永田淳一
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2012年03月31日(土)
今までの鼻血とは明らかに出方が違う。鼻をいじっていたわけでも、風邪ひいて調子が悪かったわけでも、のぼせるほど暑かったわけでもない。ただ、普通に食事をしてる最中に、ポタ、と鼻血が出始めるんだ。私は血の気が引いた。でも息子はまだ、「げ!鼻血!」って笑っていた。
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続々)まるで、取調室のように感じた校長室…。うちの子が優等生なら、もっと言えるが、お世話になっている身。言えるわけが無い…。郡山は、教室の窓を閉め切り、よしずをかけ、マスク、長袖で…。こんなの異常だ!思い出しても泣けてくるよ!
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一難去ってまた一難。5月には運動会が立ちはだかっていた。やるか、やらないか、というレベルの話し合いは予定されていなかった。「どうやって行うか」だった。運営会議の中で、私だけが「なぜこんな時に、今、運動会をしなくてはいけないのか。秋に延期することはできないのか」と言った。
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思い切り、孤立していた。あの会議の、あの時の空気は忘れることができない。5月の運動会は中止に、という私の意見は、先生方からよりも他の保護者からの反発を受けた。最後の学年なのに、何でもかんでもダメダメはかわいそう、大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なのでは?と。
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私は、自分と家族が体験したこの気持ちを、今後、誰にも、味わって欲しくない。原発いらないって叫ぶより、こうなったからには、子どもだけは守って!と叫びたい。うちの子どもだけの問題じゃないから。
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ちょうどその頃、子どもたちの同級生のママと連絡を取り始めていた。彼女も、被曝の影響を心配して、出来ればどこかに避難したいと言っていた。彼女と話をするようになって、私の中にもどこか遠くに行くと言う選択肢があるんだ、という気持ちがうまれ始めていた。それでも、時間は流れて行った。
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(続2)そんな中で、息子の、木造の保育園での被曝が気になり、2学期から避難する決意をし、先生にお話すると「お母さんの決断を尊重しますよ。個人的には淋しいけれど避難先でも元気で頑張ってください。そしていつか帰れる時がきたらぜひ待ってますよ」と。泣けて泣け仕方なかった。
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その頃の私は、逃げたい気持ちと、留まってどうにか頑張りたい気持ちとでゴチャゴチャになっていた。仕事も、子どもたちと関わる仕事だったこともあり、自分がそこで仕事をすることが、余計に子どもたちを危険な目にあわせているのでは、という気持ちにさいなまれて、仕事が辛かった。
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運動会は、予定通り実施することになったが、ジタバタする私がうるさかったからか、「全競技の合間に校庭中に散水する」「外でお弁当を食べなくてもいいように、午前中で終了」「希望者は長そで長ズボンマスク着用でもOK」という条件がついていた。
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少し前から避難について考えていたママ友が、ある日「決めました。京都へ行きます。先に行って待ってます」と連絡をくれた。頭を何かでぶんなぐられたような衝撃だった。逃げたいとか、遠くへ行きたいとか、口では色々言いながら、その実、心の中では「そんなの、無理だよ。大変すぎる」って思っていた
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でも、ママ友が本当に後ろを振り向くこともせず、ものすごい決断力で子どもさん2人を連れて避難して行く姿を見て、自分だってできる、もっと真剣に考えなくちゃ、という気持ちが一層強くなった。でも、誰に相談することも出来なくて、1人で一生懸命情報を集めた。住宅や土地柄、学校。寝られなかった
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避難したい、という気持ちを、主人にも、両親にも言えなかった。どう思われるか。主人も行くというだろうか。年老いた両親は、情報不足で私をバカだと笑うだろうか、そんなことを思うと、口に出せなかった。そんな時、生まれてから1度も鼻血など出したことがなかった娘が、学校で大量の鼻血を出した。
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まだそれほど暑くもなかったし、なんといっても、一度も鼻血なんか出たことがない娘。授業中に突然、机の上のノートが真っ赤になるくらい、鼻血が出た。白いセーラー服も真っ赤になり、30分近く止まらなかったそうなのに、担任も保健の先生も、一言の連絡もなく、制服は洗濯されていた。
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娘はもう中学生。テレビや、ネットで流れる情報も、ある程度わかっていた。自らマスクを2重にして、一度も外したことがなかった。子どもなりに、心配して、自衛していたんだ。大量の鼻血を出した自分が、もしかしたら何か影響を受けているのではと不安になって私に聞いてきた「ここにいて大丈夫?」
