施>」に何らかの凡庸さやつまらなさが宿っているのはおおよそ想像できるが、それは単に既存の音楽教育のある場面がつまらないという話で、それを商用音楽一般にあてはまめるのは、世の中の音楽をただ矮小化しているだけである。
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posted at 17:55:39

3) 書法においてのみ新しさを求めるのは、書法の教育と鑑賞体系に支えられているローカルな制度に過ぎない。あらゆる音楽に対して、もっと開かれたきき方をすればよい。ちなみに、「現代音楽」こそはそういう凡庸な書法観を批判する場所ではないのか。
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posted at 17:55:18

2) そもそも音楽は「書法」のみによって成り立っているわけではない。一部のクラシックのように作曲行為と演奏行為とが分断されているとも限らない(そうでないことのほうが多い)。また、作曲過程において記譜に現れない演奏上の新しさが表れうる。
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posted at 17:54:57

1) 伊東乾氏の議論に「世間で流通する商用の音楽は、既存の「書法」の使いまわし」という表現がある。「書法」ということばに作曲=譜面主義が端的に現れている。譜面の簡単さによる評価は音楽の限られた部分を言い当てているに過ぎない。
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posted at 17:54:39




