大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2013年06月24日(月)
政治にはコミットしたくないのだがww 日本のリベラルtwitter.com/karitoshi2011/... は、何らかな不徹底で相対主義に陥り、極めて現象学的な内的論理を言語力とする官僚を、あたかも形而上学のように扱っているから、歯がたたないんだったりしてwww(^-^)/
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posted at 00:54:02
たとえば、村上春樹は夢から喚起された小説というが、その割に、いくらハマっても彼の小説は夢に出てこない。侵食しない小説なのかも知れない。それに対して、三島由紀夫に直接言及したあまちゃんが、夢を侵食してくるという現象が、このところ不思議でならない。
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posted at 14:37:01
昨日、ボサノバはいかに暗い政治的ジャンルの音楽かというレッスンになったが、ハワイでボサノバは暗くて聴けないからねー。ハワイはジャズも受け付けない。(^-^)/ @LitoSnowfield ハワイアンミュージックを聴いていると…天国に来てしまったのかと一瞬錯覚
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posted at 15:19:07
コンテンポラリーに解消できるジャズに比べて、クラブジャズにどん詰まりになったボサノバの(あのリズムの取り方の)方が暗い、ということが聴けていないと、たぶんジャズなんてやってられないよ(^-^)/ @LitoSnowfield ジャズって暗くてイヤですね〜〜 いやぁ〜(笑)
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posted at 15:24:28
ハワイでは暗くて聴けもしないボサノバが、post-bop、post-modern-jazzの明るさに聴こえるという日本のジャズリスナーは、世界のジャズシーンでボサノバがすでにトラッドだということが聴こえない、あまちゃんなのよ。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 15:35:40
湘南というロケ地を実名化するために、劇中歌を仕掛けるネタドラになった『彼女が死んじゃった。』の手法で、三陸というロケ地を架空化するためにネタドラを仕掛けている『 #あまちゃん 』が、小ネタに見える女性作家www.news-postseven.com/archives/20130... というのが面白い。
タグ: あまちゃん
posted at 16:22:10
2004年の『彼女が死んじゃった。』がネタドラなのは、高度成長期に加山雄三のような日本の象徴になった湘南を、失われたものとして顕現するために、劇中歌youtu.be/ZcTf5lIBvIs がロケ地を実名化させるドラマになっていた。(続)
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posted at 16:39:02
(続)一方、3.11以降の『あまちゃん』では、ロケ地の架空化が、いわば文学的な主題。高度成長期までの物語性を支えた湘南の喪失を、劇中歌が実名として取り戻す『彼女が死んじゃった。』とは違い、被災地となった東北の架空化が、物語的な再生としてしっかりと意識化されている。
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posted at 16:40:43
(続)物語性にとって、被災地化とは、土地の実名化なのだ。物語が途絶えることが被災。あらゆるものが実名化し、物語が途絶えることが被災なのであって、物語がドラマにロケ地を架空化させるアンチドラマを書かせるのは、必然的なのだ。実名というのは物語性の正反対の言語なのだ。
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posted at 16:55:16
(続)日本近代文学が、武蔵野ではなく、湘南を日本の代表に見立てたように、被災地として実名化した東北を日本の代表と思わせるドラマをどう書くか。そこで使われたのが武蔵野ではなく東北の海=湘南化だった、というのがあまちゃんの創作意図なのは疑い得ない。
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posted at 17:07:52
(続)漱石の『こころ』や、三島由紀夫の小説ですら、加山雄三の高度成長期がそうであったのと同じで、湘南の近さ=近隣性をドラマ化していた。『あまちゃん』は、『彼女が死んじゃった。』の劇中歌の手法で、東北の湘南化=近隣化を物語ろうとしているので、実名の東北が立ち上がるわけがない。
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posted at 17:12:20
(続)日本近代文学はつねに武蔵野ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6... の湘南化、あるいは湘南の近隣化=首都圏化の物語なので、武蔵野のようにあった東北を、湘南のように近隣化させる、というのが『あまちゃん』では、ロケ地の架空化=湘南化の明確な意図になっている。
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posted at 17:16:59
(続)たとえば関西の物語性の終焉が話題になるのも、中上健次が和歌山の武蔵野を、湘南化=近代小説化させる神話になった以上に、関西の物語が、湘南化する日本近代文学からは遠近的に遠いということに過ぎない。大江のオマージュとなった村上春樹が四国の森=武蔵野の奪還の物語を書くのが興味深い。
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posted at 17:28:32
(続)大江健三郎以降、武蔵野=雑木林の原生林の奪還を物語るしかない村上春樹。被災で実名化した東北の武蔵野を、非実名化=湘南化させて、日本近代文学に言及しようとするクドカン。どちらが物語性にとってリアリティーがあるかという問題なのだ。
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posted at 17:34:55