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大丈夫だと言っていいのか、危険だと言うべきなのか、言葉にならなかった。娘の鼻血はその1回だけだったが、息子は結局4回も鼻血を出した。2回目までは笑っていた。でも3回目は泣いていた。「死にたくないよー」って言っていた。私は「死なないよ、大丈夫、大丈夫だから」と抱きしめるしかなかった
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隣に住んでいる実の両親は、それまでいつも私が仕事の時は晩御飯を子どもたちに食べさせてくれていた。でも、いつからか、私はなんとなく母が作ってくれていた食事が信じられなくなってしまっていた。母は、特に放射能について語らなかった。知らないのだろうと決めつけて、食事を断ることもあった。
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ある日、母が言った。「最近、ちょっと遠くの野菜も手に入るよね、よかった。子どもたちには出来るだけここのものは食べさせたくないもんね。こんな生活、本当に不自由だよね」と。それを聞いて、私は、泣き崩れてしまったのだ。母は、私なんかよりもっともっと、心配して調べてくれていた。ごめん。
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仕事の時間が不規則な主人とは、なかなかゆっくり話をする機会がなかった。なんとなく、避けているのかな、とも思えてきていた。でも、何をどう言ったらいいのか、もし、避難したいと言って反対されたり否定されたりバカにされたら、きっと立ち直れないだろうと思うと、口に出せなかったんだ。
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でも、日々、避難したい、しなくては、という気持ちは募っていった。学校は、どんどん無防備になっていた。娘は部活で外を走らされ、線量の高い場所で練習試合を組まされた。息子は長そで長ズボンマスクで運動会の練習をしていた。
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ある日、ツイッターで朝のワイドショーで自主避難を特集すると聞いた。その頃、やっと各地へ避難して行った人たちが取り上げられ始めていて、その時はちょうど長野県の松本市へ避難した親子さんのことをやっていた。私は何食わぬ顔で、主人が見ていたテレビをその番組にかえた。主人は無言で見始めた。
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主人は黙ってテレビを見ていた。テレビの取材に答えていた方は、小さなお子さんを外で遊ばせることができる、マスクも必要ない」と言っていた。番組が終わった時、主人が言った。「住むところがどうにかなるなら、お前たちだけは早く避難した方がいいんじゃないか?それとも、もう遅いのか?」
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堰を切ったように、受け入れてくれる場所があることや、他にも色々と支援体制が整いつつあることを説明した。主人の決心は早かった。「じゃ、来週長野へ下見に行くぞ」。 ただ、主人は「仕事は今スグにやめられない。この年齢で同じ給料がもらえる仕事があるとも思えない。とりあえず、お前たちだけ」
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そうだろうとは思っていたけど、避難するなら家族がバラバラになるのだという現実が辛くて、せっかく主人が避難しなさいと言ってくれたにも関わらず、私の決心は逆に揺れてしまった。私が子どもたち2人を連れて見知らぬ場所で生活なんて出来るだろうか。ここに残る主人や両親に申し訳ない気持ちも。
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震災後いつ余震が来るかわからず怖かったので、私と子どもたち二人は同じ部屋で寝ていた。寝る前に、「もしここから引っ越しをするとしたら、転校になっちゃうけど、ついてきてくれるかな?あなたたちの体がね、心配なんだよ」とよく話していた。2人とも、「行くよ」と言ってくれていたのが救いだった
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隣の両親に、避難するかもしれないと伝えた。母は「やっと決めたんだね。よかった。こっちからあれこれ言うと、きっと困るだろうと思って言えなかったけど安心した。パパ(主人)のことは任せなさい。安全な物使って食事作るから」と言ってくれた。私は、こんな年になってもまだ母に迷惑をかけるのかと
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本当に本当に、申し訳なくて涙が止まらなかった。なぜこんなことになったのか、大事な家族と離れ離れにならなくちゃいけない、私が何かしただろうか?悪いことをしただろうか?私が何も気にせず普通に暮らしていられる人だったら、子どもたちも転校なんかしなくて済んだのだろうか、と。
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先日、具合が悪い時に「あんたらが、外で無邪気に遊ぶのを見るの好きなんだよ」と子どもに言ったら、「死ぬひとみたい。そんなこと言うな」と返事をされた。死ねるわけないじゃん。脳溢血で倒れた時の母を思い出す。子どもの私を置いていけるわけがないと生還した。今なら母の気持ちが分かる。
