大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム
» @sunamajiri
» 2015年05月30日
並び順 : 新→古 | 古→新
2015年05月30日(土)
(ドゥルーズの「超越論的なモノの単数性」に対する)デリダの「超越論的なモノの複数性」という「図式」については、それって「透明な散文の雑文性」の「図式」とも重なるんじゃ、という気もするし、文脈を整頓すれば、「散文とは、超越論的なものの複数性の場である」と無茶な事も言えるのかも(?)
タグ:
posted at 19:42:07
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
デッドレターの話、そうなんだろうが、批評がフロイトで唯物論を延命するのに対して、カント書のハイデガーにある観念論の完遂、という二者間での対話に見えるね。フロイトでは象徴だ。しかしハイデガーでは観念は時間だ。twitter.com/Consav455/stat...
タグ:
posted at 20:46:26
批評がフロイト的な象徴化に陥るのに対して、非批評的で非象徴的な何かがあり、それに対して、批評が断絶しているという話でしかない気がする。象徴化というのはたいてい、そういうものだ。
タグ:
posted at 20:50:45
スポンサーリンク