jabrafcu
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2011年05月31日(火)
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2011年05月30日(月)
neatの枝。neetではない。 twitpic.com/54k2r9
posted at 19:38:11
腐女子がセクシャリティかどうかなんて、(過激化して以降の)コミックJUNEの読者投稿欄とか見れば一目瞭然じゃないのん?思いっ切りセクシャリティ化してるひとと、ガチホモと、あくまで文学的ファンタジーと考えるひとが同居するあの空間が何よりも雄弁だと思うけど。
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posted at 19:26:22
呼ばれた気がするので "はてなブックマーク - AOI-CATのブックマーク - ニコマス" bit.ly/kfVNCT
posted at 04:10:02
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@ja_bra_af_cu 作家と音楽家としてのリンクがある人なので、むかし折口くんと柳田くんという小学生が出てくる短編書いてた記憶がw
posted at 00:29:19
2011年05月29日(日)
@ja_bra_af_cu いとうせいこうのHIP HOPと日本の古典芸能の話もおもしろいですよ。 amebreak.ameba.jp/column/2009/12...
posted at 23:36:42
@ja_bra_af_cu あとやっぱりdisのときは意識して聞き取りやすいラップしてるような気がしますねw自分で歌詞振った動画公開したりしますし。
posted at 23:31:25
@ja_bra_af_cu やはりそこは有名な「Dev Large vs Kダブ」のビーフに集約されてるきがしますね。超ザックリいうと、「歌詞意味なくても踏んでなくてもフロウ面白ければOK派 vs 意味のある歌詞でちゃんと韻踏めや派」という争点だったように思います(適当
posted at 23:10:14
俗楽旋律考のシビれるところは、れもんさんの言うように素直に聴いてる限りはスケールという概念を入れる余地のない俗楽に5音音階のパラダイムを設定してそれで説明し尽くしてしまったという、パラダイムシフトを起こしてやった感。
posted at 05:37:09
2011年05月28日(土)
「日常」が子どもに受けてるって話をみかけて思ったのだけれど、カリキュラマシーンとかウゴウゴルーガに子ども達は夢中だったわけで。ルーツのセサミストリートをさらに遡れば「Laugh-In」(さすがに観たことはない)になり、モンティパイソンの源流でもある、と。
posted at 23:11:19
以前のアニメはタナトスの中にエロスを込めてて,最近のアニメはエロスの中にタナトスを込めてる気がするな.
posted at 17:50:26
上原六四郎の前の時代に7音音階だと思われたのもわかるわこれだけ転調したり声揺らしたりしたら。
posted at 03:58:06
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2011年05月27日(金)
そして考えてみれば、生きることも勉強することも、本質的にはその活動自体が大切なのであって、何かの役に立つから重要とか、逆に何の役にも立たないからこそ重要(この種のシニシズムは単に前者が倒錯しているだけ)なのではない。
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posted at 01:23:36
それは、本当にただ行くこと、その場に身を置くことが重要なのであって、それによって何か特別なことが「経験」できるから重要なのではない。
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posted at 01:17:36
自分に影響を与えた20世紀思想家の多くはユダヤ系だった。ホロコースト関係の本もけっこう読んできたが、だからといって、たまたまクラクフに来たからアウシュヴィッツに行く必要は全くなかったし、行ってどうなるものでもない。正直行きたくない気持ちもあった。だが、やはり行くことは重要だった。
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posted at 01:14:34
そんなこと言ったって、ではどうしたらいいんですか?と人は聞く。どんな認識や行為が、世界を良くするために効果があるのか?と。でも、もしかしたらこの「効果」という考え方が足かせになっているのかもしれない。それによって世界は何一つ良くならなくても、それでも従うべき認識や行為は存在する。
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posted at 01:09:46
世界の悲惨事を好んで語りたがる人々は、すぐに「平和ボケの日本では想像できないでしょうが」などと言う。もしアドルノが聞いたら、「君の言う『平和ボケの日本』などというものがいったいどこにあるのか?この生の悲惨が君には見えないのか?」と問うたことであろう。
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posted at 01:00:43
アドルノが批判したのは、アウシュヴィッツを「想像を絶する惨劇」として美的にexploitするようなあらゆる「詩」(=アート)のことである。それらはすべて「断絶」を前提している。人を恐怖させる舞台を作り出そうとしている。そうではない、私たちの生と連続しているのだ、とアドルノは言う。
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posted at 00:56:52
アドルノは正確には「アウシュヴィッツ後、詩を書くのは野蛮である」と言ったのだ。「人は文明に伴う野蛮さから逃れることはできない」というのがこの文の重点である。つまり断絶ではなく、連続性の方が重要なのだ。アウシュヴィッツは文明と反対の野蛮ではなくむしろ文明の極端な徹底化だということ。
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posted at 00:50:11
"...nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch."とアドルノは書いた。よく「アウシュヴィッツ後、詩は不可能だ」という意味で引用される。つまり幸福な時代は過ぎ去った、その断絶の徴としてのアウシュヴィッツとして。
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posted at 00:41:13