永田淳一
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2013年03月04日(月)
おしどりマコ@脱被ばく。知りたがりの怒り @makomelo
そうですよ、大変ですよね、トリチウム漏れ漏れ状態ですから、マーベルコミックみたいな世界なんだな、今! @bibo850 こないだ「スパイダーマン2」見てたら「トリチウムが漏れたら大変だ」って言ってて、「やっぱり大変なんじゃん」と思いました。大変ですよね、やっぱり。
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posted at 22:01:23
原発事故は最悪だったけど、人生で何が一番大事かわかったね。信じてた人が笑っちゃう程雑魚だったとわかったり愛の試金石にもなったね。でも良かったんだよそれがわかって。人生はたかだか数十年。だったら本気で自分と子どもを守ってくれる人と過ごした方が幸せ。朝起きていきなり楽しい人生をおくろ
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posted at 20:44:41
昨日のひなまつりディナー(*^.^*) アップし忘れました。いまさらだけど、ね。なぜか、娘から酢豚のリクエストが。変なメニューだけど、ね。 pic.twitter.com/dQR8tZzr2J
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posted at 18:32:42
3/11(月)原発広告と原発報道のタブーに挑む!孤高の論客・鈴木邦男×元博報堂社員・本間龍『だれがタブーをつくるのか』刊行記念「タブー×タブー×タブー」ゲストは医療タブーに立ち向かう近藤誠!会場:阿佐ヶ谷ロフトA www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule...
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posted at 18:32:29
シェールガス革命は地中を垂直にそして水平に掘削する技術にある。掘削をひたすらやってきた蓄積の中からしか生まれない。フクイチの基礎下にパイプを入れ汚染を吸上げたり液状化地盤に硬化材を注入したり地盤改良がいっきにできる応用に注目した。
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posted at 18:03:39
では、もう寝ます。今日のオツトメはおしまい。 全然進まない、避難生活手記。それに、避難する前の事と比べると、なんか、それほどの出来事も無く、きっと読んでいても面白くない???かなーって思ったりするが、まぁ、これが実際の生活だから、仕方ないか・・・・リアルな生活ってそんなもんだよね
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posted at 00:46:22
(60)私が教室をやめると言った時、小さい生徒は泣いた。いつ帰ってくるの、またレッスンするのはいつ?と聞かれた。答えられなくて私も泣いた。避難してきてからも秋になるとハロウィンを思い出し、胸がいっぱいになった。そんな事を想いながらの就活がうまくいくはずもなかった。
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posted at 00:43:30
(59)自営の教室はもう11年目だった。すべてが順調だった。生徒たちはみんなとってもかわいくて、我が子のように思っていた。難しい年代の中高生の恋愛相談なんかも受けていた。保護者の方々とも仲良しだった。季節ごとのイベント、秋には100人ほどのハロウィンパレード。仕事が生きがいだった
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posted at 00:37:58
(58)避難前、私は自宅で英語教室を開業していた。生徒も幼稚園生から60代の方まで40名ほどいて、週に何度かは夜9時過ぎまで仕事をしていた。でも、それが出来たのも、隣に実家があり、私の仕事中に子どもたちに食事を食べさせてくれていた両親や主人ががいたからだった。
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posted at 00:34:47
(57)引っ越し後の片づけが落ち着くと、次は自分の仕事だな、と思うようになった。ちょうど春に向かう時期で、タイミングがいいかな、と思い、ハロワに足を運んでみた。仕事を探しながらも、自分が本当にやりたい事をするにはどうしたらいいんだろう、と考えるのをやめる事が出来なかった。
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posted at 00:31:56
(56)入居後、大家さんへご挨拶に行くと、「大変だったねぇ。何かあったらいつでも言って。出来ることあったらなんでもすっからね」と言って下さった。私の祖母くらいの女性とそのご主人。それから今まで、大家さんにはずっとお世話になりっぱなしだ。物やお金は無いけど人にはホントに恵まれている
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posted at 00:22:27
2013年03月03日(日)
