大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年03月16日(月)
それこそカント書は無で嘔吐しませんね。存在は存在者に何者も付加しない。被制作性には、被知覚性のような他者原因=神はないからだ。つまり神とは無のことだと『~諸問題』でもエックハルトまで動員して捲し立てますよね。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/f208kzyqzh
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posted at 04:47:38
私達はつい西欧というと古代から中世まで、無と言うより有の文化と勝手に思い込むのだけど、あれは何なのかね? 単純に存在論的差異、存在が被知覚物に現実性という変状を付加するのではなく、現存在が制作する以外は自己原因(自然)として直前にある、という差異の無。@jeanbeauty2
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posted at 04:56:16
『現象学の根本諸問題』は、存在が存在者に変状を与えない、つまり神は原因ではない、それは近代的反省の問題ではない、ということを巡って、被制作性と非知覚性の共通の根を、ひたすら現象学しますよね。カント書の超越論的時間規定という根までには至らないのだけど。@jeanbeauty2
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posted at 05:08:43
鍵RT @jeanbeauty2 ハイデガーは、無の前で震撼、キルケゴール的には目眩、そして無を無化したい、出来ないか、できるはず、出来た、そして、無と無化も、そもそも、頽落、世人から、投企すると、世界が現れ無が消え、さらに、いや詩人の声に耳を傾けると、世界が。勝手な発言です。
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posted at 18:57:34
詩人になりましたね(^-^)/ @jeanbeauty2 そして、無と無化も、そもそも、頽落、世人から、投企すると、世界が現れ無が消え、さらに、いや詩人の声に耳を傾けると、世界が。勝手な発言です。
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posted at 18:59:17
お気づきのように、ハイデガー自身が詩とは対照的に散文のマックスで饒舌だからね。とはいえ、言いたいことは極めて単純。このパルメニデスの一節が、プラトン~アリストテレスによって覆われたことだから。@LitoSnowfield pic.twitter.com/LzZe8vxYxz
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posted at 19:53:40
存在と思惟は同じだ、というパルメニデスが、その後プラトン~アリストテレスで覆われてしまうことは、先カント書期のハイデガーでは散発的だが、後カント書期のハイデガーはそれに徹してしまう、といっても過言ではないのだろう。@LitoSnowfield
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posted at 19:55:28
よく、ハイデガーはプラトン主義に対してアリストテレス回帰だ、という人がいるのだが、おそらくもっと単純。陰謀論批判の方が、大量にRTしていた「不動の動者」とも通底する。bit.ly/1xrtMfC @LitoSnowfield
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posted at 20:00:13
存在者の存在というのは、現実性を現実化させる原因、不動の動者や神と呼ばれるものなのだが、それは思惟や知覚、つまり企投するから、そのように思える。しかし現実化=制作に被投すると、存在者が自己原因になってしまう。その話を永遠とやっているだけ。@LitoSnowfield
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posted at 20:14:17
先カント書~カント書は、その企投から被投、あるいは被投することによる企投、という同時性(それをカント書では共通の根、超越論的時間規定、純粋時間と名付けるのだが)に行く話。つまり神がなくても自存するような話。@LitoSnowfield pic.twitter.com/YjgxUMbHyt
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posted at 20:21:37
つまり、普通の言い方で言うと、思惟など考えるから神が想定されるが、飛び込んでやらかしたら、単に存在できる、というそういう極めて当たり前のことを話しているのだが、問題は神を考えてしまう、いわば人間の愚かさ、をどう批判するかということ。@LitoSnowfield
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posted at 20:23:22
それを普通の言い方で言うと、思惟、つまり理解しようとするから神が想定されるが、飛び込んでやらかしたら、単に存在できる、というそういう極めて当たり前のことを話しているのだが、問題は神を考えてしまう、いわば人間の愚かさ、をどう批判するかということ。@LitoSnowfield
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posted at 20:38:08
理解というのは理論で考える、数学的に考えることなのだが、それではダメだというのは文字通り、時間に対する瞬発性のようなものが要求されるジャズのアドリブで、理論よりプレイのほうが先、の先取り。ハイデガーの時代は音楽はモダンジャズに飛び込んでないからね。@LitoSnowfield
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posted at 20:40:52
ハイデガーは、先カント書の『現象学の根本諸問題』を、カントの先純粋理性批判期の、有はレアールな述語ではない、というアンセルムスの神の存在証明批判から着手するのだが、「先純理」に対しては「先カント書」という言い方気に入った。先には先ね。
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posted at 21:44:19
差異より理解が先行してるという話 twitter.com/sunamajiri/sta... まで、日本仏教では誤解されて、絶対的シニフィアンが宇宙に鳴り響いてるとか、あほなこというからな。どうしても理解より差異を先行させたい日本仏教。
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posted at 22:23:29
しかし、少なくとも先カント書どころか後カント書でさえ、ハイデガーは詩的というより、散文的に饒舌ですね。カント書の大意は、カントではアリストテレスが形而上学にしてしまった存在論を完全に取り戻せないということだけど、散文的にしか応戦できないんでしょうね。@jeanbeauty2
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posted at 23:34:12
存在という存在者との差異、つまり神という原因は思惟が齎すものだ。だからこそその無について目眩や嘔吐になってしまう。差異が変状を付加しない自存=自然だけが、思惟においても被投されるべきだ、という。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2
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posted at 23:41:14
はっきりいって、いわば純粋原因としての神、無から有を変状として齎す原因というのは、アリストテレスが存在論を形而上学にしてしまったことから、キリスト教に至るまで偏在しているだけなのだが、そうした原因性そのものを、取り払うことが散文的にしか出来ない。@jeanbeauty2
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posted at 23:48:18