地に足をつけたい
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- 自己紹介 女の園の星 / 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト / Slay the Spire
2011年03月24日(木)
いや、絵のある作品を「客観的に」眺めることなんて不可能なんで、無意識には誰でも「絵柄に合わせた精神年齢」に変わっちゃうわけですけどね。その潜在意識の反応に自覚的になれるか、自覚しないかの違いがあるんではなかろうかなと
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posted at 19:51:16
視点論にひっつけていうと、アニメもグラフィック表現なので、世界を切り取るカメラがどんなフィルターをかけているかで作品の精神年齢も決まります。「子供から見たような世界」を受け入れるのがコアな視聴者だとすると、「子供から見たような世界、のような絵柄のアニメ」を鑑賞するのが普通の人と。
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posted at 19:47:54
はんぶんとはいっても実質は一割にも満たなくて、基本は「ああ、子供は子供だなあ」と親心をフル回転させながら眺めてるわけですが、「どっか」に「それ」がないとキッズアニメって面白くないと思いますね>年下目線
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posted at 19:38:50
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訓練された大友は、女児アニメみるときに「主役のお姉さんに憧れる」年下目線の感覚を必ず半分もってる。逆に「自分より年下」としか思わないのが普通のオタク。「キッズアニメとはこういうもの」という話をする際に全く前提を共有できなかったりするケースはこの違いが理解されてないときじゃないかな
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posted at 19:29:34
いままで「子供向けのジャンルを大人の趣味と勘違いしすぎでしょきみら」って感じで魔法少女について書いてきたけど、そろそろ「女子の趣味を男の趣味みたいに語ってるんじゃないですよ」みたいな意見もあった方が……と思いつつ、いきなりぶつけられると血が流れそうなのでこっそり知りたいw
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posted at 14:15:59
ほむほむかしこそうというのは1話の数学の授業ですり込まれたわけだが、あれがカンニングだと発覚した今、もはやほむほむがアホの子であることを疑う余地はほとんどない。
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posted at 12:05:11
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デーモン小暮閣下に子供が生まれた時 アホレポーター「お子さんには、やっぱり『悪魔ちゃん』って名前つけるんですかぁ?」閣下「つける訳ねーだろ。お前は自分のガキに『人間』って名付けるのか?」悪魔くん「・・・」怪物くん「・・・」うんこたれ蔵「・・・」
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posted at 03:17:38
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(→)それでいうと『シュガシュガルーン』(2005、原作:安野モヨコ)は『魔女っ子メグ』を下敷きにしたため「魔」のおどろおどろしいニュアンスを引きこむことになってたのはちょっと面白かった(魔女っ子メグの魔界観は他の近縁作品に比べるとかなり“魔”寄り)。
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posted at 00:09:45
魔女っ子・魔法少女は、西洋の魔女伝説におけるおどろおどろしいパワーソースとしての「魔界(地獄)」から「魔」がだんだん「超自然」くらいの意味に漂白されて「夢」「光」「星」あたりとニュアンス的にあんまり区別されなくなったのが面白い。つまり地獄から始まってるのに天国化してるんだよね。
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posted at 00:00:48
2011年03月23日(水)
@tanakayutak @mogura2001 思うところあり、自分の物語観みたいなものをまとめてみました。参考になれば…と存じます 「主人公が英雄とされるのは、「心の中の主人格が副人格に打ち克つ」様子を象徴するから」 togetter.com/li/115167
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posted at 19:51:26
その点、「中2」で「魔法少女」なまどかマギカは、その点でもジャンル的にズレがあるんですね。中2の魔法少女は『姫ちゃんのリボン』くらいでしょうか(姫リボにしても原作の読者層は同世代がターゲットになってると思うけど) togetter.com/li/115070
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posted at 16:26:22
