地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年06月12日(日)
『DEAD RISING 2』は典型的な「魔法のかけ忘れ」続篇だなあ、と思った。前作から引き継がれた諸要素がブラッシュアップされプレイ感覚も明らかに向上しているぶん、より「コレジャナイ」感が強い。
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posted at 18:43:28
娯楽作品だどーたらとはいえ、けっきょくは「人事を尽くして天命を待つ」ほかないわけで。受けた作品はあっても、受ける作品はない、というか。「二番煎じ」がなぜ揶揄されるのかというと、受けた作品の要素分析は細かくやっているのに、最後に魔法をかけ忘れているからでしょう。
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posted at 18:23:46
※まどマギが「何であるか」は自分でもそこそこ考えたし虚淵玄はじめ関係者インタビュー等も「これでもか」という位にあるので「何でないのか」とそれにより見えて来るものの方が個人的に大変興味深い。特に『ジュエルペットてぃんくる☆』観始めたり別口で『ゲド戦記』読み進めていた所だったので尚更
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posted at 17:54:06
自身のtogetterでの一連のまどマギ関連まとめ(⇒t.co/Gn5P7Ws )も大いに踏まえながら論が進む。そのまとめを読んで面白いと思った人は必読。ただ過去のまとめでもそうであるようにまどマギが「何であるのか」より「何でないのか」という部分が興味深い。
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posted at 17:53:57
反=アニメ批評『アニメルカVol.4』はとりあえず目当ての泉信行「魔法少女アニメの過去と未来------『魔法少女まどか☆マギカ』が描けなかった少女たち」だけ読んだ。他はこれから。個人的な感想を言えば、これまでまどマギ関連で読んだ中でダントツに面白かった論考。
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posted at 17:53:49
ん? でも、やっぱりおかしいよなあ。確かハヤオイサオタッグの「後半路線」と言われてるのは、14話とかからじゃなかったっけ? ちょうど交代期のボーダーぐらいで、だからカリオストロの城になりえたのだろうか。そうだとすると色々と示唆的でおもしろいなあ。
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posted at 14:23:14
旧ルパンって飛び飛びしか見てないんだけど、まとめて見ようかなあ。いや、でも、「にせ札つくりを追え!」はすごかった。脚本もさることながら、こんなキレた演出の主導握ってたのは誰だったんだろう。
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posted at 13:56:45
自分は、ごはん作ったらアツアツでおいしいうちに食べないと気が気ではないタチなので、そういうことがとても気になってしまう。マンガとか映画とかで、ごちそうを目の前にしながら食べずに会話してるシーンとか、もう気になって気になって……
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posted at 13:30:34
この話は結構色々なモデルに適応できる。フィクションにおけるプロっぽさの演出にいくつかの選択肢を比較検証をした上でよりベターなものを選択する、とか、プレゼンとか商品説明の時もそうよね。結局のトコ、引き出しの多さがモノを言うともいえる。
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posted at 12:02:06
→手塚は余りにも語り過ぎ語られすぎていて、そうした言葉に絡めとられてしまっているのですが、そうした手塚を囲む力場を突き崩すためにはやはり手塚を語らなければならない。反則級のスタンド能力みたいなもんなんですよね。手塚を相対化するには、手塚が風化づるほかないけどそれもマズいわけで。
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posted at 04:52:44
手塚が人としてスゴい、ってことと手塚のテクストとは切り離して考えなきゃならないわけだけど、手塚の人としてのスゴさと、手塚のマンガ史において果たした役割とは、必ずしも切り離せないというか、このように語られてしまうことも含めて、彼の存在が戦後マンガ史を枠付けてきたことも事実だしなー。
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posted at 04:17:17
弟と電話すると「ブラックジャック創作秘話やばいよねーやっぱ手塚すごすぎでしょうwww」という話になってそれはまったくその通りなのだけど、そうした神話として語られる「手塚という作者」のイメージの孕む問題とどう関わるかを常に考えてる身としては複雑なのよねー。
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posted at 04:13:06
メルクマールになった作品よりも、それがメルクマールでありえることを準備した作品や環境をちゃんと明らかにしていくことが大事、少なくとも研究者の仕事は後者だと思う。いや、単に今の自分の関心かもしれないけど。
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posted at 04:07:22
つまり、それほど重要とは思われずに描かれてきた描写が実は「内語」表現がうまく流通するためのリテラシーの水域をじわじわあげてきたってことで、石森は意識的にそれを方法化しようとしてる点ではすごいという話になるけど。
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posted at 04:03:45
少女マンガにおける「内語」といえば、ちばてつや「ユカをよぶ海」にもかなり重要だと思える場面があって、これも「江美子ストーリー」より早いのだけど、これまた単行本には入っていない。
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posted at 04:01:39
「CGかと思ったら実際に撮影していた」→スゴイ! 「実際に撮影しているかと思ったらCGだった」→白ける こういう身体を張ることや手仕事に対する敬意……というかある種の信仰って、やっぱり人間の定義に係わっていて。文は人なりならぬ、人は文なり、みたいな。スポーツ観戦にも似た。
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posted at 03:54:57
「江美子ストーリー」は62年に『少女クラブ』に連載されたが1960-61に『なかよし』で連載された手塚「エンゼルの丘」は、実は「しあわせ」に対する問いが全体の基調をなすテーマになっている。まあ、単行本化の際にかなり手直しされてそれっぽいセリフは姿を消してしまてるのだけど。
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posted at 03:53:45
「江美子ストーリー」では「少女まんがに於いて自明の価値であった「しあわせであること」の意味を問い始めている」などとも書いてあるけれど、これもなんといいましょうか。
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posted at 03:50:57
大塚の『サブカルチャー文学論』で「江美子STORY』を取り上げ「少女まんがの主人公が「私」について自問する最初の場面である」なんて書いてあるけど、大塚ってこの頃の少女マンガほとんど読んでないよね。間違いなく。
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posted at 03:46:26
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発言しなければ無である、というのがインターネットの記述空間なわけで。そこで言説作用の因果を取り違えたひとが「マイナー作品はもっと語られるべき」とか埒もないことを言い出す。ひとつ。いいからさっさと語れよ。ふたつ。で、そのことにお前(とその仲間)が何となく満足する以上の意味はあるの?
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posted at 03:06:18