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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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Favolog ホーム » @sunamajiri » 2014年06月27日
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2014年06月27日(金)

ミヒャエル・エンデ @Michael_Ende_jp

14年6月27日

この世界の現象の背後にある精神的なもの、霊魂的なものは、五感を通じての私たちの直接の知覚からは隠れています。”隠れている”とはしかし、ラテン語の「オカルト」の訳語にすぎません。 『エンデのメモ箱』

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posted at 04:14:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年6月27日

ミヒャエル・エンデがラテン語ではオカルトという名前だtwitter.com/Michael_Ende_j... とする「現象の背後」だが、ハイデガーのカント書では、無限の認識、つまり神による物自体の認識、という告示的解釈学が遂行される。 pic.twitter.com/wnXWGVkgBM

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posted at 04:29:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年6月27日

このラテン語ではオカルトと呼ばれることは、神から見ると物自体だが、有限な人間がそれを認識しようとすると現象としてしか把捉できない、ということにすぎない。ハイデガーのカント書では、カントが第二版で統覚=コギトとすることに対して、第一版の構想力に遡行し、この神の視点を「知識」化する。

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posted at 04:42:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年6月27日

ハイデガーは「形而上学入門」で、ラテン語化された際に失われた存在を強調するのだが、コギトにとってはオカルトにすぎないことが、構想力にとっては物自体=存在のことになる。つまりラテン語からは認識は統覚という有限性に陥るが、ハイデガーにとって認識は、神による物自体の認識のことなのだ。

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posted at 04:49:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年6月27日

このように、彼らの言う(名付ける)「知識」とは、ラテン語のようにコギトの有限性から、物自体を現象と把捉する自己意識や統覚のことではなく、物自体を存在として産出するような神(の構想力)のことだ、とハイデガーは「存在と時間」の補完で、カント純粋理性批判を論じているらしい。

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posted at 05:49:26

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