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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年08月30日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

日常を終わらせてしまうような威力が、実は現実に存在しないこと。これを終焉というのだから、その終焉、つまり日常が終わらないこと、ということが、どういう事態であるのかを、しかとみつめなければならないのだ。
@BeTakada

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posted at 04:52:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

たとえば、ゴジラでも原爆でも、そういうものが到来さえすれば、あるいは戦争になれば、日常が終わってしまう。日常は儚い、そういう時代が終わってしまったのだ。むしろ日常を終わらせることが、どれほど困難か。儚さが得難さに変わってしまっていること。@BeTakada

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posted at 04:54:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

存在論以外は非論理的だ、という戦前からのハイデガーを発端として、戦後に饒舌に語られた現代思想というものも、そうした儚さの終わり、日常の永続、つまり倦怠という気分が、戦争や終末論以上に、精神に重大な被害を齎すことの記述の全てだ。@BeTakada

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posted at 04:56:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

日常が儚く終わってしまう。世界は儚さに満ちている、と信じられていた時代、永遠は実践的不死の要請という理性の問題だったのだ。しかし、戦争でも原爆でも日常が終わらない。じつは、儚さが終わってしまっている。永続しか無い。この倦怠の方が、原爆よりどれほど被害甚大か。@BeTakada

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posted at 04:59:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

ハイデガー解題が苦行になるか楽行になるのかの要も、その永遠はどちらか、という図式にしかない。日常が儚いのか、日常が倦怠的に永続的なのか。じつは日常だけが永続的で、他が儚いのか。儚さはどこにあるのか。そういうことを捉えなければ、ハイデガー解題に意味は無い。@BeTakada

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posted at 05:01:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

3.11直後、言論界では、日常の終わりの終わり、終焉の終わり、という語りが一気に噴出した。ところがそれも風化して、ネットを見渡しても、リークの話しか出てこない。これが日常が何があっても動じずに、終焉しないということなのだ。何も終わらないこと。@BeTakada

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posted at 05:06:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

何も終わらないというのは、数学の証明、あるいは権利問題のように、誰かが証明してしまえば、もはや数学の問題がないというような終わりが、日常には存在しない、というようなことだ。この終わらない日常、言い換えれば倦怠ということを直視しないことが、非存在論的なのだ。@BeTakada

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posted at 05:08:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

ところで、昨晩みかけた鈴木さんのこれは、ハイデガーではなくベルクソンの根拠律だ。bit.ly/2bMKW3r @BeTakada

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posted at 05:35:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

つまり(ビッグバンに先行する虚無時間というのは)、現前時間=内的時間であり、非現前時間=時間地平、あるいは超越論的時間規定による存在論ではなく、そこからの頽落の時間、つまり虚無だ。そういう差異を発問しなければならないのだ。@BeTakada

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posted at 05:36:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

虚無とは、ヴォルフの根拠律「それがなぜむしろ有るのであって、無いのではないのか、という根拠なしに何者も無い」を誤読し捏造された観念であり、概念上は根拠律というよりは矛盾律だ。つまり虚無とは概念ではない。GA26 twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:37:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

なぜ無から有が生まれる、つまり有に先行する虚無、ビックバンの前の虚無に時間を想定してしまうのか。それは悟性で考えているからだ。それに対して悟性の根(根拠)である、超越論的構想力が時間であるならば、その地平上に有が現れるだけだ。ベルクソンにはそれができない。@BeTakada

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posted at 05:37:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

鈴木さんは、それを西欧哲学と東洋哲学で無が逆立していると発問しようとしているが、確かにベルクソンではそうだろうが、ハイデガーにとっては西洋も東洋もない。つまり虚無がない。bit.ly/2bMKW3r 無は有を生まない。東洋は西洋を生まない。@BeTakada

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posted at 05:38:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

無が有を生まない、つまり虚無がないように、東洋が西洋を生んだと逆立するのは、じつはヴォルフの根拠律を誤読して、矛盾律としての虚無を捏造することでしかない。言い換えると、構想力=時間地平は有の起源だが、悟性は有を生むのではなく、欠如態=虚無の原因であるだけだ。@BeTakada

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posted at 05:43:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年8月30日

こうしたハイデガー的な図式光景(視点)を欠如させてしまうと、そこには欠如態=止揚しか生まれない。つまり、止揚とは図式光景の欠如態なのだ。そして欠如図式とは、悟性である虚無を、構想力=時間である有から、捉え返さない、盲目(あるいは文盲)のことだ。@BeTakada

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posted at 05:56:05

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