セラムンやプリキュアの「中2の美少女戦士」シリーズについて語り足りなかったことといえば、これらは「中学生のお姉さん」を「女児」に見せて憧れさせるアニメであって、また魔法少女とは違うものなんだってことは強調しておきますね。 togetter.com/li/115070
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posted at 16:19:49
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で、最初から「魔法=ありえない奇跡、現実の人生に歪みをもたらす不自然な力」であるまどマギは、以上の「大人になる過程の魔法」ではなく、「ファンタジーを真に受けて実行するオタクの末路系」というか、ボヴァリー夫人とかドン=キホーテの流れに近いんだと思います。それは単にホラーでもあるけど
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posted at 12:42:44
(つづき)「魔法の世界で流れる時間が現実では一瞬である」という体験は、「読書」の象徴なんですよねー、と、幻想文学的な解釈でいけば。どんな大冒険も、変身願望も、読書による追体験では一瞬。具体的なものは何も持ち帰れないが、心の体験だけは持って帰れる。というやつですね
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posted at 12:33:40
あとジュエルペット てぃんくるのフェアリーテイルとして良くできてるところが、魔法界(ジュエルランド)と人間界の二重生活を送る上で、「ジュエルランドに行っている間は人間界の時間が進まない」というお約束の設定になっているところ。ナルニアでもお馴染みの設定ですが、これは
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posted at 12:26:17
説明が足りないか…。「黄金聖衣を借りる」「ゴッドクロスに成長する」が「大人の力の前借り」を象徴してるわけですね。トム・ハンクスの『ビッグ』みたいなものです
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posted at 12:23:58
ちなみにこの「大人になる過程の魔法」を少年向けに置き換えると、聖闘士星矢になります。あれは青銅聖闘士が「子供」の象徴で、シルバーが「上級生」、黄金が「高校生」、神々が「大人」を象徴し、主人公たちこどもは「一時的に大人にしてもらって大人と戦う」ファンタジーを提供するわけです
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posted at 12:20:20
あ、この「大人になる過程の魔法」というフレーズは以前も使いましたが、そのとき言っていたのは、つまりこのジュエルペットのような、という意味でした 「まどかマギカから学ぶ「童話(メルヒェン)としての魔法少女」学」 togetter.com/li/113774
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posted at 12:11:45
基本的には「誰でも頑張ればできること=魔法」であって、その力が「こういうステキな自分になりたい」っていうイメージから生まれているあたり、フレプリに近い「大人になる過程の魔法」を描いているような印象が強くありますね
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posted at 12:10:16
「心を込めたお菓子」を作って人を感動させる魔法とか、綺麗な服をデザインして人を喜ばせる魔法とか。女の子ががんばればできることばっかり。最終的な目的である「なんでもみっつの願いを叶えられるジュエルスター」がどのくらいの奇跡なのかによってちょっと読みが変わってきますが……
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posted at 12:08:01
毎週のアバンで「女の子は誰でもステキな魔法使い!」と断言するのが素晴らしいのですが、ようするに魔法っていっても「女の子なら誰でもできること」を大袈裟に表現しているだけで、奇跡や超能力ではないんですよね。
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posted at 12:05:11
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対照的に、「魔法少女への変身」の流れを追いつつも、メルヒェンとしては「大人になるための魔法」の形式をしっかり踏んでいるのが『ジュエルペット てぃんくる☆』。古典的なフェアリーテイルであり、ファンタジー好きとしてはすごく面白い(ここからてぃんくる語り)
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posted at 12:02:11
各論から戻ると、まどかマギカは「コスプレ魔法少女」の流れを汲むだけでなく、女性としての成長がそこでストップする。しかもそのままほっとくと社会不適格な「おぞましい女性」へと変貌するしかないとも告げられる
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posted at 11:57:41
