大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年07月04日(金)
英仏哲学なら和訳では外来語や造語がしっくり来るが、ドイツ哲学の語彙は仏教用語に見えるのかね。ハイデガーもラテン語経由twitter.com/sunamajiri/sta... だと、意識に取り込まれ、ギリシャ哲学の注解に過ぎない後世の哲学は歪むが、独語にはそれがないとしきりに言うわけだが。
タグ:
posted at 04:32:03
仏語哲学は独語術語の注解みたいになっちゃたからねー。しかも無神論に逃げるための口実探し。しかし、ドイツ哲学もハイデガーを経由すると、なぜか日本語哲学による注解の方が、痒いところに手が届くとドイツ人に言われるね。www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/shizu...
タグ:
posted at 04:52:42
西欧人は、ただ生得的かどうかという一点にしか関心がない。プラトンは前世のイデアの記憶を知識というし、アリストテレスだと基本術語は霊魂よね。これがラテン語になるとオカルトだコギトだと濁るらしいのだ。東洋人がいるのかどうかわからないが、この議論から隔絶されると非西欧的ね。
タグ:
posted at 04:53:15
日本だと知識というものは後天的なものという独断があって、前世とか生れ変りは実証科学的に判断されるべきものと看做されるのだが、そもそも西欧では哲学の唯一の命題。キリスト教神学がそれを隠蔽し、転じて経験科学に分科しただけだから、知識が後天的という自明化は、西欧的ではない。
タグ:
posted at 05:09:18
知識とは何かという認識論は端的に、キリスト教神学の時代にいくら隠蔽されようとも、西欧では「生得的かどうか」という関心事を指すだけだから、その命題を、実証科学のような部門で、「オカルトは経験できるか」なんて想定するのがナンセンスなのだが、日本人はそういう時に仏教用語にお隠れになる。
タグ:
posted at 05:25:40
西欧人が聖書をアップデートする終末論ばかり信仰するようになったのと、西欧が同じアリストテレスの圏内にあるイスラム教やユダヤ教と、神学的な接点を喪失したのは、近代になってからだからね。まさにバベルの塔のように言語が通じ合わなくなった。そこで日本人に助けを求めてるってわけよww
タグ:
posted at 14:33:17
いつも西欧哲学の仏教語による邦訳の話twitter.com/sunamajiri/sta... をしていますが、日本が英語圏に引き寄せられるのに、哲学などで独語圏に引き戻される、という綱引きが現代史そのものですね。独語圏から英米仏語圏に行きたかったんだろうな日本。
タグ:
posted at 15:05:03
twitter.com/kyototekken/st...ハイデガーがカントを生粋だと認めるのも、ちゃんと霊魂の生得説という、ギリシャの命題twitter.com/sunamajiri/sta... に忠実だからなのよね。いわば生得説でデカルトのコギトを純粋思惟に戻したりする。無神論のような不純はない。
タグ:
posted at 15:35:30