大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年09月17日(月)
あらまー、単語を性質を束ねた名詞と言ったり、読書が名詞の束に見えて経典になったり、それを読経してるだけの恣意性を、主観性と命名したり、はじめにユートピアありきの和製仏教徒は、なんでいつもそんなに素朴でいられるのか、コトバが通じない。(^-^)/
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posted at 01:45:47
わたしは寧ろ暇になると御本は読まないで他の遊びするけど、教えるのが忙しいと却ってテクストに目を通すことで、恣意的な読経的主観性なるものから飛翔していられるけどねー。でも確かにヨーロッパの古城に篭って読者三昧の日々がしたいけど、たぶん読まんな(^-^)/
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posted at 02:06:44
うん、小乗はいかんが大乗、法華経は比喩本だからねー。比喩が救済するんだよね。それで日本人はユートピアのつもりになるわけだが。明治期には国家神道に対する古神道、戦後はなぜか古神道の代りに法華経、つまり比喩で誤魔化してるよね。(^-^)/
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posted at 02:48:17
古神道系新宗教というのは、神仏習合的な国家神道に対する抵抗のようだけど、敗戦後は、古神道系より法華経=比喩本が、日本人のメンタリティーになってるのよ。大乗もどきなんだけど。
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posted at 02:51:52
神仏習合(仏教化)以上に、法華経化=比喩化=大乗化したのが戦後とするなら、西欧のエクリチュール化された神(一元論)と主体(二元論)から、科学技術のターミノロジーまで、遍く名詞的に受容してしまい、主体も神も見えていないというのは、自分たちが考えるほど尊く難しい問題ではない気がする。
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posted at 03:01:02
今日は始めてきた高2の女の子が、なんで評論やるんですか?というから、江戸の書き言葉漢文では、西欧の実定法を翻訳できなくて、文学から言文一致がはじめられたけど、戦後、日本文学が解体されて、いまや哲学しか言葉化できなくなってるからだよ、といったら目がランランと輝いて可愛かった。
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posted at 03:07:15
そうそう近代に台頭したものが総崩れに(^-^)/@femmelets 世界史の現実を無視 t.co/sJC1JRH4 中国とかアラブ世界は、近世・近代に至り、科学・技術、民主主義、産業資本主義の三点セットでヨーロッパが飛躍的に発展するまで、世界史の中心だったのである
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posted at 05:14:52
さっきの話の続きでいうと、海を渡り地球の辺境日本に渡来するものは、すべて名詞に変換されて受容されるようで、どんな事柄も述部のない単なる名目に分解されてしまい、意味をなすことがないらしい。
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posted at 06:50:07
本来、それが和製漢文の書き言葉の伝統だが、言文一致をしたところで、名詞が述部を伴い成文と理解されるのが、大の苦手。大乗=法華経の比喩まで比喩と受け取らず、エクリチュールとしての神も科学も、なぜか世界の中で日本人だけがとても疎い印象。
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posted at 06:56:41
このすべての成文を名詞化する傾向の日本というところでは、原因となる同一性の前に差異を知識と思い込んでしまう。彼らにとっては名詞化が知識なのだが、確かに速成近代には有利だったが、いまや何も応用できない始末。
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posted at 07:03:05
私も日本人を肯定的に捉えたいけど、そこで言われているすべてのことが、自己相対化できないゆえの自信や、その裏腹で自信がないから遠慮する、という、もう今後役立ちそうのないものに見えている。@mimi_smpc000 慢心が日本独特とは思わないな~日本人のマナーのよさ
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posted at 07:06:34
そう? 柄谷行人も『日本近代文学の起源』で触れているように、明治になり多くのお侍がキリスト教者になる中で、抵抗した人たちが文学を書き始めた程だし、宮内庁侍従はキリスト教徒が多いそうじゃない。神仏習合で大衆は煙に巻かれてるけど。@slitsandfrills
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posted at 16:54:39
漢文では辿り着けない成文で有意になる神を、キリスト教徒に改宗したお侍に抵抗する文学者に記述させる一方で、神仏習合=国家神道で無神論化された大衆が抵抗するのが古神道だった程です。今では現象学と名付けてるだけです。官憲にとって神道とキリスト教は同値です。@slitsandfrills
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posted at 17:13:07
です。現象学をツールに矮小化した時点で、すでに現象学たりえていないと思います。西欧哲学も仏教も(ことごとくアーリアですが)すべて同型です。それは哲学史などの史観からは明らかにならない現象です(^-^)/ @LitoSnowfield 日本における現象学が…も変換されているのかな…
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posted at 19:21:30
というより、日本人はネーミングしかしないんです。あらゆることを名づけるんです。しかし名づけられるという成文の要素を認識できないんです。だからすべて、たとえば契約も名目の取引と思い、特約つけたりしますよ。いわば特約利益浄土(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 19:30:48
だって、神がいるとおもってるのは、日本人ぐらいなんじゃないの? 神はいるんじゃなくて、本来あるんだけど、そういうことお構いなしだから。www (^-^)/ @LitoSnowfield あ…変換させる真ん中だけ…でしょうか(・o・)?
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posted at 19:51:59
そうそう、中心が「いる」なら、「ある」なんて内面を周縁のお前らが考えるな、スタイルだけに徹していろ、というのが一時期確かに席巻してたのよね。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 20:19:45