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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2014年03月29日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月29日

知性というのは意志のことだそうで、疲れているのでもなければ、だれでも知性があるんだそうですよ。ただ意志を鈍らせる曇りみたいなものはありますよね。@Shin_Kishida そんなに知性的ではなくすみません。@LitoSnowfield

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posted at 00:12:03

2014年03月30日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

昨春はそんな混乱で指導どころじゃなく、直前にメルロとかいってたのだが、さっき書店で赤本をみたら、去年の東大文系の現代文、モロ、メルロの知覚の現象学をめぐる文が出題されていて、けっこう驚いたw なんという的中率w bit.ly/1mfubx0

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posted at 01:15:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

指示語の中学国語からの積み上げでは機械的認識になり解けないからね。ハイデガーが言うように、神を要請する認識が陥る機械化とは異なり、世界を解釈することで初めて現存在になるような文で東大は国語を問うからね。 @Oygnino これはいい問題ですね。接続語と矢印だけでは解けない笑

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posted at 20:53:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

漠然と私達の世代はハイデガーなど読んでいなくとも、機械的な認識主体なんかに陥ることなく、時代感覚のように世界-内-存在で生を営めてるはずだが、こと現代文対策で予備校的な機械的な読みに陥ると到底歯がたたない文を東大が出題してくる、というのはそういう意味なのだ。@Oygnino

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posted at 20:59:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

ハイデガーのデカルト批判というのは、認識では機械的すぎるということなのだ。神の下で機械になる人間といった程度のことだ。文でも同じで、機械翻訳ではないが、機械的な方法では正答に達せない。それを現存在=解釈といっているのだが、意識的に国語はそれを問うのだよ。@Oygnino

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posted at 21:03:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

機械が認識するか、現存在が認識するか、結果は真っ二つだろうからね。テストし易いのだ。というかそれしかテストできない。機械のつもりで解けば不合格になる。当たり前のことだから、子供でも解けるのだ。熊野梗概では→ @Oygnino pic.twitter.com/IBkLi8yeVo

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posted at 21:23:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

その熊野梗概に、お前は互いに触れ合えない椅子と壁の、家畜ヤプーかよ?というのがでてくるのが、そういうことを日本のテストという様式の国語では問う。「内-存在である現存在だけが~覆いを取って」とあるが、ベールを取れるか?@Oygnino pic.twitter.com/lTIDeVEjPZ

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posted at 21:44:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月30日

その東大問はメルロによるモネ論だが、従来私の現代文講義では、その違いをセンター2005の小津安二郎論 bit.ly/1gcJWzq や早大法学のモネ論2005 bit.ly/1pEea3U などで浮き彫りにしてきた。@Oygnino

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posted at 21:46:09

2014年03月31日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

テストするものとしての日本の国語で、小説が外せないのも、眼差し(どこを見ているか)でテストを方法化するしかないからね。@Oygnino 知覚論関係で眼差しと並び見、まさにホットなテーマですね。笠井潔もしばしば小説で取り上げていますね。

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posted at 05:02:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

斎藤第六章第6節2。twitter.com/sunamajiri/sta... の続き。やっとハイデガーも私達に近づいた。ニーチェの超人批判だが、ヘルダーリンによる解釈学の脱形式化への転回という「哲学への寄与」。機械的反復→意志→テクネー→反自然。bit.ly/1gSzvHm

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posted at 17:08:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

「秘教的」とされる『寄与』は解釈の機械的反復性を打破する「公教」化、と斎藤は指摘するが、前期~『存在と時間』にある形式性は、「意志」ということのようだ。解釈を脱形式化すると意志によるテクネー(作為)から脱却して、「原存在」という根源的な問いが可能になる。迷いが払拭できたのね。

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posted at 17:26:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

つまり、『存在と時間』の問題は、演繹できる数学のような存在動態という用語化によって、意志や作為や被制作性というテクネーに陥りかねない、ということようだな。それでは解釈の機械的反復になり「複数の解釈者による解釈の反復可能性がなくなる」。それでも「原存在」と用語化してしまう悲哀。

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posted at 17:28:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

解釈に形式的告示のような形式性を持ち込むと、意志→作為→テクネー→被制作性という「別な原初」を招き入れてしまう。そこでニーチェに対するヘルダーリンのような、非形式的な秘教的な用語化によって、解釈の複数可=不確定性を、形式に対する遂行的実質にする、というのが第六章第6節2前半。

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posted at 17:33:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

ここで日本での受容史で気になるのが、1)三島のヘルダーリンの受容twitter.com/sunamajiri/sta... 、そして2)3.11直後、脱原発へのアソシエーションを言い始めた柄谷行人に対して、池田信夫がテクネーへの誤解だと論難したあたりだ。どっちが意志的=被制作的なのだろうか?

