大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年04月13日(金)
『スピノザの方法』の手頃なレジュメ。そうそう、分かってる人には単に分かってる。(^-^)/「ここまで言うのを我慢していたけれど(國分)、ほぼこれは「悟り」に近い。」 RT: 國分功一郎スピノザ入門第1回 その5 『知性改善論』の方法論 t.co/VLfTiWX9
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posted at 02:07:00
分からないというある種の疎外や二元論を一々例えば心身と実体的に表象するのが近代であるのではない。自然=神こそ近代だ、というスピノザの方法を通じた問題。t.co/HRTogCFV
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posted at 02:08:33
よく纏まっている。「スピノザを否定した近代=説得の論理=明晰判明=真理の公共性→つまり、共有できるものだけが真理」VS「スピノザは分かる+分かることが分かる」(^-^)/ 國分功一郎スピノザ入門第1回 その5 『知性改善論』の方法論 t.co/VLfTiWX9
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posted at 02:17:04
t.co/topNqbBS この「分かる+分かることが分かる」という私的な悟りのようなものを、あえて他人と共有する必要があるのかとか、他人も同様に分かってると踏まえるべきなのか、というのが、したがって問われる。私はスピノザ同様、他人も分かっていると感じる。
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posted at 02:30:06
他人はわかっていないはずだというこの問の立て方自体が極めて近代的だ。また自由意志2.0が言及するGoogleの汎知主義も、その点では何ら分かっていないことになってしまう。それがスピノザ的な「分かることを分かる」と認めない(共有しない)ビジネスなら、誰も自由を感じないというだけだ。
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posted at 02:37:36
つまり、他人は分かっていないはずだ、という認識の枠組み自体、平たく言えば上から目線とか情報格差と呼ばれる差異の捏造こそ、そろそろ無理がある。なぜ他人が分かっていないと独り善がりに思い込むことが出来るのだろう? これが近代という問いだ。
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posted at 02:44:39
国民国家であれ啓蒙であれ、全ては相手を差別的に見下す原理でしかない。そこにはいくらあがいても論理性は微塵もない。たとえば教育も、分かっていないはずがないと踏まえてこそ、はじめて言葉が通じるようになる。この点を履き違えた認識は全て「分かっていない」。
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posted at 02:46:01