大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年10月04日(日)
たしかに、ハイデガーの黒ノート問題を、陰謀論として捉えれば、そういう形而上学になってしまうからね。twitter.com/ytb_at_twt/sta...
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posted at 15:39:05
ハイデガーの、存在を証明する者は「工作機械(Machenschaft)」だ、という述語を、単純に「反ユダヤ主義」と受け取ることが、形而上学ならぬ陰謀論ということだろう。 pic.twitter.com/CoIx0lhMvD
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posted at 15:41:24
ハイデガーを擁護できないのは、それをデカルトのように格律として明示的に語らない点だけだろう。彼が言っているのは、存在は証明するなかれ、時間を明証しろ、という単純な格律であるだけだが、それを格律として明示的に語らない。そこがデカルトとの大きな違いなのだろう。
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posted at 15:42:49
今のは注釈が必要で、あえて、デカルトの格律と、ハイデガーの非格律のような語りとを対比したのは、フォロワーさんにデカルトの格律を、律法として語る人がいるからだ。
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posted at 15:44:22
ハイデガーを陰謀論で反ユダヤ主義の述語に還元すると、残るされるのは、存在の証明という、デカルトの格律への単純な違反だろう。つまり形而上学である。ハイデガーは意外と単純で、存在を証明するな、時間を明証しろというのを、デカルトのように真理の格律として語らず、律法を語っているのだろう。
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posted at 15:47:42
したがって、こうした陰謀論 twitter.com/ytb_at_twt/sta... は、単純に形而上学への逆行なのだが、重要なのはライプニッツ~フレーゲへの逆行というより、フレーゲ~フッサールの無時間的なもの、非明証性への分析的逆行なのだろう。
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posted at 15:49:22
律法は極めて単純で、存在は証明するな、時間は明証である、というだけの話なので、それ以外はハイデガーの言い方をすれば、非本来的な弁証法であるか、存在の証明であることしかできない。
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posted at 15:50:23
テクストクリティーク上、詳述すべきだとも思えないが、分析哲学が神学や否定神学の単なる範疇であるのは、そのためなのだろう。ハイデガーによる分析哲学の分派というのは、大した問題ではない。陰謀論という程度だ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 15:53:12
レヴィナスの弟子でレヴィナスとデリダの解体者であるマルレーヌ・ザラデルには、合田正人が適切に批判するように確かにフーコーの視点が欠けているのだろうが、しかし重要なのはザラデルが指摘したこの点だ。ハイデガーは(非本来的な)新約(というお喋り)で旧約の律法そのものを取り戻している。
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posted at 16:04:16
翻ると、当然だがハイデガーはデカルトの格律を、非本来的なお喋りの原因とすることで、凌駕している。それは端的に、自我という圏域や場所、さらには止揚としての時間に頽落させる空間、カントを弁証法として受け取らせる非本来的な格律より、時間を根源規定として重視すべきだ、ということである。
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posted at 16:09:25
存在を証明するなかれ、時間を明証しろ、ということがデカルトの格律の不備として露わにされるとき、ハイデガーは旧約、あるいは律法に触れずとも、律法そのものを言表している、というマルレーヌ・ザラデルの指摘は、合田のいうフーコーより正しいのだろう。
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posted at 16:11:45
おそらく、ハイデガーの威力は、新約どころか、デカルトの格律を、非本来的なお喋り(語りならざるお喋り)、頽落として布置できたことだ。それは旧約の律法ほどの威力が生じた、ということなのだろう。したがって、ハイデガーだけが形而上学と対峙しているのだ。
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posted at 16:16:31
この詩、あるいは比喩を比喩とする律法が、存在ではなく時間の明証だというのは、私が特筆するほどのことでもない。分析哲学は形而上学に逆行し、弁証法はカントをニュートンの虚点、あるいは死力、あるいはライプニッツ動力学に戻してしまうが、それによっては科学を記述する方法がないという問題だ。
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posted at 16:20:23
日本で科学的記述というと、武谷にしろ大森にしろ、カントに対する弁証法の問題、つまりハイデガーによると、空間を時間に止揚する点性という虚構のお喋りに頽落している。これはおそらく、柄谷の場所論でもそうだが、時間を圏域、存在者の全体(客体)として、被投できないからだろう。
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posted at 16:25:19
対象は客観が構成する物自体で、ラカン的には性的ですらあることになるというのは、存在者の全体に企投しているからで、世界内存在のように全体における存在者、つまり自由ではない。それはデカルトの延長を齎す格律の誤謬であって、デカルトから律法に回帰すべきというハイデガーはおそらく正しい。
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posted at 16:38:13
このように錯綜的になるのは、経典が散逸的 twitter.com/sunamajiri/sta... というのと同じように、非本来的なお喋りには、存在を証明するなかれ時間を明証しろ、という定言命法が読み取りづらい、ということを物語っているに過ぎない。
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posted at 16:47:24
