Twitter APIの仕様変更のため、「いいね」の新規取得を終了いたしました

大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

  • いいね数 11,694/13,358
  • フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
  • 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
  • Web http://www.sunamajiri.com/
  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2012年04月16日
並び順 : 新→古 | 古→新

2012年04月16日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

ぜひ読んでみて。このスピノザ論が困難とするなら、それはそれこそ一概に言っても意味ないことなんです、もはや体系化としか言いようがない。先ほどの自明は、デカルトにとっては自明でもスピノザにとっては自明でない、よってスピノザは再定式化した、という意味で論じられます@femmelets

タグ:

posted at 00:35:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

スピノザはデカルトを批判して、神と一言も言わないように実体とも一言も言わない。ただデカルトの神証明に付随する要請(読者へのお願い)を全部削除して、デカルトの定義に基づいて、もっと正確に再定式化できるだろう、ということにしか興味が無いみたいです。@femmelets

タグ:

posted at 00:41:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

圧倒的な差異があるみたいですね。國分氏は「観念の原因を実在に求めない」と「観念と実在の因果関係、つまりアプリオリな神存在証明では説得されないというデカルトの執着に徹底して無関心になること」と第二部総括に書いてますね。分かることが分かるとはそういうことらしい。@femmelets

タグ:

posted at 00:54:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

國分によると、デカルトのような「神によって明晰判明な観念の正しさを保証する」ということをスピノザは回避しようとしている、らしいですね。@femmelets 明晰・判明な(または「十全な」)観念を知性が形成することと真偽性や存在・実在は別なのではないかと思うのが普通ではないかと~

タグ:

posted at 01:10:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

よって暴論すると、デカルトの観念が神という表象に保証されていただけと仮定するなら、確かにそれ(神)抜きでスピノザが、コギト命題から再体系化したいという気持ちはわからんでもない。どの実在も神というフィルターで見えていただけで、自然が見えてたわけではないのね、とかいう話(^-^)/

タグ:

posted at 01:23:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

人VS自然(=神)という対立項を読解枠にすると意外と見えづらいのだが、神VS自然という、ごく平たい対立項で読むと、たとえ実在に原因のある表象であれ、明晰判明さであれ、無限遡行の回避であれ、それほど修行が必要な悟りには思えなくなる。(^-^)/

タグ:

posted at 01:26:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

哲学プロパーでないのが幸いだから平たく言うと、神という用語を禁句にした現代哲学は、哲学の不可能性でしかない、とかそういう話しにも見える。いいのよ神だ神だっていっておけば、減るものじゃないしww (^-^)/

タグ:

posted at 01:32:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

なんで関心があるかというと、哲学という学科のない高校生に大学にはない国語という学科のゲームのルールを教える時、神という用語ほど読解枠として不可欠なものはないからなんだが。それを隠蔽するとたぶん正解はヤブの中になる。だからといって神が何かは勿論問うてはいない。

タグ:

posted at 01:34:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

したがって、もし現代哲学が、スピノザが言うように、神に保証を求めたデカルトの誤読で「神」という術語を禁忌にしただけの言説とするなら、それはそれで面白い文学として読めるな、というだけの話ではある。

タグ:

posted at 01:37:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

(読書メモ)より要約すると、デカルトにとってコギトも神証明も単に論述の順序つまり様式の差異でしかない。それはゲルーの指摘するとおりだが、スピノザにとってそれは様式の問題ではなく体系化の問題であった。・・・・有意味に要約するのが極めて困難な箇所だった。(・_・;)

タグ:

posted at 08:15:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

ちなみに國分論ではエチカは殆ど立論と論証に出てきません。そのためか、まるで神という語彙をスピノザが使っていなかったという奇妙な印象になりますが、國分氏の実証では、それがテクスト的事実のようです。RT @femmelets 存在論的なステータスが違うのではないかということですが~

タグ:

posted at 15:32:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

うーむ、指導してる受験生にはよく言うんだが、勉強も学問も楽しまなきゃ無意味だからねー、彼らは私の目には楽しそうに見える。どんなことも楽しめてないときは方向違いなんですよ、スピノザの知性改善論ではないけど。(^-^)/ @femmelets

タグ:

posted at 16:23:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年4月16日

t.co/RyP1e8he カントは数学を総合、現代数学は分析。デカルトは総合で神、分析で我。スピノザは総合でも我といった。という國分氏の論述を読んでたとこだった。t.co/IGx8hAsx

タグ:

posted at 18:23:07

@sunamajiriホーム
スポンサーリンク
▲ページの先頭に戻る

タグの編集

あまちゃん うさぎ うさぎのいる暮らし うさぎ好きさんと繋がりたい うさぎのいる生活 うさぎのしっぽ ホーランドロップ Yahooニュース ldnews onisavulo

※タグはスペースで区切ってください

送信中

送信に失敗しました

タグを編集しました