大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年03月21日(金)
でそ? さらに反神学者が売りのニーチェを、最も神学的とみなすハイデガーを、具体的に(内在的に)言い当てちゃったり、かなり痛快なのよ。キリスト教の奴隷道徳の謙抑をニーチェがルサンチマンとみなした、というのはマゾヒズムかなんかなんでしょ? あほよね@LitoSnowfield
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posted at 03:18:22
学部卒で社会人なんてフィクションやってて疑問に思ってないのは日本ぐらいだからなー。かなり低レベルなのだ。お話が盛り上がらないでしょ? 社会人を一旦、一斉に学校に戻せばいい。役人みたいな事務員なら資格だけで十分だろうけど、みんな役人になったら社会主義だ。@LitoSnowfield
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posted at 03:58:14
(続)まあ端的に、斎藤氏によると、ハイデガーがニーチェを神学に置いてきぼりできたのは、パウロ~ルターの奴隷道徳における謙抑というものを、ルサンチマンとするニーチェが、文中bit.ly/1dfboSM のとおり「道徳‥倫理的」すぎたため、ということらしい。
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posted at 04:28:08
しかし、後藤氏の小冊子より、斎藤氏の博論のほうが、却って(哲学史の)良質な解説書になってしまうのも、序文冒頭に真っ先にあるように「方法」的だからだろう。bit.ly/1hNwRPD (続く)@LitoSnowfield
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posted at 23:01:44
(続き)國分氏の『スピノザの方法』は(デカルトの)方法と方法論の循環論になっていたが、ハイデガーには、それを終結させる威力が確かに備わっているとして、しかしそれを「方法」と捉えないと、たしかに非常に「わかりづらい」。@LitoSnowfield
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posted at 23:07:17
(続き)つまり、後藤氏の小冊子は解説本だが、「方法」を「方法」とする分節化が、ほとんど明示的ではないために、存在了解という方法を解説してはいないのだが、斎藤氏の博論は冒頭から「方法」を分節化しているので、かえって解説書に近くなっているのだ。@LitoSnowfield
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posted at 23:16:34
序文が終わると一気に論証に着手で解説ではなくなるけど、所詮、神学から哲学を切り離す話でしか無いと思って読めば、なるほどそれが方法なのか、と読み進めることは容易だね。(^-^)/ @LitoSnowfield 手強そうな斎藤さんの巨本からの方が…掴みやすいとか
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posted at 23:22:49
(続き)このように、啓発本やマニュアル本は、実は手順すら分からせてくれないのだが(それを煙に巻くためにあるようなものだ)、いわば非マニュアル本は実は方法の伝授、つまり解説になってしまうという事態があり、それが分かるかどうかということなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 23:25:35