永田淳一
- いいね数 14,753/13,639
- フォロー 321 フォロワー 180 ツイート 9,970
- 現在地 東京都北区滝野川 → 長野県松本市島立
- Web http://twilog.org/junichi_nagata
- 自己紹介 アイコンはきのこの「セシ・アート」。(アン)フォロー、スパマー報告、トゥギャり、パクツイなどご随意に。基本フォロー返し無し。(since 110403) http://favolog.org/junichi_nagata
2013年03月02日(土)
バンダジェフスキー博士を引きずり下ろしたい人は、推進側ばかりでない。反原発サイドも大勢いる。医師も、物理学者も、一般人も。この問題に携わる人で、思いもかけない人が実は彼を狙う。僕は彼を万能とは全く思わないし、問題点も分かる。しかし、引きずりおろそうとする人達の本質は嫉妬。卑しい。
タグ:
posted at 05:01:11
政治家:今日ほど政治家が劣化したことはないのでないか。選挙にとおるためなら何でも言ってやる。原発反対。TPP反対。増税反対。受かったら、俺しらねー。上の人が決めるんだし、私にゃ従うしかないんだし。上は上で首相の座につけるなら国をうろうとなんだろうと、米国追随に徹します。
タグ:
posted at 16:09:14
免震棟の外にあるスピーカーから流れていたクラシックが頭の中から離れないw Pachelbel - Canon In D Major. Best version. youtu.be/NlprozGcs80
タグ:
posted at 16:34:35
おしどりマコ@脱被ばく。知りたがりの怒り @makomelo
今日からほぼ復活です!心配してくださった方々ありがとう存じます!上杉さんのお母さまが果物を、龍作さんの奥さまがポトフとおかゆを届けてくださいました!偶然たくさんのリンゴジュースもお送り頂き、愛をたくさん感じました、本当にありがとう存じました!!
タグ:
posted at 17:41:45
⑳情けない話だが、私は電化製品などにからきし弱い。もちろん、コードの配線など出来るわけも無い。PCの設定だって何だって、まったくできない(使えるが)。主人が帰ってからはそういったことが全部のしかかってきて、しばらく半泣きでやっていた。電球の交換も、実はほとんどやったことが無かった
タグ:
posted at 19:31:53
(21)自分がいかに主人に頼って生活していたのかを痛感させられる日々だった。生活力の無さに落ちこみ、こんな事で子どもたち二人をちゃんとみて行けるのか、と不安でいっぱいだった。8月末に子どもたちの2学期が始まり、日中家に1人になると、余計に心細さが募った。誰とも話さない日もあった。
タグ:
posted at 19:56:57
(22)団地には、同じ母子避難の方々も多かったが、みんな、うちより小さな手がかかるお子さんを抱えながら、活発にどんどん外へ出て行く姿を見ると、もう大きい子ども二人なのに、見知らぬ土地でなかなか行動範囲が広がらない自分が情けなくて、落ち込む日々だった。
タグ:
posted at 20:04:02
(23)こんな事ではいけない、と、子どもたちの心配がなくなった9月半ばから2カ月、バイトに出た。が、仕事に慣れてきた矢先、高熱を出して倒れたり、その後もなかなか回復せず、休みがちになってしまったりして、自分の、働きたい気持ちと、心労やストレスからくる体の不調が、かみ合わなかった。
タグ:
posted at 20:13:47
(24)でも、高熱で身動きとれなかった時、布団の中からツイッターに「発熱なう」と書きこんだら、近所のママさんがパンを差し入れてくれたり、カレーを作って炊きたてのご飯と一緒に持って来てくれた人もいて、感激して泣いた。もっと外に目を向けて人と交わらなくちゃいけないな、と痛感した。
タグ:
posted at 20:46:05
(25)同時に、ずっと一緒にいて子育てを手伝ってくれていた両親のありがたみをあらためて感じていた。孫が生まれてからずっとそばで支えて来てくれた父と母。遠くになんか行かせたくなかっただろうな。離れたくなかっただろうな。でも、声を聞くと寂しくなるからと、あまり電話をしてこなかった。
タグ:
posted at 20:51:28
(26)ちょうどその頃、東電にたいして申し立てをしませんか、という声がかかった。もちろん、無料ではない。通常と比べたら格安なのは間違いないが、ただでさえ財政難なのに、と悩んだ。が、家族で相談し、結果がどう出ようが第一陣で声を上げることが大事なのでは、と思い、ADRがスタートした。
タグ:
posted at 20:56:07
(27)我が家のADR担当はSAFLANの弁護士さん。最初に札幌まで足を運んでくれた時、お昼を挟んで5時間くらい、私の話をひたすら聞き続け、途中、息子がお別れ会で号泣している写真を見て一緒に涙し、「やりましょう」と言って下さった。聞いてもらえたことで心が軽くなったのを感じた。
タグ:
posted at 21:02:14
(28)自ら声を上げることにずっと恐怖を感じていたが、話すことは自分自身を癒すことでもある気がしてきていた。ラジオやUstのインタビュー、講演会などに呼ばれた時は、出来るだけお受けして話そうと決めた。でも、それをあまりよく思わない人がいるということも知り、複雑な心境で悩んでいた。
タグ:
posted at 21:11:03
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
(29)自分が福島で見たこと、経験したこと、感じたことを話しても、いまさらそんな、とか、知ってるよ、とか、そんな反応なのかもしれないと思っていたが、いざ意を決して話してみると、知らなかった、初めて聞いた、そんなに大変だったのかと言われた。伝えないと伝わらないと気がついた。
タグ:
posted at 21:57:45
(30)子どもたちはまったく問題なく学校にも友達にも馴染んでいた。何となく自分だけが福島にいた時の自分とは違ってしまったようで、居場所が無いように感じていた。ずっとしてきた仕事を手放してきたからだろうとはわかっていたが、また同じことが簡単に出来るとも思えなくて身動きがとれずにいた
タグ:
posted at 22:56:35
(31)主人は月に1回は来札するようにしてくれていたが、時間がたつにつれて札幌暮らしに慣れて来てる私と子どもたちを見ると、ホッとすると同時にどこか寂しく感じる部分もあったようだった。団地の部屋はゆっくりくつろげる自宅のようなスペースもなく、なんとなくいつも落ち着かないそぶりだった
タグ:
posted at 23:50:59
(32)主人が来札しても、娘は部活があり土日ともに不在だったり、息子も友達と遊ぶ約束をしてきたりで、家族4人がそろうことはほとんどなかった。主人はそれでも「仕方ないよ」と言って文句を言ったりはしなかったが、内心、寂しいのかなと思った。私も、何を買うにも必ず4つ揃えて買うようにした
タグ:
posted at 23:55:58