シタン先生(メインアカ変更しました プロフ参照)
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2016年03月04日(金)
移民を導入しないと言っておきならこれだからな。
自民党が移民に関する議論開始、3月中旬に特命委発足 木村義雄議員「成長を確保するには外国人労働者を受け入れるしか方法はない」|保守速報 hosyusokuhou.jp/archives/46990... @hoshusokuhouさんから
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posted at 07:23:41
井上和彦氏は、シンガポール戦跡巡りの中で「インド国民軍(INA)」に大きな紙幅を割いている。インド国民軍は、日本政府の支援下でインド人捕虜などで編成された、インド独立を支援する軍事組織で、戦後のインド独立にも一定の影響を及ぼした。 pic.twitter.com/z5DWbIsh5q
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posted at 14:01:54
その辺りの話は拙著『世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』(学研)の序章でも触れている。先の戦争中における日本政府の政策が、植民地の独立に寄与した一例だが、日本軍のシンガポール侵攻とインド独立運動は直接関係ない。インド独立を支援する目的でシンガポールを占領統治したわけではない。
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posted at 14:05:30
シンガポールにはインド系住民も多く住んでいることもあり、シンガポール国立博物館や旧フォード工場博物館にはインド国民軍に関する展示も存在する。しかし井上和彦氏は、それと並んで展示されている日本軍の虐殺などの説明を徹底的に無視している。 pic.twitter.com/x9V6eVOYDP
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posted at 14:08:05
太平洋戦争当時、英植民地のインド国内で活動していたガンジーらの独立運動指導者は、日本軍のアジア侵攻に不信感を抱いていた。例えばガンジーは、日本軍のビルマ占領から一か月後の1942年7月17日、「全ての日本人に」と題した、次のような公開意見書をインドの新聞『ハリジャン』に寄稿した。
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posted at 14:09:23
(続き)「私はあなた方(日本人)に対して、全く悪意は抱いていません。けれども、あなた方が中国に対して行った攻撃を嫌悪しています。あなた方は、崇高な場所から、帝国主義的な野心の場所まで降りてしまいました」「もしあなた方が、インドの独立を望んでいるなら、イギリスがインドの独立を承認し
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posted at 14:10:32
(続き)た時点で、皆さんがインドを攻撃する口実は無くなります。一方、もしあなた方が、イギリスが撤退した後のインドに入ろうと考え、それを実行するならば、わが国は全力であなた方に対して抵抗するでしょう」インド独立運動で中心的役割を果たしたガンジーは、日本の助けなど期待していなかった。
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posted at 14:12:08
日本会議や産経新聞の出版物だけ見ていると、インド独立はあたかも「日本が支援したインド国民軍によって成し遂げられた快挙」のように見えるが、実際には言うまでもなく、インド独立を実現した最大の功労者は、ガンジーやネルー、ジンナーらを指導者とするインド国内の独立運動に参加した人々だった。
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posted at 14:13:35
そもそも日本政府がインド独立を支援したのは、それが結果としてイギリスの国力に大きな打撃を与えるからであり、博愛主義的な「植民地解放」の理念があったからではない。もし後者があったなら朝鮮人の民族自決権をまず認めていただろう。フランスのベトナム植民地支配も黙認し、逆に圧政に加担した。
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posted at 14:14:47
井上和彦氏は、「武士道」という言葉を多用して、シンガポール占領は「武士道精神」に基づいて行われ、シンガポールは「昭南島」となった、と書いているが、客観的に見れば、軍事力で占領して住民を虐殺し、島の名前を勝手に変え、敗戦まで自国領として扱う行為は「武士道」でなく「侵略」と評される。
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posted at 14:16:10