つまり、「自分以外の誰か(=主に働く大人)」へと変身するアニメが「魔法少女もの」と呼ばれ、女の子の変身願望を満たしていたのが、いつの間にか「魔法少女に変身すること自体」それのみで変身願望を満たすようになるという、手段と目的の顛倒を経て90年代は幕を閉じているわけですね
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posted at 11:40:47
CCさくらのコスプレ志向がギラついてなくてどこか上品だったのは、さくらちゃん自身が魔法少女かくあるべしとトレースするんじゃなくて、知世ちゃんの「こうあってほしい」という願望につきあってあげる形だったからかもなあ。ある意味、それも“ひとの願いをかなえるお手伝い”の一環とも解釈できる
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posted at 11:40:26
「大人への変身」を目的にする魔法と、「魔法少女への変身」を目的とする魔法とでは、変身願望としての意味合いも、魔法や奇跡といった概念へのアプローチもまったく異なるはずだということはわかりますよね
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posted at 11:23:46
で、もちろんのことまどかマギカは、後者の「コスプレ型・魔法少女」のイメージがその根底にある。はじめのキル・ビル理論に戻れば、バットマン型にはさらに「完全なコスプレ」「強化スーツでコスプレ」「超人化してコスプレ」「超能力で変身」に分けられますが、「超能力で変身」のパターンですね
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posted at 11:17:53
(あ、ちなみにセラムンも初期は「大人に変身するアイテム」があったんですよね。まだ当時はやはり、「女の子の変身願望」を満たすためには欠かせないと考えられていた要素が「大人への変身」だったのだろうと想像できますね。)
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posted at 11:13:04
セーラームーンの影響化にある90年代アニメ(ウェディングピーチやナースエンジェルとか)が、男児向けの「変身ヒーロー」の少女版だったというのもあるけど、「大人に変身するもの→魔法少女に変身するもの」という顛倒を決定づけたのがこの「コスプレ感覚」なのだと思う
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posted at 11:07:16
つまり、「自分の以外の誰か(=主に働く大人)」の変身するのが「魔法少女」と呼ばれて、女の子の変身願望を満たしていたのが、「魔法少女に変身すること」がすでに変身願望を満たすようになるという、手段と目的の転倒を経て90年代は幕を閉じているわけですね
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posted at 11:02:52
そこで注目したいのが、90年代におけるプリティサミーとカードキャプターさくらの存在で、スピンオフとしては「原作の砂沙美がコスプレしている」プリティサミーと、「変身せずにコスプレ衣装に着替えている」CCさくら。魔法少女がいつの間にかコスプレ衣装とみなされるようになっていく
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posted at 11:00:06
90年代はすでにセーラームーンが「美少女戦士」へと魔法少女のイメージを塗り替えていて、「大人に変身する」のではなく「戦闘スーツに変身して、少女のまま戦う」のが当然になっていった。プリティサミーというスピンオフ作品が出ている時点で、魔法少女はすでにパロディの対象にされているわけだ
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posted at 10:55:53
スタジオぴえろの魔法少女シリーズがもっともその系譜を受け継いでいると言えるでしょう。最後を飾る1998年のファンシーララの変身ゼリフ「華麗なる成長~」は印象的(ちなみに98年の時点ですでに「古臭い」魔法少女ものというにおいがあった)
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posted at 10:49:58
女児向けのアニメ(少女漫画原作のアニメ)として魔女っ子/魔法少女のルーツにたどると、共通するのは「なりたい大人になりたい」という子供の変身願望を叶える手段として「魔法」を用いるのがメインだとわかる。ミンキーモモ、キューティハニー、ひみつのアッコちゃんなどですね。
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posted at 10:43:43
ところで「魔女っ子」と「魔法少女」は、おおまかに「元から魔法使いの異界の少女」と「魔法使いになる人間の少女」という、キル・ビル理論でいうところのスーパーマン型とバットマン型に分けられるわけですが、
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posted at 10:40:30
『戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌』の小田切さんの記事。 / ヒーローはいつも間に合わない | WIRED VISION htn.to/bZKBkT
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posted at 02:20:05