今月末で台湾に来て一年。なんだかあっという間の一年。まったく中国語をしゃべれなかったけど今はずいぶん聞き取れなんとか話せるようになった。話せなくても特に不自由はなくみんな親切だからほんとに困ることもない。日本でいたときより、よく食べよく動き、よく笑い、よく寝てる気がする。
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posted at 23:47:46
(55)団地では居間にしてる部屋に布団を敷いて寝ていた私だったが、転居して、自分だけが寝る部屋が出来た。これが実は一番嬉しかった。息子12歳、娘14歳だから、どうしてもいっしょというわけにいかず、1人ずつ個室を与えた。ベッドはあるが、机が無い部屋。2人とも床に座って勉強していた。
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posted at 23:36:50
(54)転居後の片付けは思ったよりすぐに終わった。娘は、今まで徒歩で40分位かけて通っていた学校が近くなり、すごく嬉しそうだった。息子はちょっと遠くなったが、私の助けは要らないと言って、雪道を歩いて通った。4月からは息子も中学生、近くなるから大丈夫、と先の事を考えた選択だった。
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posted at 23:33:27
(53)無事、借り上げ住宅への引っ越しは終わった。私1人で見て決めてしまった部屋。子どもたちがなんて言うかな、と心配だったが、ものすごく気に入って喜んでくれた。借り上げ住宅なんだよ、ということを説明して、理解させた。2人とも、もう大きいので「北海道にたくさん感謝だね」と言っていた
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posted at 23:30:38
(52)私があまりに疲弊してるのを見かねた主人が、引っ越しの前日に急遽来札してくれることになった。今思うと、あれで私1人だったら、引っ越せなかったんじゃないか?というくらい、何もかもが中途半端に手つかずだった。娘はテスト直前、息子は風邪気味で、手伝わせることも出来なかったから。
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posted at 23:24:46
(51)借り上げ住宅への引っ越しが1月下旬に控えていた。引っ越し業者の手配、荷物のパッキング、その他、住所の変更連絡、学校への連絡、、、(小学校が学区外になってしまうため)雪が多い時期に毎日出かけねばならず、大変だった。たった半年だったけど、団地の部屋には物が増えていた。
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posted at 23:21:39
旦那が帰った。
空港に着く直前まで鼻水垂らして号泣だったけど人前ではこらえられるようになった。
子供はお兄ちゃん泣きっぱなし。
こんなのあとどれだけ続くのかなー。
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posted at 22:37:42
私は、記憶力もないし、運動も、勉強も出来ないし、ホント学校はつらかった。もやがずっとかかってて、消えたのは小2、突然世界がクリアに見えた。なんで、わたし、ここ(教室)にいるのって。ちなみに、川を見ていて遅刻二回した(笑)
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posted at 22:34:41
etv 見てたら、なんか自分の小さいとき、マジ生きにくかったこと思い出す…。集中してたら、みんなが体育行ったの気が付かず、走って帰宅しちゃったり。昔は、おとなしい子は、ほおっておかれたからなぁ。
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posted at 22:21:26
またもや書き込みがあります「どこが右翼だ」「似非右翼」…と。そして、「自称右翼の極左野郎」。これはいい。気に入りました。だから本番中なのに目もしてしまいました。
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posted at 22:14:51
(50)三日ほどして主人は福島へ帰った。駅まで送り、家へ戻る時、いつも思った。「一体いつまでこんな生活が続くんだろう。ずっと、これでいいんだろうか」 私はいつも自問ばかりしていて、答えなど出したことがなかった。見つからなかった。1月末に引っ越しも控えていて、気が重くなった。
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posted at 18:24:45
(49)帰りは主人も一緒に札幌へ。たぶん、不在の間に雪で車が埋もれているだろうし、凍結でもして水漏れしてたら私だけでは対応できないだろうということで。団地に戻ってみて、それは大正解だった。車は雪の塊に化けていたし、おまけにエンジンはかからず。トイレも凍結。1人じゃなくてよかった。
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posted at 18:20:09
(48)私は18で海外に出た。その時母は「もしかすると二度と生きて会えないかもしれない」と覚悟を決めて送りだしたそうだ。今、この歳になって、また親に同じような思いをさせている。親とはなんて強いものなんだろう。私は同じように子供たちを守れているだろうか。申し訳なさでいっぱいになった