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主人も、1人暮らしは経験あるし、大丈夫、お義母さんにご飯は頼ってしまうけど、それ以外はできるし、お前たちが安全なところにいてくれれば、もしまた何か事故があっても、お義父さんとお義母さん連れて逃げる場所があるから助かるよ」と言ってくれた。その数日後、長野県上田市へ下見に行った。
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本当は松本市にしようと思っていたが、テレビで流れた影響か、住宅に空きがなく、キャンセル待ちだと言われた。出来るだけ距離が遠い場所がいいとは思っていたけれど、海を越えることがとてつもない壁となっていたため、まずは陸続きの長野県に絞った。
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上田市はこじんまりして素敵な場所だったが、空いている住宅が狭すぎて、うちのように大きな子どもを連れて行くとなるとちょっと厳しいことがわかった。6時間もかけて行ったけど、結局あきらめるしかなかった。がっかりしてる私に主人が言った「どうせなら、思い切って遠くへ行った方がいいよ」
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posted at 01:22:22
「避難する理由を考えたら、ある程度の安全が確保できる場所じゃないと、後で後悔することになる。北海道か、沖縄か、どっちかがいいと思う」 私も同意だった。子どもたちに意見を聞いてみた。2人とも、口を揃えて「北海道がいい。暑いより寒い方がいいから」と言った。行き先が決まった。
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posted at 01:26:00
行き先が決まってからは、すべてがあっという間だった。1日でも早く子どもたちを遠くへ連れて行きたい、そう思う一方で、もう小6と中2になる子どもたちの気持ちを無視することはできなかった。2人とも、思うところはたくさんあっただろうが、一度も行きたくないとは言わなかった。
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娘も息子も、1学期だけはここで、と言った。私は頭の中で(3月から4カ月も経ってしまう)と思った。もっと早く、出来るだけ早く、そう思ったけれど、大事なものをたくさんたくさん手放して行く覚悟を決めてくれている子どもたちの、心も大事にしてあげたかった。出発日を1学期終業式翌日に決めた。
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北海道の受け入れ態勢は素晴らしかった。雇用促進住宅は、電話したらすぐに申込書をFAXしてくれて、私も直ぐに記入して返信した。同時に、入居前の準備期間として3泊のホテル予約も無料でしていただけた。金持ちでもない我が家は、潤沢な避難資金があるわけではない。本当に助かった。
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家電は、避難先に入居してから3週間ほどで支援物資としていただけるとわかったが、真夏で冷蔵庫がないままの3週間は厳しい。洗濯だって、大きな子どもたちがいれば毎日するだろう。やはり、出費があれこれと出てくる。そんな時、ツイッターでは見ず知らずの方が洗濯機を譲って下さると。
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posted at 01:40:26
そんなありがたい御縁もあるのだと、心から感謝して譲っていただいた。その方はその後、やはり御縁があったのか北海道へ移住され、まだお会いするチャンスはないのだけど、連絡を取り合っている。そして、ツイッターには、おなじように北海道へ避難する人、した人が大勢いて、ほんとうに心強かった。
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小学校の運動会の前日、準備でバタバタしていた時、何気なく校長先生と話をした。「やっぱり、ここまできても、秋に延期できなかったのか、って思ってしまいます」と私が言ったら、「基準値、今は20ミリだけど見直されて厳しくなったら、運動会は出来ないかもしれない。今やらないと」と校長が言った
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posted at 01:48:04
ちょうどその頃、娘はもう気持ちが切り替わっており、北海道の転校先の学校のHPを見たりしてけっこう楽しそうにしていた。でも、息子は、嫌だとか行きたくないとか一言も言わない代わりに、避難先の事は何一つ聞いて来なかった。転校先の学校名さえ、聞こうとしなかった。私は少し心配していた。
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もしかしたら、息子は行きたくないのではないか、男の子だから、父親と離れるのが辛いのではないか、おじいちゃん、おばあちゃんが大好きだったから、寂しいのではないか、色々考えると、避難すること自体、本当に子どもたちのためになるのだろうか、とまで考え始めてしまって、苦しかった。
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posted at 01:52:22
そんな息子を見ていたら、運動会に出るなとは言えなくなってしまった。別に運動が好きなわけじゃない息子だが、「出たい?」と聞いたら「あたりまえでしょ」って言われてしまった。でも、「ちゃんと長そで長ズボン、マスクもして出るから」と自分で言った。そんな姿の運動会って・・・と複雑だった。
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子供たちをつらいめにあわせているんだろうか、と悩んでいた時に、校長先生の「今、運動会やらなくちゃ出来なくなっちゃうよ」という言葉を聞き、(あぁ、ここに子どもは預けられない。避難は正解なんだ)と確信した。私がつらそうだと、子どもたちももっとつらくなる。絶対に笑っていようと決めた。
