大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年07月20日(月)
そうですよ。存在論的差異、存在とは存在者のこと(実体)ではなく、述語的な存在することで、それ(実体ではなく時間)を論じるのが存在論だということですよ。形而上学ではない。@jeanbeauty2 存在とは、述語になることで、何か、オンティツシュなものに、考えてしまう、そのことを批判
タグ:
posted at 00:08:28
『現象学の根本諸問題』前半のアンセルムス~スアレス~デカルトの、ソコトゥス~フッサールからの批判と同じ先カント書的な『カント講義書』では、カント自身の非表明性が批判される。思惟の自発性では規則だが、時間を規定とすれば自由(出来ること=叡智)になる。@jeanbeauty2
タグ:
posted at 00:14:16
結局、心身二元論のようなアリストテレス霊魂論の稚拙な実体化では、悟性・主観・経験は、時間を根源規定とした対象の同一視の綜合に至らず、そうした思惟=規則は、自然の統一的全体のことである可能性に表面的でないカントの権利問題のようになる、と断罪されてますね。@jeanbeauty2
タグ:
posted at 00:23:26
ハイデガー全集既刊分で50万越えると思うのだが、早く西田幾多郎全集のように、ハイデガー全集揃いが1万円以下で買える時代、つまりハイデガーをしゃぶり尽くす時代が来てほしいものだ。簡単な話なのにみんな咀嚼に時間がかかりすぎるのだ。(^-^)/
タグ:
posted at 00:31:08
だからさっきより平明に要約した twitter.com/sunamajiri/sta... ように、範疇論をするための霊魂という語彙を、デカルト以降自我の霊魂のように実体視する道筋ができてしまったが、それは範疇論を踏まえない分類学だ、というようなことになるわけです。@J_J_Kant
タグ:
posted at 04:48:26
ここからは霊感だが、ハイデガーが自我を実体視することを霊魂の実体化として批判していく twitter.com/sunamajiri/sta... のは、やはり非実体を自我の魂のようにではなく、あの人達はトヘン(一性)、神の非実体性を語りたいんだろうな、とは思うんですよ。@J_J_Kant
タグ:
posted at 05:08:02
なんか、懐かしい twitter.com/sunamajiri/sta... あたりをまたFavってたようだが、今日は @jeanbeauty2 さんからリプがあったので、ちらっと。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
タグ:
posted at 05:28:15
ちなみに、その実体は自我ではない、といった話は、中嶋さんの精神医学の話に波及。twitter.com/sunamajiri/sta... @jeanbeauty2 @LitoSnowfield
タグ:
posted at 05:29:34
規定と規則の違いはGA25-379~ あたりを参照。要約すると、思う(思惟)だけでは「自発」的だが、過去に流れる今=自我を規定にするのではなく、未来=時間を規定とする綜合(思惟)では「自由」に「出来ること」だ、という箇所。@jeanbeauty2 @LitoSnowfield
タグ:
posted at 05:40:15
そうそう、ハイデガーのカント講義ほど、読みやすいカント解説本はないよね。カントが何を言えて何を言えてなくて、何が言いたかったか、というのを全部やってくれてるから、マルクスとかモグリに感じる。@LitoSnowfield 一家に一冊カント講義〜(*^o^)/
タグ:
posted at 08:25:07
こんなこといっちゃうぐらいだしね。存在論がいわば反形而上学であることをカントは知っていたから、神学に対する権利問題などという法学的な比喩に蹴躓いた人たちとはちがうとか。(^-^)/ @LitoSnowfield pic.twitter.com/bUKXkTA8pO
タグ:
posted at 08:39:57
明確に、存在論は形而上学ではないという、ハイデガーがカントから取り出すテーゼというのは、カントでは権利問題で喩えられていて、それが、どうせ形而上学的な教会権力を恐れていたのだろうと思わせるが、そもそもそんな畏れなどなかっただろう、といったような。@LitoSnowfield
タグ:
posted at 08:49:56