永田淳一
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2012年03月30日(金)
遠足のルートが安全だなんて言っていたけど、実はそうでもなかったんだろうな、って何となく感じた。中止にしてほしいという意見も、きっと届いていたんだろう。とりあえず、束の間の安心だった。が、ちょうどその頃、息子が鼻血を出し始めた。
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posted at 23:59:12
遠足前日、「校長が全学年の全ルートを歩いて放射線量を測ってきた。が、問題のある場所はなかった」と言われた。その時も数値は教えてもらえず、「年間の基準値より全然低いですから」という意味不明な説明だった。ところが、遠足当日「強風のため中止にします」と連絡が。雨も降ってないのに。
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posted at 23:55:49
「登下校はマスクをしましょう」・・こんなルールのもとで、学校が始まった。でも、マスクをしてる人数はどんどん減って行った。春の遠足が近づいてきた。また黙っていられなくなった私は、こんな状況の中、長距離を歩かせる遠足なんて中止にしてくれと学校に直訴した。「遠くまで歩く」遠足だったから
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posted at 23:51:08
そして、新学年が始まった。入学式も、おなじようにランチルームでおこなった。真っ青な空が大きな窓から見えて、ポカポカ暖かくて、新1年生は椅子に座ると足が床につかなくて、みんな、足をプラプラ揺らしている、そんな何度も見てきた入学式の風景だった。
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posted at 23:46:42
無力だった。いつも、わがもの顔で役員として学校に出入りしていたけど、こんな時に何もできない自分が悔しかった。同じ役員も、強くは言わないけど「そんなに心配したってしかたがない」と言いたげなのはわかっていた。私は、だんだんと、言葉を失って行ってしまった。
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posted at 23:42:31
校長先生は私が持参した資料を「貴重な御意見、ありがとうございます。」と言って机の上に置き、開くことはなかった。「校庭の土を入れ替えてください」と私は意を決して言った。でも、返って来たのは苦笑いとこんな言葉だった。「みてください、この校庭の土をどうやってはがすんですか」
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posted at 23:39:04
無駄だろうとは思いつつ、ネットで調べた土壌汚染についての資料をどっさり持って、校長室へ。その時、校長先生と教頭先生はあらゆるつてを使って放射線測定機を借りてきていた。校庭や校舎内をすでに測っていた。でも、私はその数値を教えてもらえなかった。「大した数値ではなかった」と言われた。
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posted at 23:37:01
このままだと、何事もなかったかのように、4月から新学年が始まるだろう。いいんだろうか。いや、いいわけがない。もう、頭がぐちゃぐちゃだった。ひとたび学校が始まれば、うちの子だけを休ませておくこともできない。入学式だってやるだろう。その時、どうしたらいいんだろう。何ができるのか。
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posted at 23:33:48
卒業式をやってしまった・・・というどうにもならない罪悪感と、やってよかったんだという気持ちが入り混じって、苦しかった。その頃、ネットでは食べ物の汚染の話から土壌汚染の話へと進んで来ていたから。あの広い面積の砂や土だらけの校庭に、何も降り積もってないはずがない。当たり前のことだった
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posted at 23:31:01
体育館は使えなかった。校舎の中のランチルームで、規模を縮小して行った卒業式。ほとんどの卒業生が出席していた。中には中学校の制服を取りに行けず私服の子もいた。私は学校に着くまでマスクを2重にしていたが、久しぶりに友人と会って喜ぶ子どもたちの顔を見て、マスクをそっと外して出席した。
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posted at 23:28:29
震災直後から休校になっていた学校だったが、1週間ほど遅れて卒業式をやるから来賓として参式してくれと連絡をもらった。あちこちに避難してる子どもたちが、戻ってこようとするだろう。でも、節目の式をやってあげたいという気持ちも痛いほどわかった。卒業生の保護者の方々の希望が多かった。
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posted at 23:24:25
ちょうどそのころ、ずっとやっていたmixiに放射能のことを書くと誰もコメントをしてこない事に気がついた。みんな、当たり前のように、日常生活を送っていた。ディズニーランド、早く行きたい、なんて、毎日書いてる人もいた。読むのが辛くなって、mixiからは距離を置き、ツイッターを始めた。
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posted at 23:20:08
そこで、出来る限り危険にさらされずに生きていくにはどうしたらいいのだろうか。私は必死で考えた。私みたいな主婦が、原子力とか、放射能とか、全然知識もない一般人が、いくら考えたって出てくるアイディアなんてたかが知れてるのに、それでも、考えずにはいられなかった。
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posted at 23:15:10
私があの時「あーよかった。やっぱり安全なのね」って思えなかったのは、母親としての勘だったんだろうか。いまだにわからないけれど、あの友人の笑顔を見た瞬間、「何かとんでもないことが起きてるに違いない」って感じたんだ。 それでも、まだ、家や仕事を捨てて遠くへ逃げるとは思えなかった。
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posted at 23:13:07
友人は満面の笑みで隣近所へ講演会の内容のコピーを配りに行った。私は部屋に戻って読んだ。大丈夫、だいじょうぶ、心配ない、問題ない、子どもも大丈夫、外で遊びましょう、マスクも要りません・・・本当なら、嬉しいはずの内容が、妙に白けて見えた。あんなに心配してた友人の変わり様も怖かった。
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posted at 23:09:11
ご丁寧に、友人は講演会の内容を細かく書き留めて、コピーをしてくれていた。「100ミリまで、何の心配もないって、山下先生がおっしゃっていたよ。ご自分も被爆2世なんですって。こんなに健康です、って。わざわざこんなに遠くまで来てくれて、有り難いわよね。安心したわ。みんなにも配ってくる」
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posted at 23:06:49