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息子のことが気になっていたが、特に嫌がることもなく荷造りしたり、先生へ転校の挨拶に行ったりしていたので、時間が解決してくれるかな、と思うようにした。とにかく、親が不安そうだったり、嘆き悲しんでいたら絶対に子どもにもそれがうつってしまうと思い、明るく明るくと呪文のように唱えていた。
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ツイッターで知り合った、同じく札幌へ避難する予定の方が、息子と同じ年の息子さんがいる、とわかった。息子にそれを話したら、ちょっと表情が変わった。はじめて、「へー、どんな子かな?ゲームとか、するかな?いつ行くんだろう」って聞いてきた。やっぱり不安なんだな、と思うと、胸が痛んだ。
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娘は親の私が思うよりずっと強かった。すごく仲のいい友達が複数いて、みんなで同じ高校へ行こうと約束していた。でもきっと自分は行かれない。どう思っているんだろうかと心配していたが、「元気でいればまたいつでも会えるからさ」と満面の笑みでこたえた。私はこの言葉にどれだけ救われただろうか。
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1学期の終業式。札幌への出発を翌日に控え、最後の挨拶を小学校と中学校へしに行った。小学校の担任の先生は、涙を流して「さびしいです。ごめんなさい、守れなくて」と言ってくださった。でも息子は平然としていた。先生は、「最近の写真と皆からのメッセージです」とアルバムにしてくださった。
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中学校では、娘は部活に出てから帰ると言っていたので遅い迎えになった。職員玄関では、担任の先生、教頭、校長、学年の先生、部活の顧問がずらっと出てきてくださり、「またいつでも帰ってきてください」と言ってくださった。娘も、平然としていた。先生方は泣いていた。友達も泣いていた。
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2011年7月21日、私たちは14年間暮らした家を出た。そんな事、まったく望んでいなかった。ささやかだけど家族みんなで、とても幸せな生活を送っていたんだ。家を出る時に、主人が部屋を振り返って言った言葉は、今も胸に突き刺さっている。「あー今度帰ってくるときは、ここに1人で戻るのか」
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posted at 02:21:15
両親も、泣かなかった。私も、泣かなかった。子どもたちも、泣かなかった。みんな、こうするしかないのだと、わかっていたから。心の中は張り裂けそうに辛くて、出来ればどこにもいかず皆で一緒にいたかったけど、それはできなかった。後戻りはできなかった。後で後悔するのは嫌だった。
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posted at 02:24:24
仙台港からフェリーに乗った。子どもたちは、笑顔だった。主人も「ほっとした」と言っていた。私も、家を出た時の何とも言えない気持ちがおさまり、フェリーに乗る頃には先のことを考えることができていた。仙台港は、テレビで見たあの光景が本当に広がっていた。これは現実なんだとあらためて思った。
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posted at 02:29:13
7月22日、苫小牧へ到着。主人は旅行で来たことがあるものの、私も、子どもたちも初めての北海道。なんだか、外国へ渡るかのような寂しさがあったけど、いざ着いてみたら、あたりまえだけど、普通に、そこは、日本だった(苦笑) 子どもたちはすごくテンションが高く、楽しげだった。
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posted at 02:37:24
子等の荷物などとりに、郡山に帰ってみたけれど…まあ、当然の様に小学校の校庭に人影は無し。みな春休み利用して保養に行ってるのか?…それならいいけど。たまにスーパーにいる、ばあちゃんに手を引かれている小さい子供達…婆様同士、外で世間話してちゃいかんでしょ、あんたはいいけど幼児は。
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posted at 02:39:36
とりあえず、避難までの諸々はここまで。ただ一つだけ、いまだに泣けてしまうことがある。一度も転校を嫌だと言わなかった息子。最後の日も泣かなかった。。。と思っていた。が、違った。先生が下さったアルバムの中には、お別れ会で皆に囲まれて号泣する息子が写っていた。どれだけの寂しさだったか。
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posted at 02:40:08
男のプライドがあるんだろうな、きっと。だから、写真見たよ、なんて、息子には言って無い。でも、きっとつらかったんだろう。卒業まで半年だったのに、本当にごめん。何度も心の中でそう謝った。そして、それ以降そのアルバムは一度も見ることが出来ていない。 いつか、また、見られる日がくるのかな
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posted at 02:42:32
