地に足をつけたい
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2010年09月09日(木)
おいおいおい。これ読めば読むほどヤバいニュースじゃないの? 今までとまったく性質が違う「ウィニーで児童ポルノ 公然陳列疑い 男逮捕」 www.tokyo-np.co.jp/article/nation...
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posted at 18:04:29
しかしそんな幸福な拮抗状態ばかりでもなく、収斂力が勝つ場合もある。「弱い犬ほど良く吠える」とか、劣等感とプライドの摩擦で駄スパイラルに陥るケースも、発生原理は同じではないかと考えうる
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posted at 17:17:46
この逆に、「見立て」の効果の強力さに頼って実はゲームになっていないゲームというのも巷にはありふれている。こういったゲームはあまり非難されなかったりもするのでこれはこれでありなのかもしれないが。
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posted at 16:18:12
これは現代のゲームデザイン一般にも当てはまって、ゲームをゲームたらしめるために優勝劣敗のルールをどれだけ精緻にしても、それになんらかの「見立て」を加えなければ「面白いゲーム」にはならない、という罠がある。
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posted at 16:13:31
というところで簡単にまとめると、将棋というゲームには「最適解の発見のための試行錯誤」と「最善手が未確定のまま有利を期待して駒を動かす」という2つの心の働きがあり、その2つの組合わせが将棋をゲームたらしめている、ということ。&
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posted at 16:08:26
そんな中でコマの配置がある特定の形になったものを「櫓」であるとか「穴熊」であるとかに見立てることで、将棋というゲームの中にストーリーを織り込んでいくという楽しまれ方が生まれていった。それがおそらくは将棋の普及の大きな原動力になっている。
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posted at 15:59:22
コマの再配置の発明によって、日本の将棋は現在のスタンダードである9×9、40コマというルールに収斂されていくわけだが、その流れの中でもやはり「見立て」というのが普及の際に非常に大きな役割を果たしていく。それがいわゆる「陣形」と呼ばれるものの発見。
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posted at 15:53:58
コマを動物に見立てるというのは駒種の動かし方を覚えるためというのが第一の理由だったとは思われるが、それが人口に膾炙するにあたって、優勝劣敗を決めるよりもコマ自体の動きによる物語を読み出す楽しみが発見されていったものと思われる。
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posted at 15:43:04
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将棋というゲームはプレイヤーが学習し「確定を確信」した瞬間に終わる。将棋の歴史というのは「終わる」たびにコマの種類を増やし、盤面を広くすることで「確定を確信できない状態」を更新し続けた歴史でもある。
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posted at 15:29:06
ここで思考実験として最小の将棋、2×2の4マス将棋というのを考えて見る。この場合、コマの種類がどんなものであっても、コマを配置した瞬間にそれが先手必勝/後手必勝/千日手なのかがおよそ分かってしまう。何しろ2手動かせば最終局面なのだから。これは、ゲームとして成り立たない。
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posted at 15:21:55
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アワーズ10月号の実売率がすごい…らしい。入社以来の最高実売率更新間違いなし。まだ買えてない読者サマ、まだ市場に1割以上残っているのでなんとか見つけて~。再版は原価率100%越えちゃうので無理なのよ…ごめんなさい。
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posted at 14:55:22
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「職場の多様性」というと、「色々な学部の人を」「転職組も積極的に」といったことがよく言われるが、出身階層(育った環境)も大事ではないか。「両親とも大卒で、家には本がたくさんあって…」という人が図書館員には多すぎる。
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posted at 01:39:54
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殺し合いではなくあくまでゲームだからこその、互いに生死を賭けさせない決着だったな、と思う。内海もまたこの急襲では上司がいないからか殺人を避けることに終始しているのが好き。自ら「だしもの」と言ってるように、犯罪より先にゲームになってるふうで、どこか安心して読める。
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posted at 00:32:53
表現論的な見方もできるのかもしれない。右開き進行のマンガにおいて、主人公は画面右、敵は左に配置されて対面させるのが基本。画面右から左へと攻撃するイングラムの損傷を最大限派手に見せられるのはカメラ側となる左半身。対する敵の攻撃がよく見えるのは右半身ということになる。
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posted at 00:24:14
そして決着をつける場面では、操縦者の利き手の操縦が反映される右腕や、勝利後に立ち上がってポーズを見せるために必要な下肢の欠損という展開は避けられる。結果、左腕を肩ごと持っていかれることで刺し違いすれすれという衝撃的なシーンが実現される。
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posted at 00:22:06
実際には頭部と左腕をなくしたのは物語作りの要請からかもしれない。最後まで格闘戦で描く前提だと四肢の欠損は不都合があるため、派手なピンチを演出する絵としてまず失っても良い部位は頭部。
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posted at 00:20:43
イングラムは頭部をフロントカウルごと吹っ飛ばされてモニター無しの目視で戦闘を続け、最後に左腕を肩ごと吹っ飛ばされながらも勝利。ガンダムのラストシューティングと同じ欠損姿で立ち上がる。直後、左足が限界に達して膝から崩れ落ちる…!
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posted at 00:16:34
パトレイバーの終盤が好きで、時々読み返してしまう。自分が始めてコミケに行ったのが晴海開催のときだったということもあって、ラストの重要な舞台の一つとして埠頭が出てくるのもツボ。複数進行していた群像劇的な流れが集約するのも好き。
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posted at 00:11:28