大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2013年06月20日(木)
あまちゃん70話。コメディで緩急つけていた昨日から一転、超シリアスに、秋が春子に「わかんねー」と言わせ、寝たふりかアポリアのような夏を初めて起こさせ「謝って欲しかったんだ私」と分からせた。娘が母に夏婆から分からせた。秋には分かっていて夏婆が言葉化していなかったこと。
タグ:
posted at 16:14:31
いつも言っているように、戦後の国語教育が「意見をもつことが個人主義だ」と教えたために、どこかに別な意見があれば反論できるという錯覚を生んでしまうんだが、そもそも意見などというものがない以上、もちろんそこには異論も議論もないのだ。あるのは誤読だけ。
タグ:
posted at 19:43:09
久々に現代文教育でいうと、接続詞で著者の主張を読み取るというテクニックでは、出題意図の満点に合理的に到達することはできない。出題意図は、出題文を主張や意見といった偏った主観ではなく、文として読めるかを課している。つまり、文を誰かの意見として誤読させないために現代文教育があるのだ。
タグ:
posted at 19:57:19
国語が読解に偏るのは、他人の意見を素直に文から汲み尽くすためだ、というのもあくまでもイデオロギー。文を意見という偏ったものとして誤読させないようにさせるのが国語教育であって、他人の文を自分の感想文と同列に読むことがないように矯正しようとする。つまり個人的意見などというものはない。
タグ:
posted at 20:05:52