冒頭に戻れば、ハイデガーの時間の明証性という定言命法を反ユダヤ主義、つまり律法を収奪するもの、と捉えるのは陰謀論だ。しかしシオニストやラビのような一般論者にも、キリスト教の普遍論者にも、そのことが理解できないだけだ。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 16:50:34
誰も言わないから言ってやると、フッサールの無時間論(ニュートンへ逆行するヘーゲルや、アインシュタインしか批判できないベルクソンの亜流だ)twitter.com/sunamajiri/sta... は、ハイデガーから見ると、一般論を無限に解釈し続けるユダヤ教のラビの口承トーラーのようだ。
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posted at 17:24:07
しかし、しかし方法的懐疑としての形式的告示により解釈学的転回をするハイデガーでは、口承トーラーとしてのユダヤ教に対する律法という普遍論争の問題も、単に克服の問題、つまり律法でしかない。個別者はヘブル的一般論、単独者はスコラ的普遍論から派生するが、ハイデガーはそこから転回している。
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posted at 17:28:15
ここでは、解釈学と系譜学が対立するのだが、合田正人がマルレーヌザラデル(ハイデガーを律法者とみなす態度)をフーコーの視点を欠く、というのはそのことで、ハイデガーはフッサール的な口承トーラー(ラビ性)に対して存在論を布置することで系譜学に陥ることを免れているのだろう。
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posted at 17:39:30
そこで要衝になるのが、無時間による存在を無限に解釈するフッサールの現象学に対して、時間の有限性というハイデガーの現象学なのだろう。だからこそ、継起関係を因果律に布置することになる系譜学も、現象学からみると仮象のようなものなのだ。口承トーラーにはなれても明記トーラーとなれないのだ。
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posted at 17:43:54
このように、解釈学は系譜学を転回する。それは比喩を比喩として受け取ることで、律法や格律といった言葉の規約(規定性)を、意味として受け取らない(ラビのように一般論として再規定しない)ことだ。脱根拠律というのは、おそらく無限後退だろう。
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posted at 17:48:11
もう一度、誰もが言いたがらない嫌なことを言うと、ハイデガーの根拠律から見ると、フッサールは単なるユダヤ教のラビの口承トーラーにみえ、それはスコラ的普遍論争の手前にみえるのだ。時間は無限でないこと、という規定であるしかない。無限に解釈できるのではなく、一回的な転回があるのみなのだ。
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posted at 17:52:01
合田正人が出たので、柄谷行人(のトラクリ以後)に戻ると、現象学を退けるのは、その意味で正しい。しかし、ハイデガーを超越論的現象学としてのみ捉え、時間規定を齎す超越論的構想力(カント書)を退けるのは、単に弁証法的で、ハイデガーの言い方で言うと「時間に堕ちること」であり正しくない。
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posted at 17:56:52
これは霊感なのだがね、因果律では第一原因(神)が想定され(神は過去にある)、弁証法でも今が止揚になるしかないとすれば、ハイデガーの言う今というのは、神の出現のことだからね。全智の視点になると、全能になるという。無宗教というのはそういうことなんだろうきっと。@inja650rr
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posted at 19:05:19
そう言ってもよいわけだけど、それをもっと(ハイデガー的に)親切に言い直すと、因果律を時間と思うと、神は第一原因という過去にお隠れになってしまうが、時間は因果律ではなく自由のことだと理解できると、単に顕れる、というようなことだね。@inja650rr
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posted at 19:34:41
日本でも神話は神のお隠れの話だ。ハイデガー以後問題にされているのは、神話からの解脱という話なのだろう。神話では神はお隠れしている。その神話世界に戻ってしまうのか、神を顕現させる今の自由とするのか、ということが問われているのだろう(続く)。@inja650rr
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posted at 20:16:53
(続き)ハイデガーの『存在と時間』の結末は、問いが一点に収斂するというもので、それは何も(時間が存在という答えなのかに)答えていない、という意味で破綻として読まれてしまう。しかし問が無限遡行する弁証法が破綻的だという結論として読まれるべきなのだ。@inja650rr
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posted at 20:19:37
これが『存在と時間』で、問いが一点に集中し、答えが保留される最後の部分。高田訳なので、どうしても避けられない一点を除き、読みやすいはず。どんな解説書よりも、どんな論文よりも、ハイデガーの語り自体が一番親切なのだ。bit.ly/1VwJ979 @inja650rr
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posted at 20:22:58
ちなみに、『存在と時間』を補完する第二の主著と呼ばれる『カント書(カントと形而上学の問題)』は、さらに答えない。より純粋な問いを言い当てるだけなのだ。問いが先鋭化されるというのは、無限後退のような問いが解消するという意味なのだ。@inja650rr
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posted at 20:25:10
しかし、カント書に付録のダヴォース討論でカッシーラーは納得しない。時間は神話的なもので、神が第一原因だと思っているのだろう。神は隠れていて、まだ顕になっていない、と信じ込んでいる。しかし、顕になる神というのは、純粋化された問い、というのがハイデガーの結論。@inja650rr
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posted at 20:27:14
神を第一原因のように因果律に隠れたものとして語るのか、現れたものとして語るのか、語りにはその二通りしかないが、行為(当為)できないというのは、現れたものとする語りの親切心が、見抜けない場合だからね。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 20:46:27