大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年11月20日(火)
国民国家(ネーションステート)の論点では、標準語という作り物が批判されるのだが、じつは日本では事情がちょっと違って、上方言葉=スノビズムというものに対して、それを払拭した、素の日本語を言文一致で創出する、というのがあるのかもしれない。@sunamajiri
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posted at 00:12:49
このように、ネーションステートという現代思想の行き着いた論点も、西欧と異なり、日本では一筋縄では扱えない。日本ではネーションステート=標準語になることで、むしろ上方的支配=機械化というものを、免れるような言語能力が想定されているからだ。@sunamajiri
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posted at 00:16:47
クライマーズハイのオイディプスは、よく出来てるなー。息子に対して父親になれない二人の父親の話なんだけど、いわばパラレルなオイディプスだからこそ、オイディプスを越えるようになる。(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 10:04:51
主人公は、父親に蒸発され、そのためか新聞社でも部下を育てられず、息子ともうまく行かない。もう一人の父親は山登屋なのに、何かに挫折して新聞営業の仕事に忙殺され、息子に山登りのような本当のすばらしさを教えられないと悩みながら、過労死してしまう。@sunamajiri
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posted at 10:09:32
突然過労死したうちの息子が、主人公を父親代わりに慕うのだが、主人公は日航機事故報道で、ある命のこだわりをしてしまい、左遷されてしまう。20年後谷川岳で、自分を拒否し続けている実の息子の消息を知って、20年後に初めて父親としての気力を賦活される、という話。@sunamajiri
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posted at 10:14:29
昨日、国語テストの客観性にとって小説出題は不可欠t.co/0cn0Bno3 といったのも、じつは場面内の身体性(視点や視界)以上に、場面化しなければオイディプスが言語化できない、ということに尽きる。オイディプスは場面の中からしか見えない。@sunamajiri
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posted at 10:30:59
オイディプスは場面化されなければ言語化できない。国語がテストする言語と実体の画定t.co/0cn0Bno3 というのはオイディプスのこと。これは評論文のように、オイディプスを場面の中で身体化することができない様式ではなかなかテストできない。@sunamajiri
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posted at 10:40:08
クライマーズハイに戻ると、なぜ父親が複数いるのに、主人公が画定するかというと、二人の父親の死によって、一人の父親が前面に押し出されるから。しかも、息子は彼を父親として拒絶している。このように、多義的な物語が一義性になるのは、オイディプス譚があるから。@sunamajiri
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posted at 10:43:02
さて、おそらくアンチオイディプスというのは、文字通り、殺されるべき父親が、父親になりそこなう、といったもの。息子の視点からは、父親が父親にみえていない、あるいはその時点ですでに父親がオイディプス的に抹殺されている。もっというと子供がいないということ。@sunamajiri
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posted at 10:47:07
子供がいなければオイディプス譚にならない。しかし、子供という父親を相対化する別の視点があれば、オイディプスが生じる。こういう関係性は、場面の中で視点や視界が生じ、言語の身体化のようなことが起こる、小説的な文でしか、国語テストできないのだ。@sunamajiri
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posted at 10:49:29
クライマーズハイはよく作られている。息子が父親を父親にするためには、二人の父親が必要という、パラレルというか、もう一つのアンチオイディプスのように構成されている。こういうフロイディアンがファミリーロマンスと呼ぶものは小説ではじめて精密に言語化される。@sunamajiri
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posted at 10:57:04
たとえば、今の日本の政治にとって最大の懸案は経済=少子化。子供が作れないというアンチオイディプスが日本の懸案で、子供がいても親子の疎通がうまくできない、というもう一つのアンチオイディプスまで抱えている。こういうのは小説でしか国語テストできないと言っていい。@sunamajiri
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posted at 10:59:30
もちろん恋愛ができないのも、オイディプス父親性が世の中で壊滅しているからなのは指摘するまでもない。だから何も、中学入試問題のような父と子の話だけが小説ではない。小説が読めなければ、他人の気持ちを読み解く術がない。それが日本近代文学以降の国語の問題意識。@sunamajiri
