symbioticworm
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2016年01月17日(日)
やっぱり「物的資源の獲得機会の再分配」は再分配の闘争の一部と考えたほうがすっきりする。理念型だしな。 pic.twitter.com/6tUqHAai13
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posted at 01:59:41
専門家が常に正しいわけじゃないけど、よほどのことがない限り、専門家が「これは危険だ」と言う場合にはそれを信用するということをデフォルトオプションにして欲しいです。ちゃんとした反論ができるのならすればいいけどね。
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posted at 16:03:03
‘First Lou Reed, now David Bowie. That’s it for New York. It’s over’ trib.al/UmH1bbk
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posted at 18:00:55
そう言えば最近も LGBT Health に本人の自閉症傾向と性別違和に関する論文 online.liebertpub.com/doi/full/10.10... が出てたな。昔から臨床家の間では話題になっていたけど、だんだん実証研究が追いついてきた感じかなあ。 twitter.com/hotsuma/status...
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posted at 20:58:19
最近、『武士の家計簿』に出てきた「絵鯛」の解釈を巡る賛否両論がTLの一角に現れたが、これはもしかして、金沢や富山で作られている「細工かまぼこ」の可能性もあるかも。魚の姿格好に似せて彩色した豪華なかまぼこ。ただの魚の代用品にもなっていたようで、むしろこちらの方が金沢らしいかな、と。
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posted at 21:10:58
フカヒレ料理の歴史を探る過程で、何故かかまぼこの歴史も見ることになってしまったのだが、日本の最初期のかまぼこは、どうやら鯉や鯰のような川魚を使っていたらしい。室町時代の料理書に、そう書いてあるそうな。
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posted at 21:13:35
今でこそ中華料理でもてはやされるフカヒレだが、清朝末期までは広東辺りの地方料理だったらしい。西太后が好んだので、宮廷料理に格上げされたという趣旨の証言もあるとのこと。たしかに、江戸時代から俵物の一つとしてフカヒレは輸出されていたが、中国南方でのみ消費されたと考えるべきかも。
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posted at 21:21:39
そのフカヒレの産地、気仙沼で何時からフカヒレを作り始めていたのかを調べているが、明確な記録があまり無い。幕末から製作していたという加工業者があるにはあるが、「一大産地」となるのはかなり後のようである。明治20年代の水産共進会で入賞した気仙沼のフカヒレ業者は殆んどいなかった。
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posted at 21:46:03
阪神大震災から数年後に放映されたドキュメンタリーで、両親を震災で失った女の子が帝王切開でお産してた。妊娠中もほとんど感情を出すことがなかったのだけど、赤ちゃんが産まれた瞬間に感情を爆発させて「お父さんとお母さんのところに行きたい」って泣き叫んでた。その子が今幸せだといいなと思う
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posted at 21:53:03
むしろサメを使った水産加工品で気仙沼が潤ったのは竹輪の材料にアブラツノザメを使ってから。明治後半から昭和初期まで、アブラツノザメの利用が続くが、機械化による供給過剰や気仙沼町の大火、サメの乱獲等によって結局、竹輪生産業は下火に。その陰でフカヒレ製造も続いたはずだが、実態が見えない
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posted at 21:56:23
サメの生態の詳しいことは幾つかの本の受け売りだが、アブラツノザメは繁殖率がものすごく低いので、乱獲するとてきめんに漁獲量が落ちるとのこと。一方、ヨシキリザメはマグロはえなわで混獲されていたものも供給されていた。こちらが昔からフカヒレ原料として回されていたはず。
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posted at 22:08:35
参考として、明治21年に石巻で開催された一府九県連合水産共進会での入賞総数702件の内、フカヒレが受賞したのは4件。一等から六等まで等級が付けられ、五等が1件、六等が3件であった。残念ながら、品目ごとの総出品点数の明示が無いので受賞比率は不明。最多受賞品目は「肥料」の88件。
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posted at 22:44:41
共進会の報告書で、別掲の受賞者一覧を確認したところ、受賞者は4人ではなく6人。5等:牡鹿郡・安倍東吉、6等:南九戸郡・宇部孝正/南閉伊郡・小松伊勢次郎/本吉郡・阿部治左衛門/千葉県長狭郡・栖原市造/南閉伊郡・中野長兵衛/本吉郡・畠山民蔵/本吉郡・堂下久兵衛 → 畠山と堂下が気仙沼
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posted at 22:59:16
同報告書は農商務省・河原田盛美の講評として「今回、当共進会に来り陳列する所の諸品を見るに、去る十九年の釜石共進会に比し、製造の稍精巧なるを見て、水産事業の大に進步せるを知る。。。鱶鰭の如きは先年九戸巡回ノ折、草履の裏に用ひ居しを見たりしに、今日は輸出品となりて出品ある」と記す。
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posted at 23:06:53
この「草履の裏に。。。」というのは鮫皮を利用していたことを指すのかもしれないが、中国向け輸出品としてテコ入れを図ろうとしていた雰囲気が共進会関係者の中にあったことはうかがえる。
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posted at 23:12:40
ちなみに『パディントン』、一応mild sex referencesはあったんだが、その場面の展開が『ひつじのショーン』とそっくりで、なんかイギリス人にはああいう「女装している非女子を鈍い人が口説いてくる」ことへのこだわりでもあるのかと思った。
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posted at 23:28:02
ここまでの話で主として参考にした本は、『気仙沼市史』Ⅴ・産業編(下)と『さかなの文化誌 リアスの港からの報告』(三陸河北新報社、2001年)でした。他の論著、報告書についてはあらためて成文化する時に。
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posted at 23:39:54