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posted at 18:10:00
(47)後ろ髪を引かれるような息子と、やっと帰れる、と明るい表情の娘を連れて札幌へ戻る朝、両親は、いつまで避難しているのかとか、戻る気はあるのかとか、そんなことは一切聞かずに「風邪ひかないように。車の運転気をつけて」とだけ言った。「守ると決めたらとことん守りなさい」母は言った。
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posted at 18:05:10
(45)娘はその日の夜私にだけそっと言った。「もう札幌に帰りたい」みんながいるところで言わなかったのは、娘なりに気を遣ったのだろう。「もう、自分の家じゃないみたい。友達には会えてよかったけど、札幌に戻りたいよ」 言葉が出なかった。ここは自分の家なのに。生まれ育った場所なのに。
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posted at 17:21:55
(44)福島に着いたその日、娘は以前の中学の先生や友達に誘われて部活に特別参加した。これだけは、とても楽しみにしていた娘。でも数時間して帰宅した時、表情は暗かった。「無防備すぎて。でも何も言えなくて。いつ帰ってくるのと聞かれたけど答えられなくて」と。全部、大人の責任だ。
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posted at 17:19:31
(43)結局、帰省中の1週間、ずっと実家で寝泊まりした(隣が実家)。両親が喜ぶということもあったが。食材は私が先に段ボール一杯に北海道から送っておいた。そんなこともしたくなかったが、やむをえなかった。母は逆に「やるなら徹底しないとね」と言ってくれた。ホントに有り難いと感謝した。
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posted at 17:16:54
(42)測定機を持って2階へ上がった。床近くでも0.3μ。天井付近まで上げると0.6を超えた。半年前と、何も変わっていなかった。私はひと月くらいの間、この部屋で子どもたちを寝かせてしまっていた。それを思い出してしまって、息苦しくなった。「実家の方で寝るしか無いね」と言いながら。
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posted at 17:11:46
(41)半年ぶりに自宅に帰った。男所帯になりどんな状態かと心配したが、思ったより片付いていてホッとした。でも、なんだか身の置き場が無く、落ち着かなくてどうしていいかわからなかった。「2階の子供部屋はまだ高くてダメなんだ」と主人は言った。子どもたちも2階へ上がろうとしなかった。
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posted at 17:08:56
かばきち/タイリクオオカミを連れたへべす @tokabakichi
剣道では面の下に手ぬぐいを巻きますが、裁断してある両はしを縫ってしまうと、ゴロゴロあたって痛いので、縫ってはいけないと教わりました。最初はほつれますが、そのうち不思議に落ち着いて洗濯してもほつれなくなります。
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posted at 16:09:17
郵便の自動転送はネットでできた。クロネコヤマトもネットで申し込めたのだが、申込書が郵送されてくるそうだ。クロネコ以外の宅配便業者は放置だ。(旧住所に送られた荷物は届かない)
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posted at 14:56:44
有力銀行は住所変更をネットで簡単にできる。弱小銀行になればなるほど、申込書の郵送だとか書類だとかの郵送を求める。別に、弱小銀行に住所教えておく必要ないだろ。おまえらは放置だ。
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posted at 14:54:32
ビデオニュースのインタビューで、遠隔操作ウィルス事件の弁護を担当する佐藤博史弁護士が被疑者の無罪を確信すると語る。この闘い、警察情報を垂れ流すマスコミ対ネットジャーナリズムの闘いでもある。私見では後者の勝ち。頑張れ!ビデオニュース。
bit.ly/14f6OsU
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posted at 12:45:04
最近の除染スタッフの求人、
やっと先々週辺りから日当¥15500~(諸手当含)に落ち着いてるけど、
危険手当¥10000はもれなく払わなくちゃいけないんだから、
実質日当は8h計算で最低賃金という笑えない現実。
福島県いわき市。
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posted at 11:14:44
@cont_mama うん、起こったことは変えられないから、未来を変えるしかないし、許して次に進むのも覚えたし、子どもは大人が思うほど弱くないし。がんばっても、たまにがんばりすぎないのも大事ですよね?
