大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年04月12日(火)
中嶋・隠者両氏の対話 bit.ly/25WNUtk を見ていて思うのは、なぜカントの三批判書を読まないエクスキューズを言い募るのかという点と、カントの良質な解説者ハイデガーには名言は期待できないが、ハイデガー以後の名言をそれほど無視していいものかという点だな-。
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posted at 21:10:40
両氏がいうデカルトというのは、書かれたものより思考が優先されるということだが、思考をそれ自体、モノ扱いしてよいのかというのは、デカルトというよりカント以後、とくにハイデガーでやり尽くされただけで、今更それを思考なのかどうか、と言うだけで、ドン引きする人が出てくる気がする。
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posted at 21:16:47
実際、ハイデガーはデカルトよりもカントよりも徹底したというだけにすぎない。それは隠者君の好きなデカルトの命題「よく隠れたるものはよく生きたるもの」つまり実践の自由、絶対的時間という思い込みからの自由というのは、現代ではむしろ物理学といわれているものであり、アタリマエのことなのだ。
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posted at 21:26:43
哲学が時代遅れに見えるというのもおかしな話で、アリストテレスが問題としたような先措定から、一歩も先じていないが、物理学は絶対時間という思い込みから解放されたのだ。ハイデガーでは、それは先存在論という。しかしそうした先存在了解というのは、現代ではむしろ常識ですらある。
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posted at 21:35:10