そうやって被曝してる小さい子が沢山いるんだなと…やっぱり「ただちに影響無し」が効いてるのかなー…何事もないかの様だった。でも静かだよね、前と比べて。皆家の中で息を潜めてるかんじがした、何事も起こらない様にって祈りながら…
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posted at 02:43:18
やっぱり今回も私にはできなかったな、窓開けて換気したり外に干したり。だから避難したんだな。一週間位なら(百歩譲ったとして)まあ仕方なく用事で郡山に立ち寄る事も出来るけど、やっぱりじわじわとこれからも低線量浴び続けるのはだめでしょう。
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posted at 02:46:54
mamecat self-mainte中 @mamecat798
@cont_mama まっちゃさん、私の「去年の夏」と重なるところがあって、思わず読み進めています。郡山からとうとう連れ出せず、春休みで避難先のこちらに出てきていて、すやすや眠ってる今度中3の息子…の寝顔を見ながら号泣中です。
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posted at 02:47:12
mamecat self-mainte中 @mamecat798
小学生は親の言うことを聞くでしょう。高校生は自分で調べて判断できるでしょう。中学生はそのちょうど間で、大人よりも友達が大切。親が言っても反抗するばかりなのです。@bc5b47d @masason 部活なぞ親の判断で休ませるべき事。健康安全より部活が優先するか自分の頭で考え判断
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posted at 02:56:38
そうだ、しつこく最後にもうひとツイ。避難して8カ月。娘は多くのお友達と素敵な先生方に支えられ、本当に楽しく学校生活を送っています。来月から受験生!息子もいい友達がたくさんできて、来月から中学生です。私もパートですが仕事が決まり、ただいま研修中。主人は月に1回来道してます。
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posted at 03:12:05
生協の募金箱を、どうせ自主避難のわが家には、届かない…と見ていたら、福島県の子どもを会津や県外に保養させるためと目的が書いてあり、気持ちが満足した。放射能は、目に見えないから、外で遊べなくもないが、中通りの子どもが心配なだけ。
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posted at 07:39:44
東電からのお金、ホントにすぐ振込まれるらしいね。パパの同僚、パパの兄夫婦は、すでにもらったらしい…。私は、敵に塩をもらう気分でもない…。そのお金は、どこから出てるんだろう?人と違うことが気になる性分なもので…。
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posted at 07:48:29
@mamecat798 郡山で除染すらしてない頃、友達とチャリで遊ぶ10代、周りが田んぼの道を部活で走る中学生、4月初めには高校の野球練習を見ては、泣きました。うちの子は、2人とも小学生だから避難してくれました。明日からは、中学生になります。
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posted at 07:59:09
昨日は76(?)ツイも連投してしまったんだー・・・シツレイしました、ホントに。勢いに任せて書いていて気付かなかった。。。きっとみなさんのTLが夜中にとんでもない状態になっていたんでしょう・・・申し訳ありません。140におさまらず端折った部分もあるけど大げさに書いた部分はありません
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posted at 08:59:15
今テレビで泉ピン子の熱海の豪邸拝見ってやってるけど、その中で、廊下にも張り巡らされた暖房器具を紹介しながら「電気がこんな事になるなら、つけなかったんだけどね」と。
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posted at 12:31:41
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NO NO ツイですが、去年の今頃だったか、TLにひとつずつ登場してきたんです。1人が「枝NO」次の人が「細NO」って。でも、元ツイが見つからなくて、あらためてまとめました。でも、オリジナル版は、最後に「Yes, we 菅!」がくっついていたんですよ。
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posted at 17:51:15
自分のことを呼び捨てにする金太郎みたいな2年生の口の悪い女の子が、実は1番接触してくる。外では手を握ってくる姿を見ると、その年で親御さんなしで来ていて寂しいべなあ、といじらしくなる。
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posted at 22:42:30
母子避難させ、福島市に残って自営業を続けていた男性の友人(福島市在住土木業)の肺に腫瘍が。その友人に「お前は何かおきる前に避難しろ」と言われ男性も恐ろしくなり最近避難してきたと言っていた。放射能を気にしてない大人が周りの異変に徐々に気付きはじめている福島市。
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posted at 23:50:30