大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年07月03日(火)
「ブランド物で着飾り、多量の薬をもらっていく」「配食がまずいといって捨てる」「デリバリーを毎日頼む」。医療や介護費用の負担がなくなる #生活保護 の医療扶助をめぐって厳しい声が相次いでいます(SankeiBiz編集部)t.co/uknsOg7P #news #ナマポ
posted at 13:47:22
2012年07月06日(金)
非公開
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学校国語の正解は学校の倫理といわれるが、受験国語ではそれを相対化して、学校なんかなくても自分、と思える肝試し(学校からの卒業)に近く、さらに、なぜそういう差異が必要か、という主体(哲学)の現象学化まで射程に入るのが、難関大学の国語だったりしそうだ。
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posted at 13:42:03
私は中学でアメリカに預けられたので日本の義務教育は親が放棄している。たしか数千円の罰金が課せられるそうだ。たった数千円のしかも罰金でしかない義務、それが学校に行かなければならないという思い込みの価値=値段だ。大学受験ではそういう学校からの卒業の心構えすら国語力としてテストされる。
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posted at 13:50:26
2012年07月09日(月)
2012年07月10日(火)
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion
この前の土曜日は朝カルで『デカルトの哲学原理』について話をしました。あの本はデカルトとスピノザの関係が実に複雑で、デカルトの『哲学原理』を論じるとあるけど、実際には「諸根拠」を論じていて、「諸根拠」は神から始まるけどスピノザはコギトから始めてとか…。
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posted at 00:39:27
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion
最近の高校の倫理資料集は『デカルトの哲学原理』のことが書いてあるらしい。「スピノザはデカルトの言うCogito, ergo sumを、Ego sum cogitansと理解せねばならないとした」とか書いてあるそうだ。すごい。でも高校生にそれぐらい難しいことを勉強させるのは賛成だ。
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posted at 00:45:44
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion
Cogito, ergo sumからEgo sum cogitansへの書き換え。ここにどれほどデカルトとスピノザの哲学的立ち位置の違いが反映されていることか。ここにあるのは、懐疑論者を論駁しようとした哲学者と、「懐疑論者なんてシラネ」と言い得た哲学者の対立なのだ。
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posted at 00:48:57
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion
懐疑論といえば、フランスにいたときにRichard H. Popkinの懐疑論についての研究を使ったら、バリバールから「この人はJFケネディーの暗殺事件とかをやっている人だ」と言われた。要するに色物扱いだった。でもポプキンおもしろいよ。歴史探偵。邦訳はあるのかな?
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posted at 00:53:11
國分さんがt.co/1pKNLsta といっている、いわば懐疑の解決というのが、スピノザのコギトということになるが、メルロポンティにいたる現象も、別段他のものであるとは読めない。
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posted at 01:06:19
メルロポンティが、知覚の現象学序論で、純粋感覚や注意や判断とかいうのも、批判対象である認識論や主知主義が、そうした用語で回避してきた現象を問題にするためだが、それを問題にするためにも、デカルトの標識論に言及せざるを得ないのだが、スピノザが批判したのも同じ点だからだ。
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posted at 01:29:10
おそらく、國分功一郎氏のスピノザ論は、かなり現象学的だ。というより脱構築的なのだが、脱構築的ということは、回避された現象の抽出であり、それがスピノザのコギトに見える。
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posted at 01:29:41
たとえばメルロポンティが、主知主義は経験論の論駁だという批判の件で、デカルトの蜜蝋の例が、スピノザが批判したのと同様の方法で、標識の問題として論難される。そこではスピノザ同様、反省が取り出されるのだが、論難されているのは蜜蝋に対するデカルトの科学的な方法論だ。
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posted at 01:31:11
このように、哲学テクストでも、物語テクストと同様、どんな挿話が前景化され、あり得るべきどんな例え話が、回避されていたか、という読みしか、意味があるとは思えない。新規な挿話はたいてい誤解だったりするように見える。
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posted at 01:50:31
心理学説をスルーしてても、どうにか読めるのは、スピノザからデカルトのコギトを相対化した直後だったからだなー。その意味でスピノザと國分氏の方法の威力はいまさらながらすごいと思う。@aoinatsunosora 一冊読むために100冊読むはめになります。笑
