大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月16日(水)
(読書)エチカの太陽の刺激の例は、実はデカルトが起源で、この点はほとんど論じられたことがないという。太陽の熱さを知覚しても、科学的な太陽の大きさや距離が判明になるわけではない。だから、所与の真、与えられた観念は、定義上の真偽が判明な幾何学でなければならない。
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posted at 04:42:38
(読書)要するに、言葉即神という幾何学を想定せず、神即自然と発想する読みこそ、実はスピノザのテクスト自体に存在しない、何か妄想的な要素なのだ、という國分氏の読み、朝のこの時間にふさわしい爽やかさだ。
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posted at 04:59:32
(読書)ところで、日本のスピノザ受容。日本の近代性は思惟する自我の輸入と言われるわけだが、スピノザのテクスト自体と対比すると、そうしたデカルト的な要素は、西欧化より以前から日本にないわけではない。神即自然はアニミズム的であり、ないのは言語即神のようなユダヤ文学的な要素だ。
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posted at 05:15:05
(読書)スピノザとの対比で明らかになるのは言語即神とは異質な、自然即神を思惟する自我が、西欧化で輸入された近代性ではないという点だ。むしろ自然即神が日本では先鋭化してしまい、言語即神という読みが中途半端になるため、つねにデカルト的な西欧を、自我性として憧れてしまうのかもしれない。
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posted at 05:20:39
■ツイートまとめ日記■「スピノザ幾何学の爽やかな朝(^-^)/」t.co/syYEcsTy スピノザを神即自然と読むと、幾何学としての言語が歪んで受容される。日本の西欧化でことさら言われる自我性も、実はそうした歪んだ幾何学が原因?という自分用ツイート切り抜き帳です。
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posted at 05:59:37
世界はまず二元性として(二元論的に)我々の前に現れている。しかし認識行為がそれを統一性(一元論的)に作り上げる。この基本原理から出発する哲学は、一元論哲学又は一元論と呼ばれる。この立場の対極に二つの世界の理論又は二元論が向かい立っている。-自由の哲学-
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posted at 06:36:51
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