大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年10月31日(水)
かつて左翼に主体性論なるものがあり、スターリン主義の客観主義に対する批判となったが、革命に関していえば主体性論よりもスターリン主義的な客観主義の方が正しいだろう。というのも革命は主体的に起こすことではなく、客観的に起きることであり、主体に対しては他者的なものだからだ。
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posted at 03:49:34
メルロの続く箇所は読解できない生徒のことね。シュナイダーが患者を説明できないのは、正常者にはあるアナロジー(対比)への了解ができないために、患者は対比をカテゴリーに包摂させるが、それと同じことを彼自身が行っているためだ。 t.co/1wg4Dfo0
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posted at 06:40:37
対立項を了解できない(読解できない、分からない、説明できない)患者は、対比を因果関係というカテゴリーに包摂させているだけだ。分裂症を説明できない病理学者は、患者と同程度に、カテゴリーに包摂され、それを説明できない。t.co/1wg4Dfo0 @sunamajiri
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posted at 06:44:19
分裂症者だけでなく、物事が分からなくなっているとは、対比をカテゴリー(原因)に包摂している場合に起こる、という説明たり得ているメルロの文脈t.co/1wg4Dfo0 なのだが、その後は、思惟が単純な綜合でないから、疾病単位を差異化(分かる)すると続く。
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posted at 07:25:09
私はデカルトを許せない。彼はその全哲学の中で、できることなら神なしで済ませたいものだと、きっと思っただろう。しかし、彼は、世界を動き出させるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。それからさきは、もう神に用がないのだ。§77
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posted at 07:30:37
《現に思惟する》とは、対比を超越論的に綜合するような「単純な論理活動とは同一視できない」が、従来の予備校現代文を批判しているようで苦笑した。分かるとは、説明できるとは、実はそういうことではない。(^-^)/ t.co/G9DaBTbP @sunamajiri
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posted at 07:39:06
ラカンのメリットは、フロイトに残っていた実体論的思考、つまり欲動の〈表象代理〉である無意識の実在性を措定したり、隠された真の意図を直接観察可能な見せかけの外観に対置しかねない発想を、無意識自体を言葉と見做すことによって乗り越えた点に見出される。
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posted at 08:36:06