地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年10月02日(日)
赤松 健 ⋈(参議院議員・全国比例) @KenAkamatsu
【Jコミnews】JコミのiPhone&iPad用閲覧アプリ(無料)は、スマフォ版公式サイトと同時に11月1日公開予定です。画期的なアイデアにより、全てのマンガを修正無しで全ページ読むことが可能となりました。アプリなのに一体どうやって?!ご期待下さい! #jcomi
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posted at 23:31:10
「電力余剰注意報」が出て「地球のため、未来の子供達のため、少しでも電力を消費し放電に務めてください」という"E-AC"からの告知が流れる東京、という風景はまさに2011年の日本SFならではだな>「スワロウテイル/幼形成熟の終わり」
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posted at 16:32:33
深夜アニメクラスタがキッズアニメ(除くプリキュア)をガン無視しつづけるのも、キッズアニメは前述の意味での「プロ」の商売として認識されてるからなんだろうと思う
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posted at 15:12:03
電子通信社会になって共同体意識がかえって「狭く」なるというのはマクルーハンの予測通りすぎて苦笑いするところではあります RT @makoyan_225: 自分の好きなものが皆も好きであって欲しい共同体幻想に支えられて残っている稀有な業界。 RT @izumino そろそろ商業主…
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posted at 15:04:11
まぁ「相手が反論できないdisがしたい」という手段に最適化するとこうなるってのはありそうですね RT @sawame_ja: @izumino 自分の好き嫌いについて語れない(原因が中か外かは置く)のと、力を振るう指標に売上が使いやすいのが大元なんでは。
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posted at 14:56:01
プロの商売なら「人気なくても通好み」という市場が成立する(実際はともかく台所事情に消費者の気が向かない)という意味ですね。芸能界だと、女性アイドルなんかより若手お笑い芸人の方がよっぽど食えてないと思うけど、彼らがそういう生活してることを誰も気にかけないのが「プロ」の証なんでしょう
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posted at 14:45:11
漫画界と小説界?はまだ「売れてる=悪」の論理は根強いような気もしますが、それは以前の女性アイドル論と同じで、セルパッケージビジネスは「プロの商売として成り立っていない」という幻想をみんなが(不幸にも)共有してしまってるからなんだろうな、と t.co/J85J7rYm
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posted at 14:39:16
今の空気は商業主義とはなんか違うのか。「いやー売れ売れでしょ」っていう拝金主義ならむしろ歓迎だけど、最近のは「ちょっとでも売れなさそうならバッシング」という謎の総監視社会だからのう
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posted at 14:27:03
そろそろ商業主義でアニメの話題がホットになる流れにもみんな「飽きて」くれればいいんじゃがのう / “角川アニメ(『日常』『R-15』『いつか天魔の黒ウサギ』 )の凋落が激しい模様・・・京アニ神話崩壊|やらおん!” t.co/ylc31nGm
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posted at 14:23:12
マンガでも背景初心者の方に覚えていただきたいイロハの一つですね♪ RT @masyuuki: 手前の自動車が同じくらいの大きさで写るようにして画角の確認。今度は上が望遠、下が広角。こんなに違う! t.co/mqOhnhpm
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posted at 13:49:06
(→)ARIAやクロワーゼを見ると分かるけど、「まち」のもつ「キャラのふるまいを司る演出権」は、外から「まち」へやってきて客人としてそこにいるだけの者(観光客めいた立場)に対しても同じ深度で及ぶので、内輪と部外者を分断するムラ的な?コードとはちょっと違うものとして考えておきたい。
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posted at 13:16:07
(→)あ、その意味で、『BLOOD-C』とか同系の人工環境舞台の恐怖感というのは「町の秩序が人間の作為に従属させられてしまったコワさ」ということであり、それは裏をかえしてみると本来は町が人に先んじるほうが自然なのを示しているともいえそうですね。
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posted at 13:06:24
(→)これを極端にしたのが『銀河鉄道999』で、あれは星を巡っているようだけど実質的には「町」を巡るロードムービーですよね(SFスケールで「星」に置き換えてる)。そこで、「町(星)の住人の性格」というのは、町(星)のほうから根拠づけられ、演出されている。
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posted at 13:00:39
(→)例えばスイートプリキュアの加音町は音楽の町で、音楽好きの住人が暮らすが、「そういう人々が集まる町」ではなくまず「町のほうから人々に“そうふるまわせる何か”が働いている」という、その“出来事”を捉える。しばしば舞台がキャラに従属しない、どころか演出権すら行使するのが分かる。
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posted at 12:53:56