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posted at 17:43:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

そこをいくと、三島の『潮騒』を、『潮騒のメモリー』にしてしまった、朝ドラ『あまちゃん』のクドカンが、震災から得た直感、つまり解釈学的形式に対する(非機械的な)実質は、凄みがあるな。youtu.be/fFIC6xKCGl0

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posted at 18:01:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年3月31日

平たく言うと、ハイデガーのいう形式的告示に対する解釈学的実質、機械化されない解釈の複数可=不確定性というのは、ジャーゴンにとらわれないということだ。ハイデガー用語によらずに、ヘルダーリンのように一回的に遂行する。それは(ニーチェのような)意志や作為のような機械化では得られない。

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posted at 18:14:55

2014年04月01日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月1日

斎藤博論。ハイデガー『寄与』の6つの接合肢「響鳴」「遊投」「跳躍」「基づけ」「将来的な者たち」「最後の神」のうち「跳躍」で示唆される「ニーチェの超人とは異なる最後の神」につけられた注釈、「上掲訳書」となってるが、注釈中にみつからん。 pic.twitter.com/bTOLpBuArO

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posted at 15:27:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月1日

斎藤博論第Ⅱ部 存在と時間の解釈学的転回 面白かった。結論部はハイデガーが全集の最後の公刊を遺言し、第二主著といわれる『寄与』の本有化における転回の内実。bit.ly/1dJSQKG 斎藤第六章第6節⑵ 後半 『寄与』の詩的跳躍による意志的創造から解釈への転回

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posted at 19:13:11

2014年04月03日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

さて、斎藤博論第Ⅱ部の感想をば。『寄与』が高すぎて買えないのだが、読まないでも十分にハイデガーの一回性=反省=転回の内実を分からせる論述になっていた。というのも、そもそも私達から見ると、西欧哲学の問題は、単なる出来レースのようにしか見えない。折り合いの付け方にしか関心はない。

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posted at 07:08:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

もちろん、『寄与』を死後公開としたハイデガー自身、その一回性しか「無い」ことを心得た上だ。しかも死んだんだから作為的と思えない。その作為性を反省し、虚無から無に転回して、有るを見出すというのが『寄与』なのだそうだが、ここではもはや形式も遂行もない。

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posted at 07:09:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

斎藤博論第Ⅱ部の結論部を要約すれば、ツァルトゥストラの『死の自由』を、意志として受け止めた『存在と時間』を、一回的に反省すると、作為的な「神の死」から、虚無ではない無としての有、へ転回する、のだという。こうしてハイデガーは死後の世界ではなく、無に帰した。

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posted at 07:09:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

つまり、お分かりのように無に帰したのだから、有だけが遺されたのだ。ツァルトゥストラは、相続者が珠を投げるのを見届けるまで、それでも大地に留まることを許せという。しかしこれでは虚無的だ。ハイデガーは無に帰して有になる。そういう反省が『寄与』という死後刊行物なのだ。

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posted at 07:16:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

ここでは、虚無的であることと、意志的であること、あるいは神の死のような作為的であることや、被制作的であることが、すべて同列視されている。こうした反省を一回しか遂行しないこと。生前には「黙理」という論理しかありえず、それは死後に語るしかないこと。そういうことが語られている。

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posted at 07:22:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月3日

それだけに強烈に有、存在だけが遺された。虚無的な死後の世界に逝き怨念を残すのではなく、完全に無に帰したことで有を遺す、その可能性は絶大だろう。斎藤は第Ⅲ部で、いよいよ従来のハイデガー観では捉えきれない問題に着手するらしい、楽しみだ。 pic.twitter.com/EPnGxwyrfD

