大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年09月08日(土)
音楽のレッスンでは自分の内面直面させられるよー。具体的には私ってどうやって吹けるようになったんだっけ?という、普段無意識化していることを掘り起こさないと教えられない。国語はそれないよ。@LitoSnowfield あらら…押し付けられますか内面を…レッスンで @ru_ahha
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posted at 00:06:55
うん、もっと極論すると、国語は書いてあるけど、音楽は書いてないこと教えないとならないから、内面から引き出さないと、つまり、どうやるんだっけ?という普段意識しないで出来ることを、一々思い出さないとならないから疲れるわよ。w @LitoSnowfield ああ〜そうか…そうですね〜
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posted at 00:12:42
意識は、たんにある存在が外からの作用を受けて一種の反応を示すということではなく、その反応に際して新たに何かを内的に体験する、ということを特徴としている。たとえば、ある存在が熱せられとき、内部に痛みを感じたとすれば、その時初めて、意識の存在を語ることができる。
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posted at 01:03:53
同一物の永劫回帰の理念はニーチェ(@N_Anti_Christ)の魂の中に描きこまれて、彼の信条になった。彼はその理念に精通し、その理念が彼の悲劇になった。かつて存在したものは、長い時間の後、細部にいたるまで同じ形で回帰するに違いない、ということをその理念は表現している。
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posted at 02:35:19
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現象学は日常的経験の意味を捉え直そうとするが、それは私という主体が、その超越論的諸機能において、経験と意味作用の数々を現実にいかに創設するのかを再発見するためにそうする。-M・フーコーとの対話-
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posted at 03:55:22
昔は時給一万以上のバブルだった予備校講師が、今や数百円という評価額というのは、受験というシステムの脱構築そのものなので痛快ではある。なにせ書いてあることを教える仕事など労力にならず、付加価値があるわけではないのだから、そんなもので金を取ってはいけない、ということだろう。
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posted at 05:07:59
気になるのは、まるで壊れ行く日本の縮図のように、今までなんとなくうまく行っていたことも、音を立てて壊れてきていることのほうだ。もはや他人事ではない。去年は避難は震災からと思えていただけだが、やはり本腰を入れて、ブラック化する日本から逃げることを考えないと、サバイブできないかも。
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posted at 05:08:16
書いてあることが読めないというのは、受験というシステムでは単なるバカという序列となるのだろうが、それに即応して、書いてあることを読む方法を伝授するというのは、書いてあることを代読しているに過ぎず、本来労力ではない。それでお金を取るのは詐欺かもしれない。私は書き手ではないのだから。
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posted at 05:19:49
書かれていることというのは、究極的には方法などなしに読めるものだから、書かれたものなのだ。方法がなければ読めないというのなら、読むなというだけだ。方法序説というのは本来書くためのものであり、読むためにそれを問うことはできないし、それをビジネスに出来るという受験産業は矛盾だらけだ。
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posted at 05:28:51
ベテラン講師の時給評価額が数百円に暴落しているように見えるのは、大学など国が認可したアカデミズムという公的な身分以外は、何も教えるな、というネーションステートにとっては当然の独占体制が今完成したという風に見える。日本の近代化も、まあ随分と時間がかかったではないかww(^-^)/
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posted at 05:36:45