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posted at 11:03:42
小説が評論文より優れて万能なのは、たとえば恋愛できない小説があったとすると、評論ではフェミに一義的にフルボッコされても、小説の中ではそういう一義性が全て脱構築されてしまう点。意味づけが起こらないのだ。小説は言葉で意味づけない。@sunamajiri
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posted at 11:24:21
小説は場面で意味づけようとするから、言葉で一義的に意味づけない。その原因がオイディプスで、近代小説は、フロイディアンがファミリーロマンスと呼ぶものを、もっとも精密に表現するために不可欠な様式(言語配置)。だから日本のような国語の客観テストでは不可欠。@sunamajiri
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posted at 11:27:37
物語性の基底はつねに父と子のオイディプス関係だが、小説では必ずしも父と子が登場しなくてもいい。しかしフロイトがいうように、つねに子供は両親との関係で自我になっていくのであって、どんな人間関係でもオイディプスのヴァリアントにしかならない。@sunamajiri
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posted at 11:34:28
たとえば、よくB級C級映画で、ストーリーがちぐはぐなことがあるが、あれはオイディプスの構造を無視して偶然に頼ったり、こじつけたりすることで表出する。脚本家が十分に吟味していないストーリーテリングでは、物語が必然化しない。それほどオイディプスの磁力は絶対的。@sunamajiri
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posted at 11:38:55
このことからも分るように、子供を作ら(れ)ない少子化や、子供がいても親子関係がぎくしゃくする、というのも偶然性の問題ではなく、必然的にオイディプス的な言語が関係している。端的に言うと、オイディプス=物語性を、小説として読む力がないと、そういう病気になる。@sunamajiri
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posted at 11:42:32
柄谷行人が『哲学の起源』でハイデガーとともにニーチェに引導を渡しているのが爽快である。げにかくあるべしと思う。いわゆる現代思想はもちろん、ニーチェ以降の近代西欧の哲学が用済みになっている。この春会った時 @femmelets氏がニーチェを端的に否定していたのを思い出す。 #fb
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posted at 11:50:45
オイディプスというのは、子は父になり、父は子を作る、という端的な生命連鎖のこと。それが神話としての物語性だが、それに対して現実の錯綜した人間関係や、あるいは孤独という現象面から、先入観や意味づけを排して近づくためには、小説という方法しかないのだ。@sunamajiri
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posted at 11:55:05
ギリシア悲劇がその最古の形態においてはもっぱらディオニュソスの苦悩を対象としたものだということ。かなり久しきに亘ってただ一人存在していた舞台の主人公がディオニュソスにほかならなかったということは、論議の余地なき伝承である。-悲劇の誕生-
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posted at 12:05:39
オイディプス=物語性は、現象的には小説言語からしか近づけない。つまり小説が読めないと、自我が遭遇する現象に対処できない。だからこれは文学ではなく国語の問題。日本で国語の客観テストが小説テストに端を発するのもそのため。欧米で重視されないのは宗教があるから。@sunamajiri
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posted at 12:05:50
あ~、ついに柄谷行人が、攝津氏のレベルに昇華したのかしら?笑 (^-^)/ @suzuken2002 柄谷行人が『哲学の起源』でハイデガーとともにニーチェに引導を渡しているのが爽快である。@femmelets氏がニーチェを端的に否定していたのを思い出す。
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posted at 12:12:01
オイディプスという物語性=実体は、はじめて小説言語によって現象として言語化された。つまり、小説だけが現象を言語化している。日本で国語が客観テストとなるのも、じつは小説で言語化した現象を、明確に言語として受容できるかが、計量化できる国語となったから。@sunamajiri
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posted at 14:30:23
用語整理しとくと、オイディプスのような実体は、近代においてファミリーロマンスの精密化と合致した小説言語の発明によって、はじめて現象として言語化されるようになった。日本で小説が国語となったのは、したがって極めて必然的な問題に思える。@sunamajiri
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posted at 14:32:58