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posted at 07:47:32
@akiakilucky おはようございます!きっとみんな同じような状況だったよね。。。そこから抜け出そうともがいてみたり、もうダメだ、、って諦めかけてみたり、やっぱり頑張らなくちゃって気合い入れ直したり、、、私もそんな中で子どもたちの成長の凄さには感服してる。頑張って来たよね
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posted at 07:41:29
@cont_mama 茶碗の話もそうだけど、共感する部分が多くて…。子どもの方が、友達出来たり、普通に学校になじんで、拍子抜け。自分だけ半分ふくしまの気分。いろいろあったけど、子どもたちは将来どこに行っても、やっていく自信がついたのは間違いない。
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posted at 07:26:26
強風、大雨のときは、出かけるなって、手拭いに書いてあったオヤジの小言を思い出す。これは、福島県にいた時、事務長さんが、ロッカー室に貼り、ことあるごとに、うすらかすらしてんなよって。
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posted at 07:15:34
(40)福島空港に着いた。主人が迎えに来ていた。車に乗り何度も走った道を不思議な気持ちで見ていた。半年前までここにいたんだ、と。息が、深く吸えない。子どもたちにはマスクをさせた。ここで暮らしている人達もいるのに、そんな事をする自分が嫌だったが、しないわけにいかなかった。
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posted at 01:06:39
(39)帰省する朝、団地の部屋の水道を水抜きし、呼んでおいたタクシーに乗った。息子は嬉しそう。娘は仏頂面。私は、というと、何だか、もう札幌に戻れないんじゃないか、なんて、不思議な感覚に囚われていて、怖かった。自宅へ戻ったら元の生活に戻りたくなるんじゃないかと、怖かった。
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posted at 01:02:32
(38)帰省すると連絡すると、主人も実家の両親も喜んだ。もしかしたら、母は「帰ってこない方がいい」って言ってくれるんじゃないか、なんて思ったが、やはり孫に会える嬉しさの方が勝ったようで、何が食べたいか、何日いられるのか、と繰り返し聞かれた。私も帰りたいそぶりをするしかなかった。
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posted at 00:57:57
(37)11月の終わり頃、年末年始はどうしようか、という話になった。私は、ホントのところ、福島には帰りたくなかった。子どもたちに聞くと、娘は帰りたくない、息子は帰りたい。悩んだ。が、翌年は娘の受験になることを考えたら、やはり一度帰省しなくてはと思った。でもなんだか苦しかった。
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posted at 00:52:41
(36)すぐに決めてしまったのは、もう申請期間がギリギリだったから。とにかく、直感頼みみたいなところもあった。学校からは歩いて10分以内。ガレージ付き、ここしかない、という頼りない自分の直感で決めた。年末年始は福島に帰省することにしていたので、書類を作るのがギリギリで大変だった。
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posted at 00:39:02
(35)自分1人で不動産屋へ行き、物件を見て歩き、決定する、なんていう作業をしたことが無かった私だが、追いつめられれば何でもできるもんだと思った。1日で3か所の不動産屋をまわり、9軒の物件を見てきた。いくつかの条件があったが、ちょうど全部クリアする物件があり、即決した。
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posted at 00:36:29
(34)ちょうど11月ごろだったか。民間借り上げ住宅制度が適用になると聞き、大慌てで書類をもらい、引っ越しが出来るように準備を始めた。娘が通う中学校が思ったより距離があり、部活がある日などは帰宅が8時ごろになることを考えると、もっとそばに引っ越したいと考えていた。不審者も出るし。
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posted at 00:23:51
(33)お茶碗やお箸も絶対に片付けてしまわずに、私達の分と一緒に出しておいた。来た時だけ、お客様の分のように出して来て使うのはいやだったから。それでも、やはり何となく居場所に困るような様子が見て取れることがあった。子どもたちも大きいし、スペースが足りなくて仕方がなかった。
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posted at 00:00:46