おりひか いくお
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- 自己紹介 一介のシステム屋。Perl、JavaScript、Cygwin32を常用。漫画乱読。野宿旅行、食べ歩き、路上観察が好きです。HOLON協会(1994~)、南洋文芸通信社(1995~)、鷺ノ宮八穴手帳倶楽部(2006~)、日本手帖の会(2011~)。文好部 No.256
2011年10月11日(火)
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ちひろ編における桂馬が象徴するように、桂馬は現実には絶望していても、自分には絶望していない。たとえどんな現実を前にしても、理想を目指して敢然と立ち向かっていく。対するユーリは、現実に屈し、そのはけ口として、設定の付与という形でミチルという理想に、時に刹那的にぶつけていく。
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posted at 00:20:32
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正しい創作、というものがあるかどうかは分からないけれど、少なくともユーリの創作活動に、”責任”が伴っていなかったのは間違いない。ここでいう”責任”にはいくつかあるけれど、ユーリが1話冒頭でやろうとしていたことは、自分の子供を殺す行為に近く、作者としての責任を完全に放棄している。
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posted at 00:26:19
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作者としての責任は最後にもう一度まとめたいと思うけれど、とにかくそういった意味では、フーコという存在によって逃避の必要がなくなったユーリは、創作の必要も欲求もなくなってしまったわけで、実はピグマリオンの恩恵を受けるのに最も遠い立場の人間だったと言えるのかもしれない。
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posted at 00:31:44
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だからこそ物語の終盤で、ユーリが作者としての責任を自覚していく過程は、同時に現実に向き合う責任を自覚していく過程でもあったと言える。逃避の手段として創作を行う必要がない、つまり現実と向き合ったからこそ、純粋に創作に向き合えるようになったわけだから。
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posted at 00:38:38
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そして最後に、ユーリは自分が作り出した作品を終わらせることで、作者としての”責任”を果たす。この時こそ本当の意味で、ミチルは生まれた。誰にも見せることなく燃やされば、それは作品にとって本当の意味での死だけれど、物語を終わらせることは、作品にとっては本当の意味で生だったりする。
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posted at 00:48:49
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物語は完結することで、解釈を決定できる、あるいは決定しやすくなる。このとき、読者など、作品の提供を受ける側は、それぞれ自分が思い描く作品像を心に描くことができるわけで……つまり百人の読者がいれば、そこには百人の桂馬がいるっていうアレです。(イメージ先行で上手く言葉に表し切れない)
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posted at 00:56:29
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で、そのそれぞれが心に描く、ユーリだったりミチルだったりフーコだったりが、まさに登場人物たちにとっての新たな生になるわけです。物語は閉じられることで、初めて開かれるわけです。
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posted at 00:58:26
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だからこそ、物語の完結にあわせて、物語の中の物語も完結させるというメタ構造は、読者の中でユーリやフーコやミチルが生き続けるとともに、ユーリやフーコの中にも、ミチルが生き続けるという、『この彼女はフィクションです。』らしい、納得のいく終わり方だったと思います。
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posted at 01:05:53
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以上、長々とツイート失礼しました。本当は一次創作と二次創作の違いだとか、神のみが作品内の観測でメタ構造を出しているのに対して、このカノが作品外からの観測でメタ構造を出している点にも触れてみたかったけれど、流石にギブアップですね……
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posted at 01:08:40
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というか改めて書き出してみると、どんだけ自分の作品と重なるんだっていう……ていうか、まあ自分も完結させてあげなきゃいけない作品世界がいくつかあるんですよねえ……まずはtwmysを少しずつ。
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posted at 01:12:28
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色々探して三軒に絞り込んでみました。コースがいいとか、飲み放題がいいとか、予算これくらいとか、何でもご意見お寄せください。言うたもん勝ち。 t.co/HZSITkkj
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posted at 22:31:21