大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年07月21日(土)
(メモ)感覚を経験論のいう性質と区別すると、古典的諸哲学が反省から見失った連合を取り戻し、カント主義が拡大した悟性から反省を取り戻し、感覚の身体への照応という反省によって、印象や実存から、世界湧出としての知覚という現象の核心を取り戻せる。 t.co/C3Ueuj38
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posted at 18:55:39
メルロを読むつもりなかったんだけど、元々私は、存在の知覚(自分がいるという実感や自分が愛されているという感覚)は、ビジュアル(見る主体になること)とは相容れないと執拗に言ってきただけに、全部視覚に呑み込んで、科学が形骸化させた存在の知覚を取り戻そう、というのは、説明にしか見えん。
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posted at 23:34:17
t.co/bkIBLanr メルロ知覚の現象学序論4現象野。感覚を科学は経験論で性質にしてしまうが、それは存在の連合(自分がいるという主体性の記述=一個の存在の知覚→一個の存在の系譜学)を、悟性として保留(省略)するという、カント主義の偏見に過ぎない。
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posted at 23:43:25
西欧の文脈で、哲学と科学は、一方は存在するという実感を探求し、他方は、それを省略して宇宙の統一理論を妄想する、という戦争でしかないので、あらゆる言説は読む前から了解可能だが、問題は両者とも方法論がない話で、どう方法論に言及するか、しか面白みがない。西欧なんてそんなもん(^-^)/
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posted at 23:59:48