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posted at 02:18:11
そうですね、独りよがりに分かってる、憎い男ってキャラね。メルロポンティーw @aoinatsunosora いきなりCollege de Franceの哲学教授に大抜擢された飛び抜けさで「自分のために」語り続けますからね。ぜんぜん説明してくれない。笑
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posted at 02:19:51
私はデカルトとの比較文学読みになっちゃうけど、それよりアメリカでこんな現象学流行ってました? 日本人やたらハマるみたいですが。@aoinatsunosora: 長い間読み続けて、やっと広大なジグソーバズルのいくつかがはまるだけです。海外の研究文献も妙におよび腰のものが多いですよ
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posted at 02:29:13
それにしても、ハイデガーのせいか、フッサールにせよ、メルロポンティにせよ、日本人はまりすぎてません? 全部〈相関物〉にする勢いですよ。高校国語教科書なんて現象学用語だらけで、高校生かわいそう(^-^)/ RT @aoinatsunosora:
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posted at 02:34:24
視点という文学的現象ならいざしらず、なまじ現象の地平とか相関物という、高校教科書に頻出する評論用語より、回避、排除、とかのフロイト→ポスト構造主義読みのタームのほうが、気持ちがいいのだけどねー。実在性の量や疑心暗鬼(懐疑論)や心理学は、構築にしか見えない。
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posted at 02:45:28
去年ツイッターが陰謀論の言説分析のようだったが、結局デカルトを認識論に転回させた懐疑論は、國分氏がt.co/XoPSgg7x (地平を)示唆するように、陰謀論と一貫する地平、つまり現象の地平とか世界が見えることというのも懐疑が(錯覚として)炙り出されるような感じね。
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posted at 06:30:36
あたかも(精神)現象学の術語(現象・地平・相関・世界)は、その他の標識的・量的な存在や信憑という哲学用語が隠蔽する〈あるもの〉を現出させるために布置されているように見えるけど、おそらく炙り出されるのは懐疑の方ね。
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posted at 06:38:19
2012年07月13日(金)
だから、イギリス人とそりがあわないんですねw RT @harada_nobuyuki: そうそう、フランス人は幽霊を信じない。だから日本の「事故物件」の告知義務の話を聞き「それは法律にお化けの可能性を明記したのかい」と笑われた。確かに現代は死者が築いた文明の集積だし、
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posted at 06:21:19
メルロポンティ『知覚の現象学』序論のスピノザ言及。スピノザは否定しないが、それを隠れて使う主知主義、つまり意識を物と扱う心理学、経験主義を批判しているくだり。意識があるという明証性のスピノザ的最大値ですら、物ではない。 t.co/EozzRr6R
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posted at 19:36:46
メルロポンティ、たいへん弁証法的だが、何かを言うために何かを言う時の、その「言うための何か」の方が辛うじて分かれば、さほど難読な文とは思えない。それを言うことで何を言おうとしているのかの方は、全部読んで分かるかどうか(言えているかどうか)だが、詩の作品という話すらあるからね。
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posted at 19:46:34
アウグスティヌス、トマスアクゥナスの中世スコラ哲学と違って、デカルト以降、明証性とは、自分に意識が実在するのを、打ち消せないが、それを他人に伝える方法がないということで、スピノザはひとつの徹底だが、それを不徹底にすると、意識をひとつの物のように捉える、心理学を生み出してしまう。
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posted at 19:49:43
だから要するに、魂があるかのように思えて、それを自己言及的に否定できないことが、明証性と捉えるべきだが、それを不徹底にすると、魂のように意識を物体的に捉えて、科学的心理学になってしまう。スピノザのような徹底は批判の余地がないが、隠れた不徹底(心理学)はひどい、と批判している。
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posted at 19:53:09
t.co/EozzRr6R の続き。意識があるという明証性に対してスピノザのように徹底しないと、それ(神)をこっそり使用して、意識を物体のように捉える、科学的心理学になってしまう。という箇所。 t.co/xZQ0eXHi
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posted at 19:58:43
2012年07月14日(土)
おお、兼高かおるさん、島持ってて、私の名前ね(^-^)/ 「マーシャル諸島に自分の島(カオル・エネ)を持っている。これは観光化がブームとなっていたときに現地の大酋長の相談に乗ったお礼としてもらったものであった。ちなみにカオルとは、現地の言葉で「美しい」という意味だそうである。」
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posted at 01:08:47