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 小説が読めなければアンチオイディプスになる。だから日本では小説の客観テストが国語になった。オイディプスを現象化するのは小説。小説だけが現象を言語化している。ゆえに現象を測定する国語は小説を手放せない。
t.co/4BZDSPm9
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posted at 14:43:35
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posted at xx:xx:xx
おお、といっても実体・言語・現象・国語という用語の布置を探っていただけです。オイディプスを実体と捉えると、それを現象化するのは小説だけなので、小説テストが端的に国語の客観テストの方法になった、という話でした。t.co/4BZDSPm9 @Tomohokubo
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posted at 22:40:16
わたしはどうも、言葉が布置にみえるようで、ジャーゴン同士の布置を探求するのが、子供の頃から大好きなのです。実体をオイディプスと布置すると、現象化が小説と必然化するとか。もっというと、言語化は身体化なので、実体の身体化が小説だ、とか。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 22:42:55
つまり、述定とか命題をいじっていた頃の大時代の哲学者のように、言葉どうしの布置を探求しているんですが、結局のところ、言語、身体、実存、小説という比較的新しい用語の布置を、大時代の哲学者は述定していない。だから混乱があるんです。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 22:47:20
述定というのは等号式のようになるということですが、結局、実体(神)を、言語という現象に身体化しているのは、オイディプスを小説化しているからだ、という風に布置する必要があったんです。もちろんこれが端的に日本では国語のテストなのです。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 22:50:03
史的に分りやすくいうと、たとえばヘーゲルやカントの大時代に、小説とか身体化というジャーゴンが布置として台頭していないのです。その結果、身体や小説が何だか分らなくなる、という(実存的な)混乱が現代思想に見えます。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 22:58:35
こうした、身体や小説や言語が、実体に対して布置を失うといった、実存的な混乱のようなものは、マルクスのような価値論への転回以降、よりいっそう顕在化しているようにみえる。だから布置をしなおす、いわば端的に国語です。@sunamajiri @Tomohokubo
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posted at 23:01:13
顕在化といいましたが、身体の言語化、言語の身体化である現象学が、マルクス的なものを潜在化してしまうのが、一番気になるところです。それが障壁で、布置が出来ない(再定式化できない)混乱が、実存的な問題になってしまう。だから小説も実存も現象も不可能化してしまう。@sunamajiri
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posted at 23:05:31
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posted at xx:xx:xx
さっき言った大時代の哲学者は、用語の分節の前に、用語同士の包摂を述定していたのです。つまり詩人だった。ところがマルクスが価値を分節化した後に、言語の包摂ができなくなった。それを補完するのが、身体という現象を実体に包摂する小説言語だった、そういう再定式化。@sunamajiri
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posted at 23:24:00
たとえば、実体を言語化できない、つまりアンチオイディプスになるから、実存が混乱する。これはマルクスのような価値や、貨幣=フェティシズムでは解決できない。実体をオイディプスとして、実存の現象、身体化するのは貨幣ではなく小説だ、とか・・・・etc @sunamajiri
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posted at 23:29:03
言語化できない実体を、リアリティーに量化する、というのがデカルト的な認識論。そのように言語の分節化では価値論やフェティシズム論、つまり資本主義のようなものに転倒してしまう。しかしそれでは実体は言語化していないので、実存的には身体化する言語を欲するのです。@sunamajiri
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posted at 23:36:03
・・・こういうの個人的には、アドリブと同じで、永遠とやってられる錯覚におちいるのよね。スピノザのように、たぶん定式化の放棄(つまり述定)は一回性だから、永遠とはやり続けられない筈なのだが(それが永遠だが)、実存的には(運動的に)語り続けるしかないという~@sunamajiri
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posted at 23:42:47