講演会から戻ってきた、いわゆる「危険厨」だった友人は、なぜかマスクを外してうちの玄関前に立っていた。前日の心配そうな表情はいずこへ、笑顔だった。「あのね、このくらいの放射線は何の心配もないんだって。子どもたちも外で遊べるし、布団も干していいし、問題ないんだって。よかったね!」と。
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posted at 23:05:06
本当のことがわからないというのは、こんなにも不安なのか、とつくづく感じた。どこに助けを求めていいのかわからなかった。毎日、毎日、むさぼるようにネットにかじりついて情報を集めた。近所の詳しそうな人に聞いたりもした。友人の1人は「すごく危険だと思うから講演会に行ってくる」と言っていた
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posted at 23:02:48
最初に読んだのが、武田先生のブログだった。おおざっぱだったけど、大体の被曝量をこんな風に計算したらいい、っていうのが載っていて、計算してみた。どう考えても、そこにずっと住み続けられる数字じゃないって思った。テレビでは、バナナ食べても被曝するから大丈夫、とか言っていた。混乱した。
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posted at 23:00:48
自分の中で、必死に生きてる自分と、このままいつまでこんな状態なのかと思うと、子どもたちが心配で夜も寝られなくなる自分が毎日闘っていた。そのうち、せめてテレビに流れる市内の放射線量の意味くらい理解したいとおもって、恐る恐るネットを見始めた。
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posted at 22:58:08
そんな状態で1日、1日と過ぎていく。不安が、どんどん募る。でも、生活しなくちゃいけない。確かあの時、主人が言ったんだ。「親戚の家にお前たちだけでも行っていたら?」って。でも、毎日毎日大きな揺れが襲うようなところに、主人だけ残して行くなんて、申し訳なくて出来なかった。
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posted at 22:55:48
外に出さなければいいか、から、ちょっとだけなら、マスクさせればいいか、になり、お散歩くらいいいよね、って。それでも、マスクと帽子とナイロンの上着は必ず着せていたけれど。雨とか雪には極力濡れないように、って気をつけたりもした。
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posted at 22:53:11
でも、母親として、あの場所で生きていくためにはきっと無防備ではいられないということは気付いていた。だから子どもたちだけは守っていた。2週間、ほとんど外出はしなかった。食材も、絶対に地元の物は買わなかった。でも、ずっとそうしてはいられなかった。
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posted at 22:51:30
震災後、電気もネットも直ぐに戻ったのに、私はmixi以外を見ようとしなかった。怖くて、一度見てしまったら、もう自分がその場所にいられなくなるだろうって、わかっていたから。mixiでは友達が「大丈夫?よかった、無事で」と言ってくれた。誰も、放射能は危ないから、なんて言わなかった。
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posted at 22:49:13
海外に住む弟が「今すぐこっちに子どもたちをよこしなさい」って言ってきた時だって、(パスポートなかったから無理だったけど)「こっちだって必死に生活してるんだよ!避難とかそんなに簡単にできるはずないでしょう!」って言い返した。(ここで頑張ってる人だってたくさんいるんだ)と思いながら。
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posted at 22:47:03
でも、その友人が私に電話をして来て「そちらの放射線量はどう?」と聞いてきた時、「そんなに遠くにいるのに、関係ないでしょう!」と言ってしまった。後になって思えば、自分の家がある場所の事、心配していて当然なのに。だから私はわかるんだ。「外から危険危険と言われることが嫌だ」って気持ちが
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posted at 22:44:49
去年、私は3月の終わりくらいまで生きていくのに必死だったこともあって、「ここで生活するんだ、できるんだ」って思いこもうとしてた。でも、本当は内心、震災直後の大混乱の中、なりふり構わず仕事も放り出して遠くへ逃げた人たちが気になっていた。普段は冷静な友人が、そうしていたから。
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posted at 22:42:47
西船橋のみかんは皮だけで100Bq/kg超、可食部で40Bq/kg 伊豆や逗子のみかんでも二桁のセシウムが含まれている 幼稚園や保育園で安易に園庭や畑になってる柑橘食べさせないでね!
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posted at 22:33:39
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何があってもずっときっと楽観論。近寄らなきゃ大丈夫、とか。
【NHKニュース】東京湾。河口に近い川底の泥や砂から1キログラム当たり数十ベクレルから数千ベクレルの放射性セシウムが検出されたが環境庁は楽観論一色→
t.co/h0ZawzBw”
“@hanayuu:
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posted at 19:15:15
夕方の高速道路無料終了のニュースを見て、10歳の子が、「なんでもかんでも、3月にこだわるんだね」と一言。納得…。自主避難の家族面会や週末疎開、低線量地域への外遊びなど困ることがあるんだけど。
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posted at 17:55:47
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Y. Nozaki, Prof.(Dev @yasushi61
浜岡の地価下落:所用があって静岡県の浜松へ行った。天竜川を遡るタクシーで、運転手さんが「御前崎や浜岡からこっちの方へ引っ越してくる人がどんどん来てる。」と。それで御前崎あたりの地価が下がっていると話してくれた。東北でもそうなるだろう。全国でもそうなるだろう。いよいよ日本沈没。
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posted at 14:25:40
Y. Nozaki, Prof.(Dev @yasushi61
沖縄米軍も憂慮:米軍新聞に「在日米軍の74%の軍関係者がいる沖縄」で、「気がついた時は手遅れ」では困る、と署名運動に米軍関係者も参加している、と報じられた。基地の学校の先生方などが懸念表明。嘉手納基地の空軍は米領事館に問い合わせ。
t.co/WPzXCj5S
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posted at 13:56:09
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