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posted at 07:34:58

2014年04月04日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

この点は、國分博論のスピノザの方法で、一番特徴だっていたところ。スピノザはcogito, ergo sumを(教会を)説得するための第一原理(大前提)を省略した三段論法であり、ego sum cogitansと書き換えている。これを國分氏は描写という。

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posted at 02:20:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

デカルトの延長を世界性から批判する『存在と時間』第19節の冒頭の一文。ハイデガーの原文も「デカルトはres cogitansとしてのego cogitoをres corporeaから区別する」となっているが、従来の和訳は「デカルトは我思うを物から区別した」と省略している。

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posted at 02:26:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

これに対して、去年出版された岩波文庫の熊野新訳ではres cogitansを省略せず「デカルトは思考するものとしての私は考えるを物体的なものから区別する」という、冗長な日本語にしている。従来の訳文より熊野訳が冗長なのだが、原文に忠実。なぜ従来はこれを省略できたのか?

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posted at 02:29:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

日本語生成だけみているが、20節、「被造的存在者」と一旦は訳語を当てたのに、細谷等訳、熊野訳とも「ens creatumという意味での世界の内部」、辻村訳だけが「造られて有る世界」。どれも原文に忠実なあまり日本語して咀嚼されていない。www.sunamajiri.com/temp/201404040...

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posted at 08:30:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

デカルトの延長は、コギトを神と同じ自己原因と見做すことで、被造世界を前提としている、という趣旨なのだが、「ens creatumという意味での世界の内部」という訳文にする必然性がない。アプリオリな世界ではない、その都度の世界ということが言いたいだけなのだから、被造世界で十分だ。

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posted at 08:30:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

20節意訳すればこれで十分。「デカルトが延長を存在論とする拠り所は実体性だ。実体とは他を必要としないことだ。他を必要としないのだから最も完全な存在者である。デカルトはそれを神と言う。神とは自己原因を指す存在論的名称に過ぎないが、それに拠って存在論的解釈が可能だ。(続く)

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posted at 08:33:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

(続き)神以外の存在者は、制作され維持される必要がある。創りだされるか否かだけが理解しうる地平だ。神以外は全て被造物である。その隔たりが無限である。にも関わらず我々は両者共、存在者と呼ぶ。それゆえ、我々は存在に無限を含意する。こうして我々は被造物を実体と呼称できてしまう。(続く)

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posted at 08:34:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

(続き)被造物の領域内では、人為を含む制作と維持を必要としないものが2つ有る。それがコギトと延長である。」20節冒頭段落。

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posted at 08:34:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

神が先か人が先かというアプリオリ問題は、本質のない下らない話だが、「ens creatumという意味での世界の内部」(細谷等訳、熊野訳)「造られて有る世界」(辻村訳)という訳文が、必ずしも原文の忠実訳でもない。仏教徒なのか知らないが訳者がこの命題を理解して訳しているのか疑われる。

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posted at 08:48:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

現存在の解釈学から存在の解釈学への転回。斎藤第Ⅱ部、ハイデガーの実存カテゴリー(実存論となるための概念)である本来性、被投性、日常性、事実性、世界性という『存在と時間』のジャーゴンが、『寄与』によって、全て使用済み(もう使わなくて済むこと)にできていた。

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posted at 18:35:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

なぜ、実存カテゴリーを使用済み(もう使わなくても済むこと)に出来たかも、斎藤博論ではわかりやすい。決意性とか死への先駆を、ニーチェの『死の自由』の被制作性による意志性と、同定することで、『寄与』ではヘルダーリンによって、眩しくて見えない光=非現前性に、反省=転回できたからだ。

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posted at 18:35:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

よって、斎藤博論第Ⅱ部とは、一般カテゴリーから実存カテゴリーに転倒した初期からのハイデガーの用語法を、整理夢のように忘れ去るための論証たり得ていた。私達はもはや、ハイデガーのジャーゴンである本来性や決意性、被投性や事実性、存在性という用語を一々訳さずに頽落できるようになったのだ。

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posted at 18:37:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

そうそう。被制作性批判としても、実存カテゴリーなんてものは、もう賞味期限切れということだろう。日本なんか被造世界twitter.com/sunamajiri/sta... ではなくその都度の世界だって、空気読むとか普通に理解しているぞ。@LitoSnowfield

