地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年08月08日(月)
非公開
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posted at xx:xx:xx
そもそも例の著書では、フェミニズムの影響やPC的なものを読みこむことができるアメコミの女性ヒーローと対置して戦闘美少女が語られていたわけだけど。時代は進んでいるとはいえ、葛城ミサトや涼宮ハルヒに単純な「女性上位」を見ることは自分には無理。
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posted at 23:34:58
あ。3時間前の麻生さんの話のソースは麻生さんが主催した三橋貴明氏の講演。三橋氏の論旨は「情報の歪み」で麻生さんは〆に短めのお話をして、その中の話題の一つ。検索すれば出てくるでしょう。
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posted at 22:50:21
RT @ishiguronaoki: コミケ80参加&新刊告知です! t.co/dGvezFB 新刊は「売上だけで作品を評価する昨今の風潮ってどうよ?」をテーマにした評論&アニメガイド『売上厨をぶっ飛ばせ!』です。
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posted at 20:56:52
女オタクがわかる系統図ってやつ、問題外でしょ。なにツリー形式で手軽に把握しようと目論んじゃってんだよ、という話で。山口綾子が大学時代に作成した文化系女子マップ(ウーマップ、だったっけ?)の複雑さと一覧性を少しは見習えってのよ。
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posted at 20:54:52
来たベデー! RT @Euromanga: 9月後半に新しいBDの翻訳が出版されることになりました。2009年にアングレーム国際BDフェスティヴァルで最優秀作品賞に輝いたヴィンシュルスの『ピノッキオ』(原正人訳、小プロ)です。 t.co/AqPu2gC
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posted at 20:52:27
@mynetworks666 異形愛とも違う「ノーマルからの解離」が主目的となっている面がありましたので、人体改造自体はSF的ギミックですがそこを主軸としてSF的に展開する意味は無かったんですよ。フタナリやその他諸々を単に一言で説明するためでしかなかった。
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posted at 20:23:29
@mynetworks666 今よりも百合の背徳的耽美性・美学性は強かった様に思いますのでそちらではあくまで女性同士で張型や双頭ディルド。フタナリは異常性欲・奇形・人体改造等のアブノーマル陣営からカジュアル化した流れでSF系とも直接のジャンル的接続は薄かったかも。
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posted at 20:08:24
@mynetworks666 「SF色の強いロリコン漫画の1ギミックとしてのアンドロギュヌス」ではなく今と近いフタナリ自体が目的の作品は80年代後半に成立したと記憶しております。但し当時の雑誌等は処分してしまったので明確なソースは出せないのですが。
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posted at 19:53:41
麻生元総理は講演でこう言ってた。日本には最大級のタンカーが入れる港がないから他国で小分けせねばならずコストがかかる。仙台港を浚渫して入れるようにすれば日本に直に持ってこれるし東北にハブ港ができ雇用が生まれ東北復活だけでなく日本全体を立て直す中心地にできる。140字で書けるじゃん。
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posted at 18:54:13
国立国会図書館に「けいおん!」が無い件
t.co/vgCJyQ3 /いや、ほんとマンガ関係って全然入ってないんだよね。あそこで読破されて売上が下がることを懸念してるのかしら?と思ってしまうくらい。
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posted at 14:19:17
(→)エヴァでは超越的な存在を無理くり人造人間に改造して戦わせるためにこれまたひじょーに人造的な性質の「一方的に人間に使役される都市」が構築されており、都市とエヴァは入れ子細工になる。なお「第三新東京市に第三新東京市である事を演じさせる」強度の高さではヱヴァ破が突出してると思う
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posted at 10:58:16
(→)で、その全体の生命をつかむために頼りにできる即物的・観念的な範囲として「町」というのはたいへん重要であろうと。/昨日も書いたが、『フレッシュプリキュア』は主人公およびその近親者・ご近所さんが“クローバータウンストリートを演じる人々”としてドラマを織り成していた点が重要。
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posted at 10:47:32
(→)両さんや寅さんは下町のヒーローだが、彼らは下町の文化を(外的な目を借りて)眺めるのと、(自律的に内側から)下町の文化に生きるのと、(外部からの目に対して)下町の文化を見せるのを同時に重ねており、どれかひとつを機能的にこだわって語ると全体像にある生命を逃してしまうだろう。
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posted at 10:38:57
(→)「自らを演じる者たちによって自ら生成される舞台」で、ジョーカーとバットマンと大衆はそれぞれがお互いに対して演者であり・観衆であり・舞台であり、“ゴッサムシティを/で/演じる”ことになる。これは静的な役割論や象徴論におさまる問題ではない。
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posted at 10:32:04
いわゆる“ご町内ヒーロー”(基本的にひとつの町・都市内での活躍で物語が展開されるヒーロー)はたぶんヒーローであることよりも「町」のほうに存在の重心がかかっている。ここでいう町というのは(→)
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posted at 10:29:32
ひとに自分や自分の好きなものを褒めさせるRTは正しく使えば効果的だが、その際にはそれが映画のCMで客に「●●●最高ーーーっ」と言わせる手法と同じくらいの反発リスクが足元に潜んでいることを弁える必要があるように思う。
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posted at 02:01:53
あんまりそこにこだわっても偏向した意見になるのは承知ですが……自分はあくまで「ゴローちゃんよくやった」的なアングル(=監督論)ではなく、「ジブリスタッフは素の自力でこういうものを作れるのだ」というスタジオ論のアングルが欠かせないと思っているわけです
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posted at 01:29:08
「全員がそうだとは言わないが、一例として」というレトリックで、ある集団に身を置く誰かに悪印象を付けると、その後すべての構成員が個別に「全員がそうだとは言わないがこいつについてはそうなのだ」と、幻の“全員”を言い訳に切り分けられて現実には全員が悪印象を背負わされることがある。
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posted at 00:07:56