お祭りは祭りを行う場所(土地と空間)だけを意味しない。場所、参加者、開催される前後あわせた時間、参加者のふるまいを機制する「お祭りではこういうことをする」というコード、過去に行われた祭りとの連続・反復性などなどひっくるめて、ひとつの“出来事”である。「まち」もこれに準じて把握する
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posted at 12:30:42
フィクション作品の舞台における一単位となる「まち」(町・街・都市)とキャラの相互関係の準備考。この場合、「まち」はステージというより“出来事”に近い感覚でとらえる。/ 「まち」が出来事というのは、例えばお祭りのようなもの。(→)
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posted at 12:28:15
非公開
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posted at xx:xx:xx
ガンダムのようにユーザーや複数の制作者の手によって蓄積されてきた偽史というのも合せて考えたいですね。 / “『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる - ピアノ・ファイア” t.co/Yix4THJn
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posted at 10:30:58
むしろ、たとえば入江亜季が登場したころ00年代なかごろには、あまりニューウェーヴとは結び付けられていなかったのではないかと思う。それはなぜなのか。なぜ10年代に入ってNWがリヴァイヴァルした<かのように>見えるのか、問いを立てるならこうだな。
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posted at 04:01:16
まーニューウェーヴオヴ~ということをあまり強調しすぎると、90年代~00年代の文脈がごそっと見落とされるから、そこは慎重になっておかないといけない。と急いで言っておくよ。
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posted at 03:44:12
もしマンガでニューウェーヴ・オヴ・ニューウェーヴと言うのなら、デビューが少し先行する伊図透(『ミツバチのキス』)あたりも入るだろうか。あるいは石黒正数も? これは大友克洋のリヴァイヴァルというほどの意味だが……
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posted at 03:41:55
西村ツチカ、ふみふみこ、市川春子、田中相、九井諒子といった新人作家たちが続々と出てきている。彼らの作風は、7~80年代のニューウェーヴを彷彿とさせるが、もちろんストレートにそこに戻るものではない。時代の反映も当然ある。さて、では批評の言葉は……?
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posted at 03:22:08
九井諒子『竜の学校は山の上』はとてもいい。少し驚いたほどだ。たしかサイトは誰かに「これいいですよ」と勧められてた記憶があるのだが、本になってようやく良さに気づくことができた。ウェブマンガには、もっと貪欲に見ていかなければいけないのだが、なかなか。
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posted at 03:18:56
実在の大事件をあからさまに臭わせながら臭わせるだけ臭わせて晶馬たちがひたすら悲愴な面持ちをしているだけで終わったらそれこそ悪趣味の極みだし、かといってあれ以上の描写をすると比重が変わって余計な重みと空洞化が生じると思うんだよなあ。視聴者の下衆な期待に応える必要はない。
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posted at 03:17:23
柳下毅一郎は日記で《局外者的な態度を許さない映画》とは言えるかも、と書いているのだが、自分にも平野氏の監督したAVを観て(収集はたいへんでしたよもう!)、そのことばかりを考えていた時期があるので、やっぱりどうしても平静ではいられないところもあり。亡霊が甦ったみたいなものだもんね。
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posted at 02:47:27
今日は平野勝之『監督失格』を観たわけで。案の定、何もできずにイマこの時間までこうしておめおめ生きている。こんな映画があっていいのか。ドキュメンタリー/フィクションという線引きなど存在しないことはとうにわかっていたはずなのだが。動揺せずにはいられない。
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posted at 02:21:30
若者の特権というのは「昔を知らない」ことなんだ。数年くらいのスパンでものを考えられるということ。とりあえず話を文化的なことに限っておくけれど、あらためてそう思う。
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posted at 01:56:17
某氏が「メタ物語は退屈だ、スタドラの演劇がつまらなかったように」と言っていて、それは同意するんだけど、スタドラはあのタイミングであの面子が揃ってああいうこと(つまんない演劇)をやるってのが素晴らしかったわけで。メリーさんはやはりあれを語る晶馬の声と表情を見るべきなのだろうな、と。
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posted at 01:15:03
どうも画面分析派は入れ子構造とかが好きな傾向にあるみたいだ。画面の運動が事物の関係性や展開を示唆している、みたいな。ピングドラム12話でいうところのメリーさんの羊の寓話とか。ああいうのを見ていると自分はぼんやりしてしまう。
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posted at 01:09:06