大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年04月22日(日)
さっきの音楽を他者として聴くこと、という@neojazz さんのスパルタレッスンみたいな高校国語のテスト問題のPDF t.co/KxS4YuSU 要は音楽が何であるか論じるのは空疎だが、音楽をどう共有するかは国語になっちゃう。@tampny
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posted at 00:17:28
(読書メモ)國分186~200p デカルトを論じるスピノザと、そのスピノザを論じる國分で、用語法(概念布置)がめまぐるしく反転して対立項が捉えづらいしこの段落は錯綜しすぎているが、観念は実在の表象ではない、というスピノザに。 t.co/5HtimmNg
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posted at 00:34:44
(読書メモ)國分200p デカルトの公理の順では真の懐疑が不十分で、実体を表象するのは心像だけで、観念=精神は何らの表象ではない。スピノザがそれを真の順序にすると、観念は観念の表象でしかない、ということになる。つまり観念こそが表象される実体だ。この観念=実体は確かに分かりづらい。
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posted at 01:01:22
(読書メモ)國分200p したがって要約は意味ないが、スピノザは分かっている人と分かっていない人が実在してる。実在する人の観念は、外界が原因(つまり影響)ではない。にも拘らず、デカルトの公理の順では、こうした真の懐疑が隠蔽される、と言っているように思えた。
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posted at 01:10:45
(読書メモ)國分200p 表象はデカルトの公理の順では、知覚=映像が心像になることで、それに対して精神である観念は独立している。つまり懐疑していない。それに対してスピノザはそれを疑っている。という意味内容だろう。
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posted at 01:12:38
(読書メモ)國分200p このようにデカルトの真の順序で、スピノザがデカルトの公理を整序すると、表象が実在を表す心像(イメージ)から、観念(精神)を表す観念に、なってしまう。言い換えると、デカルトはそれを疑っていない。という話になる。
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posted at 01:14:47
(読書メモ)國分200p 要約できないので敷衍すると、デカルトの公理順では、精神が原因の表象とは単に幻覚や幻聴ということになりかねない。しかし、それを整序すると、精神が実在(分かっている人)になり、分からなっていない人の観念への懐疑が生まれる、そんな話に一応見える。
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posted at 01:23:10
(読書メモ)國分200p デカルトの公理順は偽なので、分かっていない人(観念)の実在性を問えない。つまりむしろ観念の共有を拒否している。それは思惟していないことだ。そんな文脈のようなのだが、いまいち眠いのでわけがわからん。考える故に眠いのではないが、眠い故に命題化が出ないw
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posted at 01:27:23
(読書メモ)國分200p 眠いので短絡させると、デカルトの公理のままでは、くだらないやつを判別できず、幻覚や幻聴の病気になるぞ、とスピノザが心配してる、という話のようで。そう考えると眠れそうね、そろそろ寝支度(^-^)/
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posted at 01:47:32