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posted at 18:53:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

そうそう、空気読めない人向けの本を空気読める人が読むと・・・という。つまり空気読める人がハイデガー読むと、おそらく空気がなくなるなwww(^-^)/ @LitoSnowfield ほ〜面白いレビューですね〜

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posted at 19:08:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

被制作性から世界、世界から日常性を・・・etcという、一般カテゴリーから実存カテゴリーに転倒する「枝分かれ方法」はエレガントではない。だからあの汚い文になる。真空ならまだよいが、とにかく文が汚い。@LitoSnowfield

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posted at 19:11:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

この図はライプニッツのデカルト批判を論じた本にある図だが、二項対立からの派生は、解析的すぎて幾何学的ではない。これをやめるのがハイデガーが参照するヘルダーリンが、ヘーゲルと耽溺していたスピノザだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/UcV01IGmXr

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posted at 19:12:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

次の段落259(以下熊野訳の段落数)の冒頭の一文は、訳文が飛び跳ねているが、それは原文にある汚さゆえ。汚さというのは、定義対象でない不用意な用語法が混入し、訳文がその不要な用語を直訳するか迷うため。www.sunamajiri.com/temp/201404040...

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posted at 19:52:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

もはや、ハイデガーの駄文は、リライトしながら読むしかないほどだが、段落259の冒頭の一文は「延長が優勢な属性となる実体は、無限の神、有限のコギトと延長、という3つの実体の共通項を見出してこそ、存在論的な対象となる。」程度の意味。(続く)

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posted at 19:55:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

(続き)ここで「属性」という用語を、翻訳対象とするべきかどうかで各訳者が苦労して、日本語が破綻してしまっているが。よりリライトすれば「延長から存在論を考えると、無限の神、有限のコギトと延長という3つの実体の共通項が、問われなければならない」ということだ。

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posted at 19:56:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

このように、幾何学的ではない発生的定義は、やたらと不用意な用語の混入を招き汚い文になる。発生的定義を派生カテゴリーの側から述定する限界のような文例だ。しかし、延長は実体を無限と有限と捉える矛盾だ、という取るに足らない趣旨。これに日本人が一々一々躍らされることはない。

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posted at 19:59:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

ちなみに、細野等訳にある「延長を勝義的な固有性とする実体」の「勝義」は、辞書を引くと、「《(梵)paramārthaの訳》仏語。最もすぐれた道理。第一義。」と訳経僧の真諦を表す仏教語のようだが、ここで原文の属性という用語は、存在論の属性ということであり、定義対象ではない。

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posted at 20:07:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

ハイデガーの派生カテゴリー的な駄文なんかで小躍りするのは、ハイデガー以上に空気の読めないアスペルガーtwitter.com/sunamajiri/sta... ということだろうが、私達が動じるほどの文ではない。つまり、この駄文が読めるようになって空気が読めるようになるはずがない。

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posted at 20:16:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

原文見ると単語をぎこちなく置きながら文にしているのだが、私もそういう文の書き方をする時があるからよくわかる。しかし訳者が理解できていないか、理解していても忠実訳をするあまり、理解できていないことにする訳になるのか、もはや異常な文だね。@LitoSnowfield

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posted at 21:07:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

「自由な死」って、これのことだぞ。www.sunamajiri.com/temp/201404040... 私ですらツァルトゥストラは小学生の時、絵本代わりに読んでるんだが。これ知らずにルサンチマンとか、実存カテゴリー化による形式と遂行の一致点である死とか言っても始まらない。@LitoSnowfield

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posted at 21:52:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

斎藤博論の第Ⅱ部というのは、その「自由な死」を「存在と時間」では実存カテゴリーに形式化したが、それでは行き詰まり、死後刊行の『寄与』では、神の死である自由な死に作為性=被制作性を認め、転回という改心文学になっているという話だ。@LitoSnowfield

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posted at 22:09:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月4日

ハイデガーというのは「あの世がなくても死ぬんですよ」と現世利益を説いているのは確かなんだろうが、それを単なる世渡りの啓発セミナーにしちゃうというのも、アジテーション怖がりカルトになる日本、恐るべし(^-^)/ @LitoSnowfield

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posted at 23:13:12

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