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2014年01月20日(月)
結城は先生に恵まれていたのか、学校の授業にほとんど不満がなかった。特に英語と数学。数学はとても楽しかった。メルマガにも何回か書いたけど、友達の解いた問題をみんなで読み直す授業は、今考えてもめちゃ楽しかった。サンデル先生みたいな先生がバシバシ生徒の解法の穴を突いたりして。
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posted at 18:10:56
あの経験はどこかで大きく数学ガールの「村木先生」に繋がっていると思う。高校時代にたっぷり数学と英語で「遊んだ」経験は、自分の自信にも繋がっているかも。たとえ今はわからなくても、しっかり読んでみよう!的な。数学と英語は、中高生のチャレンジ科目ですよね。
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posted at 18:13:54
高校時代。もちろん「数学ガール」みたいなロマンスはなかったけれど、好きな子はいたし、結城のことを好きな子もいたはずだと思いたい。高校の校舎の中には小さな宇宙があり、その中で喜んだり悲しんだり、競争したり、好き・嫌いの思惑が飛びかったりしていた。それはきっと、現代も変わらないはず。
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posted at 18:20:12
そんな中、高校の「数学」は特別の意味を持っていた。十代の若き男女がたった一点、頭の回転だけで競い・喜び・味わう。そんなステキな科目。仲間はたくさんいた。問題を出し合ったり、先生を出し抜く解法をみんなで考えたり。数IIIの難問を、数Iの範囲だけで解いたり…サンデル教師もあきれてた。
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posted at 18:24:41
そういう経験は、理系中高生の喜びだった…と思いたい。似たような経験を今の理系高校生・高専生もやってるはず。それは若者のひとつの特権。体育では散々負かされても、数学では負けんぞ!と思った人もいるよね?ねねね?
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posted at 18:28:00
でもわかってる。賢いからえらいとか、走るの速いからえらいとかじゃないんだ。「自分の持ち場」で力いっぱい動けることが大きな喜びだったんだ。純粋に。頭や身体が求めていた。それが若さなのだと、今にして思う。
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posted at 18:30:34
私がずっと不満だったのは、いわゆる学園ものでハカセ的な役回りの人にフォーカスが当たらないこと。ちょっとちがうけど、数学ガールの「僕」みたいな、あまりとりえはないけど数学が好きな人にフォーカスを当てたかった。応援したかった。
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posted at 18:33:52
しかも、単純に「数学ができるキャラ」じゃなくて、数学を普通にしてほしかった。だって、数学好きな人たちって、性別はさておき、呼吸するように数学してるもの。日常会話で問題出し合ったりしてるもの。そういう人たちがちゃんといるんだよ、と作品で例示したかったんです。
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posted at 18:36:38
たとえば都会の進学校なら、そんなのはあたりまえ。でも日本は広い。田舎の高校で、一人で数学に魅かれている人はたくさんいるはず。孤独の中で。男子も、女子も。そういう人たちにエールを送りたかった。読者さんからのメールを見ていると、全国のそういう高校生にきちんと届いているみたい。
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posted at 18:39:56
それはすごくうれしいことです。特に、数学が好きで、でも女友達に合わせるために数学好きを隠している女の子が意外といる。でもそういう女の子たちから感謝された。「数学ガール」を書いてくれたおかげで、友達に「数学が好きでもキモくない」と思ってもらえた、って。
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posted at 18:42:47
そんなふうに、全国の「数学好きな中高生」に応援してもらっていることが、私にとっては深い深い喜びです!
…はっ、何かたくさん語っちゃった?!そろそろ饒舌スイッチ切って、仕事に戻ります…m(_ _)m
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posted at 18:45:22