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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2012年12月25日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

内部=心も機能も現象学的にはない。現象に内部はない。ちなみにセンター評論の書き手の大半がプロパーな初期メルロの知覚の現象学では、性欲という機能も知覚もないことにされていく。内部はない。twitpic.com/bf9oqm @Osiokiman @Lostlumis

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posted at 00:04:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

ツイートまとめ@FB(^-^)/ (読解塾)国語にとって現象学とは主客ではない<ありのまま>を「幾何学的」に問える唯一的なテクストなのだという。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 04:20:09

辻井 勝 Katsu Tsujii @aoinatsunosora

12年12月25日

@sunamajiri ありのままだけだと足りないですね。

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posted at 04:28:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

うん、その現象学=ありのまま、というのは一昨日のA先生の忘年会の生中継で、A先生が勢い余って口にした名台詞でした。まあある意味端的ではあるが、上空飛行的ではあるww(^-^)/ @aoinatsunosora ありのままだけだと足りないですね。

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posted at 04:30:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

おそらく現象を<ありのまま>と名づけてしまうと、いわば逐次的な現象学の方法が閉ざされてしまう、だから現象は現象といわないと語弊がありそうですよね、私もそう思います。はじめることが問題となり、現象学の継続が問題になるから。@sunamajiri @aoinatsunosora

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posted at 04:40:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

私から見ると、とくにA先生は、ヘーゲルの始め方で、うま始めていないのかな、というのが関心事です。(哲学を)始めることが難しい。ご存知のように、じつはなかなか哲学にならない。始め方が問われているわけで、始め方にしか誤謬がない。@sunamajiri

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posted at 04:45:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

明らかにヘーゲルは、スピノザ的な幾何学があってこそ、始めています。幾何学というのはそういう問題でしかない。ところでこれは懐疑の問題からみるべき。スピノザの方法=幾何学からは、無限遡行するような懐疑が発生しない。@sunamajiri

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posted at 04:49:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

現象学は端的な言明とは正反対なのだが、あえて端的に言えば、中世まであった無限遡行という懐疑が、デカルトでは信仰(神要請)に、スピノザでは幾何学になることで、ヘーゲルは弁証法を始められ、現象学という継続するものが生み出されたなら、懐疑の問題は避けられない。@sunamajiri

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posted at 04:55:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

言語を現象学にさせずに閉ざしたり終わらせたり、継続にポーズをかけるのは、たとえば神だったり脳だったりという言葉を使う場合で、それは現象学という言葉のあり方ではない。そこでは(現象学を)始める以前に逆戻りのようなことが起きる。@sunamajiri

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posted at 05:00:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

さらにいうと、現象学というのは、懐疑していない、確信のある状態(國分氏が指摘したような<分るを分る>)であるがゆえに、始められ、また継続している言語のことであって、たとえばそれは何も探求していないし、ただ言語の健全な、それこそありのままの顕現というだけだ。@sunamajiri

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posted at 05:04:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

おそらくA先生が、現象学=ありのまま=顕現と忘年会で口走ったのも、現象学は懐疑も探求もしていない、すでに分るを分っている、悟っているようなものだ、という意味だろう。忘年会実況では、客観も主観もない、という説明で、現象=顕現だといいたかったようだ。@sunamajiri

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posted at 05:06:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

この<分るを分る>を、國分氏の読者がどこかで悟るといって差支えがないと言っていたが、それでは悟っていることを伝える言葉、私には、始めることができ継続している現象学という言語的営為というのは、そういうものに見える。分るから書かれていて、だから読まれるのだ。@sunamajiri

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posted at 05:10:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

たとえば日本人が近代化できないという話に照らすと、日本人は文章を随意に書きながら、何かを探求し分ろうとするものだと思っている。それが現象学とは著しく異なる言語観だというだけだ。文の運動は確かに随意だが、分らないからはじめ、始めた後に分るわけではない。@sunamajiri

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posted at 05:13:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

現象学が教えることがあるとすれば、それは何事も書きながら、随意で分るようになるものではない。それでは書くことが始められず、実は何も分らない、ということだけだろう。国語の問題で、現象学が主題となるのは、この随意と現象学の違いが大いに問題だからだ。@sunamajiri

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posted at 05:15:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年12月25日

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 日本人が近代化できない随意で分るを探求するという姿勢に対して、分るから始められる現象学という言語の営為。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @sunamajiri

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posted at 05:33:46

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